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最初にことわっておきますが、私は宗教家ではありません。 仏教の流れはくんでいますが、熱心な信者ではないし。 キリスト教の学校に行っていたので、キリスト教も学びましたが、洗礼を受けたりということもありません。 ただ、人間心理をつきつめていったら、ブッダの言葉にたどりついた、そんな感じです。 まぁ、私流に言うと「ブッダファン」なのですw 今日は、だからちょっとその辺のお話を。 法句経160番にこんな言葉があります。 まことに自己(おのれ)こそ自己の救護者(すくいて)である。 いったい誰がこの自己の外に救護者となりうるものがあろうか。 よく制せられた自己こそ、吾らは他にえがたき救護者を見出すことができる。 (法句経講義/友松 圓諦より抜粋) 人間はたった一人で生きることはできません。 それが過ぎると、とかく何かに依存しがちです。 その依存が、人との距離感も難しくしてしまうような気もします。 私も以前はかなりの依存性格でした。 愛する人に、家族に、友人に、その他のいろいろなモノに、いつも精神的に依存していました。 一人でいる寂しさに耐えられなかったのです。 でも闘病で、否応なく自分との闘いに投げ込まれて、気付きました。 「こうして苦しんでいる時、誰かが身代わりになってくれるわけではない」 「人間、死ぬ時は一人なのだ」 「自分を救えるのは自分だけだし、最終的に頼れるのは自分だけなのだ」 「自分の人生は、自分で責任をもって生きなければ・・・」 そしてこれに気付いた時、周りの人への感謝の気持ちがどっとわいてきました。 人はそれぞれ、自分の人生を頑張って生きてる。 その上で、こうして優しくしてもらったり、辛い時に助けてもらったり、それはなんてありがたいことなんだろう! 人は孤独なんだと気付いた時、それが私の依存からの脱却の瞬間だったような気がします。 精神的依存は辛いのです。 自分以外の人になぐさめを求めても、モノになぐさめを求めても、それは限りがなくて、永遠に満たされることがないから。 とっても苦しいのです。 だからブッダは、様々な執着から脱却することを説いていたのですね。 ブッダは宗教家でありながら、鋭い心理学者でもあると私は思っています。 私が専門にやってる心理学で目標にしている「自律心」。 それをこんなに上手に表現されているのだから。 誤解しないでいただきたいのは、この言葉は「自分一人で生きていける」という独善的な意味ではないということ。 依存や執着ではない距離感をもつことだと、私は理解しています。 自分の人生に責任をもって生きる。 そういう独りで生きる強さをもてると、他人の人生も尊重できます。 そうすると、適度な距離感がみえてくる。 自分を大切にし、同じように他人を大切にできる距離感。 私は今、それを実践しています。 だからこんなに能天気でいられるのですw 悩んでも仕方ないこと(過去の出来事、未来におこるかもしれない不安なこと)は必要以上に悩まない。 今を大切にして、その場その場の対処をしっかりやっていくこと。 他人を変えようとしないこと。 これだけでもずいぶんラクに生きられますよ♪ よかったら私の尊敬するブッダ師匠の言葉も読んでみてください。 なるほど、と思う言葉がたくさんみつかると思います。 って、なんで急にこんな記事?って思われたでしょうねw 実は私、9月からみっちりがっちり雇用されることになりまして。 オンラインの時間が今より減るだろうと予想しているのです。 だから、書きたいことは今のうちに!って、ちょっと焦ったりもしてるわけですw 私と毎日のように話せるのは今月いっぱいだよー、いそげ〜! って、何を?って感じですが(ワラ。 まぁ、9月からもマイペースでやっていきますので、これからもよろしくお願いしますね♡ 長くなったけど、読んでくださってありがとう。 最後に一言・・・ 私は自分が好き、そして、仲良くしてくださる皆さんのことも大好き! 同じ時間を過ごすなら、なるべく楽しくネ! そして、素敵な人生にしましょうねヾ(●゚∀゚●)ノ
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▽心理 / メンタルヘルス▽
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心理カウンセラーとして。
主に自分の体験をもとにした記事を書いています。
体の病気と同じく、心の病気も予防が大切です。
心のケアの大切さを伝えていきたい。
