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何年か前・・・、目覚めて突然、
愛されていること、守られていること、祝福されていることに、全身全霊で気付いた朝がありました。 「ありがとう」という気持ち、「今までどうして気付かなかったんだろう、、ごめんなさい」という気持ちで、 涙がはらはらと果てしなく流れました。 私を取り巻くもの、・・・すべてはあたたかく、やさしく、うつくしく、完璧だった。 それが、生まれ育った家での出来事だったので、 「昔から、家と家族を守ってくれている、精霊みたいなもの?」のおかげ? ・・・と思っていたけれど、 今でも、どこに行っても、その感覚は、すぐ蘇ります。 抱っこしてくれているのは、家ではなく、地球なのか、宇宙なのか。 うまくは説明できない・・・、でも、その日から、満たされていることがわかる、 ならばあとは・・・、人と人の争いを、不毛な苦しみを、減らしたいだけ・・・、 何もいらないから、 愛と美しさを伝える(呼び覚ます)力が、もっとわが身にあれば、と思います。 LOVE。 |
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おはようございます♪
人生で、・・・今までどれだけ褒めたたえてもらいましたか?(笑) 「素晴らしい〜!」とか言われると、やっぱり嬉しいですね!(^^) 認められたり、 褒めてもらったり、 たたえていただいたり、 それはとても、嬉しいことでしょう♪ 誰にだって、嬉しい感情はあって当然。(^^) はたから見ていても嬉しい気分♪ 「認めてもらって嬉しい〜〜」と感じ、 そう言ってもらえることに、しみじみ「・・・ありがたいなあ❤」 とも思う、 でもね、 そこからなんですが・・・、 いつのまにか、 「自分が(人より)一段上に立ったんだ!」 というような気分にまでいっちゃうことって (なりがちだけど)、 ・・・ 要注意! と思いませんか? 褒めてもらい、認めてもらうことに慣れ、 「それが当然」という感覚になり、 認められ、立てられる存在になることで、羨望の眼差しをもらうこともある、 羨ましがる気持ちを持つ人を、つい、見下す、 また、他者の何かをコントロールする立場につき、 それを当然の権利のように思い始め、いつしか尊大な気分になってゆく、、 いわゆる、 「成功」といわれる状態 には、 エゴを見破りにくくする、落とし穴がある気がします。 それは・・・、自らの気持ちが招いてしまうこと。 「自分は特別」 とか、「尊重されるべき人間」と、 他者より抜きんでた自己イメージが、独り歩きしてしまい、 いつしか、謙虚であることを忘れてしまう、 互いに分かち合うことや、 奉仕する(または、出来る事をやらせていただく)ことが、 この世に、いかに不可欠であるかは、 色々なものを見聞きし、 考えて、人間的に成熟してくれば、気付いていけるもの。。 でも、わかっていても、 「自分は優れている」という 気分や、状況を、 「当然」であり、「守りたい」・・・、つまりはしがみつきたくなっている、執着の心、 それは、 誰もが持ちうること、なのだと思います。 はっきり言ってしまえば、 地位を得た人ほど、 そういう己のエゴに出会いやすく、また、そのエゴを見破りにくい。。 (><) でも・・・、決して決して、 自分が一段上に昇ったのではなく、 新たな状況において、 己の、素晴らしい自己イメージへの「執着」を、今、試されている時なのだ、 ・・・と、理解(いや、自戒?)したほうがいいんじゃないかな、、と 思うのです。 まあ・・・、私自身は、 名声には無縁な人間なんですけど(^^; そもそも、 何をもって、「人より優れている」を測るのか・・・、 ひとりひとり、今在る、状況も設定も違うのに、 その状況から自分を認めよう、とする心そのものが、 常に「競争から自由ではない」・・・、 そういった価値基準で生きるって、 本当に幸せはあるのかな・・・? という気がしています。 拙い文で、お恥ずかしいけれど。(久しぶりに長く書きました〜) ふわり、ふわり、 自由になあれ。 ほんわり、ほんわり、 やさしくなあれ。 誰もが、もともと、素晴らしい。。(^^) 愛を込めて。 |
