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所在地:福岡県朝倉市宮野2046-1 斎明天皇 夫・舒明天皇の死後に第35代皇極天皇として即位。 皇極天皇4年(645年)6月12日に乙巳の変が起こり、政治の実権を握っていた蘇我蝦夷・入鹿親子が、天皇の息子の中大兄皇子(後の天智天皇)とその家臣・中臣鎌足(藤原鎌足)に倒される。「大化の改新」の始まりだが、天皇は退位し、中大兄皇子に後事を託すが、皇子は自らは即位せず叔父の軽皇子が第36代・孝徳天皇となる。 それから十年後の655年、孝徳天皇が亡くなり再び第37代・斉明天皇として皇位に就く。 つまり皇極天皇と斎明天皇は同人物。 在位5年(660年)に百済が唐と新羅によって滅亡。百済の遺民の抗戦を知り、日本に人質として滞在していた百済王子豊璋を百済に送り、応援のため難波に遷って武器と船舶を作らせ、西に渡り筑紫の朝倉宮に居て戦争に備えたが、遠征軍が発する前に亡くなった。 うんざりするほど長い石段を登るのかと思った途端にうんざりしたが、新・旧の鳥居をくぐれば、それ程高くない所に拝殿が見えてホッとした。 写真下の十二支を描かれている盤状の物は、その年の恵方(縁起の良い方角)を示す「干支恵方盤」である。 奉納された天井絵や額絵が飾られている。天井絵はともかく、額絵は徐々に増えて行ったのだろうが、奉納された当時は色鮮やかだったろう。 この狛犬は比較的新しいものではないか。 神社東側の石段を上ると、段々の木箱から龍の首が突き出た漏刻(水時計)の模型が右側にある。 一番高い箱から夜天池、日天地、平壺、万水(分)壺からなり、それぞれの箱間はパイプでつなぎ、夜天地に水を満たすと、水は順次下にゆっくり流れ、万水(分)壺に溜まる水量で浮き矢が上がり、刻まれている目盛りで時刻を読み取る構造になっている。 |

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