私の記事が、なにか考えるきっかけになったら嬉しいです。
皆さんの心が軽くなりますように☆
主に自分の体験をもとにした記事を書いています。
体の病気と同じく、心の病気も予防が大切です。
心のケアの大切さを伝えていきたい。
私の記事が、なにか考えるきっかけになったら嬉しいです。
皆さんの心が軽くなりますように☆
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最近はちょっとバタバタしてて、落ち着いて記事を書くことができませんでした。 今後もちょっと忙しくなりそうなので、その前に書いておきたいことがあるのです。 とても大事な、私の想い。 このチャンスを逃したら、先延ばしにしちゃいそうなので。 ちょっとヘビーな内容になるかもしれませんが、お時間ある方はお付き合いいただけると嬉しいです。 私は2年半前に闘病生活に入りました。 闘病は入院ではなく、自宅療養で、1年くらいは外にも出れない、人にも逢えない状況が続きました。 詳しい内容はここでは省きます。 私が伝えたいのは、病気のことではなく、その間の心の葛藤、そしてその間に得たもの、だから。 その期間中は外にも出れない状況で、毎日、病気そして自分との闘いでした。 本当にしんどくて、症状がピークの頃は、毎日のように「死にたい」って、そればかり思ってました。 でも、自殺する勇気はないから、寝れたらそのまま目が覚めなきゃいいのに、なんてことを考えてました。 寝ることすらできない状態だったのです。 何をする気力も体力もなくて、ただ一日をやり過ごすことの繰り返しで、生きていることすら辛かった。 それでも私が乗り越えられたのは、支えてくれた人達がいてくれたからです。 身のまわりの世話をして、時には叱ってくれた家族。 毎日電話くれて、私の泣き言を聴いてくれて、励ましてくれた彼。 メールで話をしてくれた友達。 大げさに聞こえるかもしれないけど、命の恩人です。 私に生きる気力をくれたんですから! 私はこの闘病でいろいろなことを学びました。 自分だけの力では、どうにもできないことがあること。 死を受け入れるということ。 治癒を待つ、忍耐。 周りの人への感謝の気持ち。 そして、今まで私はなんて勝手気ままに生きてきたんだろう、という反省。 それから、健康で普通に生きていられることの幸せ! 私はこの闘病中に、一度死んだも同じでした。 あの時支えてくれた人達によって、もう一度命を与えられたんだと思っています。 そして、こうしてまだ生きているということは、私にはこの世でやるべきことがあるんだと感じました。 自分の才能を活かして、人の役に立つこと。 それが私の人生の目標です。 私は医師でもないし、頭も良くないけれど、生きることの素晴らしさを知っています。 死にたいくらい辛い方の気持ちもよくわかります。 心理カウンセラーとして、そんな辛い思いをされてる方に接していけたらいいな、と思っています。 そして、その方なりの幸せな人生を一緒に探していけたらいいな、と。 たいしたことはできませんが、健康で普通に生きられる幸せを伝えていきたいです。 私が「縁」と「感謝の気持ち」を大切にしたいと思うのは、この経験があったからなのです。 今でも時々体調不良で、役立たずになる私です。 でもそんな私でも、好きだと言ってくれる人がいる、愛してくれる人がいる、仲良くしてくれる皆さんがいる。 本当に、ありがたいことです。 そして、大事なことを学ばせてくれた、決して丈夫ではない自分の体にも、ありがとうと言いたい。 なにより、生まれてきたことに感謝の気持ちでいっぱいです。 皆さんも、健康で素晴らしい人生をおくれますように! 長くなりましたが、読んでくれて、ありがとう。 この記事で、なにか感じてもらえたら幸いです。 コメ、書きづらかったらスルーしてくださいね。 |
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実は今日、私の誕生日なのです。 今日の記事は、自分の区切りとしても必要だと思ったので、書きます。 家庭のことを晒すのは、私にとって、すごく恥ずかしくて、勇気のいることなんですが。 でも、気合入れて書きます! うちの家庭は、昔からゴタゴタすることが頻繁にありました。 その原因はいつも父親でした。 うちの父親はいわゆる人格障害者なのです。 自分の思い通りいかないと、わめく、暴れる・・・ほんの些細なことでもです。 そして、うつ病になる、不安神経症になる。 私は、子供の頃から、うちの父親は頭がおかしいんだと思ってました。 