コメント(10)
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理想化、偶像化など、
最初からしなければいいのです。 「持ちあげて、・・・落とす。 気をつけましょう」 と、どこかのCMで、人気子役くんが大人っぽくも固い表情で演じていたけど、 ありがちな「理想の子供って、こう笑うんだよ〜」っていう、 ステレオタイプなイメージをしっかり外してきている感じがとてもよくて、 大人達も深くうなずいたりしていて、面白いな〜、と思ったものでした。 どうしてそんなに、「完全無欠な人間像」でないと許せないのか、 あらを探したり、 何かやらかしちゃったら、いきなり攻撃が始まったり、 「こうあって当然。イメージ大事」というところが行き過ぎて、 暴力的にさえなるこわさ、 そもそも、「こうあって欲しい」という幻想を誰かにおっかぶせても、 たいていの人は、その幻想から全然外れているもの、 そんなことは当たり前・・・、 そもそも、 こうあって欲しい、こうあるべきである、という気持ち、 予定調和を期待する気持ちを、 見直さないといけません。 誰もが、でこぼこのまんま、 お互いの違いに素敵を見出せばいいじゃない。 似ている部分で、 ちょっと不便だよね、困るよね〜、・・・まったく、おいらたち、なにやってんだろね〜、、、っていう思いを、 そういうのって、ははははっ、可笑しいね(でも可愛いよね)と思える、 あったかい笑いに変えられる。 俯瞰で共通のものを見つけるのだ。 隣人の視点から、 その人の喜びや悲しみ、生まれついた設定の困難さを推し量ろうよ。 私がいつもおもうこと。 なるほど、そうか、 聞いてみないとわからないもんだ、 人はそれぞれ、こんなに違うんだな、 どちらが優れている、なんて、言えないな、 聞けば聞くほど、 むしろ、 その不便さと付き合いながらも、生き抜いてきた、そのことがすごいよ、 そもそも、設定が違うのに、優劣なんて、つけようとするほうがおかしいよ、 フェアじゃないよね、 君がもし何か不自由なことがあれば言っておくれ、 出来る範囲で手を貸すよ、喜んでね、 でさ、 僕がもし君に迷惑かけたなら、 優しく教えてくれるかい? 気付かないでやってしまうことってあるんだよ、 ねえ、 君が見ている世界、君の解釈と、 僕が見ている世界、僕の解釈は、 同じ時と場所にいても、 時々、全く違うだろう、 どちらが正しいということはない、 むしろ、 どちらも真実なのだろう、 君の見ている、感じている世界を伝えてくれないか? 僕の世界を広げるために、 僕の見ている、感じている世界を伝えていいかな・・・? 君がどう思ったか聞きたいんだ、 設定の違う、経験の違う、感性の違う、君と僕、 そんな君と僕で、この世は溢れている。 伝えあわないともったいないよ。 ワンダーランドの素晴らしさが、倍増するんだ。 でも、素敵なことだけじゃない、 100人いれば100人の痛み、 1000人いれば、1000人の苦しみ、 10000人いれば、10000通りの生きづらさが、あるはずなんだ。 わかりあおうとすれば、 どんどん、 思いやり合えるのさ。 平和な世界は、 わかりあおう、とする気持ちから、 わけあおう、とする気持ちから、 ありがたいな、という気持ちから、 みんな素敵だよ、という気持ちから、 スタートする気がするよ。 大人にならなくちゃね・・・、 人になすりつけるのはやめよう、 あらさがしもやめよう、 自分を誰かを、裁かずに、 自分で選択するリスクを背負おう、 表面的な、理解や共感を追い求めるのも、卒業しよう、 ・・・それはきっと、孤独なことなのだろうけれど、 本当の自分と最良の理解者になれるよ、 そしたら、他者も理解出来始める、 皆、違うんだよ、 ・・・でも、皆、いいんだ。 自己責任と、孤独、 今の人間に足りないことは、 これを受けいれることなんだよね、きっとさ(^^) |
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