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'''''【公教育を変える挑戦と実験】その1・すべての学校の卒業証書を廃止する<2>'''''
大学や高校は「卒業証書」を発行しないことにしましょう。
なぜなら<学問>にも<学習>にも<教育>にも、本来<卒業>というものは無いからです。
(同じ意味で、高校も、中学校も、小学校も必要ないでしょう)
セレモニーとして<卒業式>をやりたいのであれば、それは<卒校式>という名称でいいのではないでしょうか。幼稚園では<卒園式>という言葉が既に定着しています。
あるいは<お別れ式>とか<出校式>いう名称でいいのでしょう。
大学や高校は、学生が納めた入学金や授業料などの<領収書>を発行することはできるようにします。
なぜなら、それは「事実」である、教育ローンの返済や、税金の控除などに必要だからです。
大学や高校は、学生が授業料を納めて「学生として在籍していた期間」を証明する<在籍証明>も発行できるようにします。
なぜなら、それも<事実>だからです。
「通ってもいなかった学校に通っていた」という<経歴詐称>は、嘘だから、それを容認するわけにはいきません。
私たちは、'''<学習歴>と<学校歴>を区別するべき'''です。
「入学金を納めて入学した」「授業料を納めて通学していた」とか「○年○月から□年□月まで在籍していた」というのは<学校歴>です。これは学校(大学や高校)という第三者の証明は不可欠でしょう。
'''しかし、<学習歴>は極めて、個人的であり、なおかつ、個人差の激しいものです。'''
同じ書籍、教科書、講義から得る<吸収度><理解度><応用度>などは、個人差が数倍どころか数十倍、数百倍にもなることがあるのです。
しかも、昔から書店や図書館に膨大な書籍が存在していて、さらに、インターネット上に豊富な知識や情報が蓄積されるようになった現代にあって、<学習>は、学校だけで実践されるものではありません。
ましては、<学校>や<教室>という限定された空間では、「体は出席していても心は欠席している」ということが避けられない以上、出席日数や受講単位を云々することは、とっくに意味を持たなくなっているのです。
きょうのニュースでは「経済財政諮問会議で、民間議員が、国立大学の入学試験日を5グループ程度に分散させることを提案した」というのがあります。↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070605-00000016-san-soci
こんなことは、国立大学が独立行政法人となったときから、「当然のこと」として判っていたことです。
経済財政諮問会議なんかの提案を待たずに、全ての国立大学は、それぞれが自由に試験日を設定すればいいのです。「東大の試験日と同じにするか」「別にするか」も、大学経営には重要なことなのですから・・・・・
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