普通の話が通じないし、父親らしいことなんてしてもらったことないし。 まぁ、ある意味当たっていたのですが。 そんな父親の面倒を、母は一生懸命みてました。 子供の私達より手がかかる父親だったので、母も大変だったのでしょう。 私達には「いい子でいること」を求めてました。 私も姉も、母のことは大好きなので、なるべくそうしてました。 母は「治せと言っても治らない、自分が我慢しよう」という姿勢を貫いていて。 そして、我慢することを私達にも強要しました。 私は、子供らしい感情をおさえて、親に気をつかう生活を強いられました。 その頃からかなぁ、私があまり喋らなくなったのは。 そして、冷めた目で親の共依存関係を観察してました。 思春期には反抗することも多かったですけどね。 それでも父親に振り回される生活はずっと続いてました。 私自信も、素直な性格になれるはずもなく、今まで苦しんできました。 でも、私は変わったのです。 今まで言えなかったことを母に伝えました。 子供の頃から我慢を強いられて辛かったこと、大人になっても心の傷になっていたこと。 母は驚いていたようでした。 そりゃそうですよね、私はあまり感情を出さなかったし。 私がそんなに我慢して辛い思いしてたなんて、想像もしてなかったでしょうから。 今更伝えるのもどうかなって思ったんですが、伝えてよかったです。 その後、母もやっと父親に感情をぶつけてましたから。 まぁ、父親はなんも変わってませんけど。 それでもうちの家庭はちょっと前進したと、私は思っています。 子供の頃の家庭環境ってほんと大事です。 私は子供らしい子供時代を過ごせなくて、それをだいぶ引きずってしまったけど。 今考えれば、そんな辛い経験をしてきたから、心の勉強をしようと思ったのだし、人の痛みもわかるようになれた。 自分自身、人としてどう生きるか、何が本当の幸せか、そういう大事な発見もできた。 だから結果オーライですね(´∀`*) 今、家庭環境で悩んでる方、もしくは辛い子供時代を引きずっている方に、私は伝えたい! 自分らしい人生、諦めなければ絶対つかめますから! 勇気を出して、自分を大切にしていきましょ♡ はぁー、私自信も禊を終えた気分w 重たーい記事になっちゃってごめんなさい。 読んでくださって、ありがとう♪ さて、今夜は元彼にお祝いしてもらってきます(ワラ。 もう「おめでとう」より「ご愁傷様」っていう年なんですが(゚m゚*)プッ 今日から、心機一転、生まれ変わった私で、また前進していきまーすヽ(´ω)ノ フフ |
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今日はちょっとスピリチュアルなお話になるかもしれません。 うまく文章にできるかどうかわからないけど、書きたくなったので書きます。 ストレートで素直な表現でしか書けないですけど。 よかったら読んでみてください。 私は、もう何年も何年も、自分に問い続けてきたことがありました。 『どうして、私はいつも満たされないんだろう?』 『なんで、こんなに生きづらいんだろう?』 『私は、なんのために生まれてきたの?』 『こんな私で、人を愛するなんてことできるの?』 私、元彼と付き合ってた頃、ケンカするとよく言われた言葉がありました。 「俺をバカにしやがって」 その言葉を初めて聞いたとき、私はとっても驚きました。 だって私にはそんな気持ち、これっぽっちもなかったから。 逆に、彼は怒ると怖いからビクビクしてたくらいで。 バカにする? とんでもない、彼のことすごく好きなのに。 どうして? 私はやっぱり、ちゃんと人を愛することができない人間なの? 何年も何年も、自分に問い続けました。 たぶんここ数年は、その答えをみつけようと、もがきながら自分の内面を見つめる作業ばかりしてました。 そして、最近やっといろんな答えがわかり始めたのです。 それは、なんていうか、目の前の霧がさーっと晴れるみたいに! 私にはそんなつもりはなくても、元彼にはバカにしたような態度に見えた。 今ならわかる。 それは、私が自分に自信がなかったから。 だから、無意識にそんな態度をとって、自分を守っていたのです。 自分を好きじゃなかったから、人を愛することなんてできなかった。 当然ですよね、そんな心の余裕なかったんですもん。 そして、心にしっかりと鎧を着込んでました。 そうやって、無意識に自分の心を守っていました。 今はね、とっても穏やかでオープンな気持ちです。 必要なくなった鎧は、完全に剥がれ落ちました。 自分がこの世に生を受けた意味もみつかりました。 そして、優しくてあたたかい愛も。 自然の素晴らしさも。 私は、マイカーも、高級なお洋服も、高価な宝飾品も、財産になるようなものは何も持ってません。 今は、お金もほとんどありません。 でも、とっても満たされているし、幸せです。 そんな私の変化を、元彼は敏感に感じたみたいです。 彼の態度も変わりました。 以前より、もっと優しくなったし、あたたかく応援してくれます。 そして、私が一番感じたのは、彼が私の前でとってもリラックスしてること。 お互いを大事に思いながら、自然体でいられる。 とてもやわらかい空気に包まれているような、そんな感じ。 私も、人とそんな関係が築けるようになれました。 やっと、ここまでたどりつけた、そんな感じです。 私らしさを見つけるまでの道のり、ほんと長かったー。 遠回りや寄り道もいっぱいしたと思う、でもそれも私の人生。 まだ体調悪いことも多いけど、それも大事な私の体。 今、本当に幸せです。 この時代に、この体で生まれてきたこと、そして皆さんに出逢えたことも、感謝の気持ちでいっぱいです。 長くなったけど、最後まで読んでくださって、ありがとう。 穏やかな癒しを、皆さんにも贈ります♡ 7000コメを自分で踏んだらずより(゚m゚*)プッ |
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もうだいぶ前の話なんですが。 まだ私が元彼と付き合ってる頃のお話です。 ある日の出来事、そして、その出来事から私が学んだことを書きたくて、記事にしました。 それは、私が元彼とデートしてた時のこと。
食事をしようと、レストランのドアに入ろうとしてた時。 ふと振り返ると、歩道を足の不自由な男性が歩いていました。 歩いているといっても、転びそうで、なかなか前に進みません。 ちょっと心配だった私達、お店に入らずにしばらく見てました。 ようやく交差点について、信号待ちをしてる時、男性は転んでしまいました。 「あ! 大丈夫かな?」 顔を見合わせる元彼と私。 すると元彼が、ささっと走っていって、起き上がろうとする男性に手を貸しました。 そして、何か言葉を交わした後、私のところに戻ってきました。 「なんて?」と私が聞くと、「ありがとう、大丈夫ですから、って言われた」と元彼。 男性はこれから横断歩道を渡るご様子。 でも、付き添うことを断られた以上、声をかけることはもうできないね、ってことで。 私達は、男性が見える窓際の席に案内してもらい、何かあったらすぐ助けにいくつもりでいました。 そして、ヒヤヒヤしながら、見守ること数十分。 とても長い時間に感じました。 結局、男性は何度も転びながらも、横断歩道を渡りきり、ゆっくりゆっくりと見えなくなりました。 この出来事で、私が気付いたことが二つありました。 まず、一つめは、元彼っていい男だなってことw いや、前々からお年寄りとかに優しい人だなってことは知ってたけど。 すぐに走って行って手を貸す、という行為が自然にできる人なんだなーって。 若い頃は暴れん坊でめちゃくちゃだったけど、ほんとはずっと優しい人だったんだなって。 人を助けることが自然にできる姿、とってもかっこよかった! そんな男性ってステキですよね♡ そして、もう一つ。 それは、「辛いかどうかは本人にしかわからないことだから、必要以上の同情は失礼なんだ」ってこと。 交差点で何度も転ぶ男性を見守るのは、私にとって、とても忍耐のいることでした。 危険だし、何度も手を貸したいと思いました。 でも、ここで手を貸すのはおせっかいなのだ。 可哀想と思うのは、私達のエゴなのだ。 手を借りずに頑張るんだという男性の気持ちを尊重するのが、今の私達にできる最高のエールなんだと思いました。 心配して、手を貸すばかりが優しさじゃない。 その人を信じて、そっと見守ることが優しさになることもあるんだってこと。 この出来事から、私はそんなことを学びました。 だから、今でも私は必要以上に同情したり、手を貸したりしません。 もちろん、助けが必要な時は喜んで手を貸しますけどね。 これは前に書いた、独立した存在だって認めてるってこととリンクするんです。 私は実体験でそれを学べて、とてもラッキーだったと思っています。 何気ない日常の出来事からも、学べることはたくさんある。 これからも、そうやって日々成長していけたらいいな♪ そして、記事にすることで、皆さんにもそれを伝えていけたらいいなって思ってます。 長くなったけど、最後まで読んでくれてありがとう! 皆さんには、いつも感謝の気持ちでいっぱいです♡ |







