「世界に誇れる国」を目指して! by 日本どうする研究所

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   【「世界に誇れる国」とは?】 「誇れる国」に求められること<その11>

「世界に誇れる国」であるための条件には、「誰もが自由に自分の夢を描ける国」であることも含まれるでしょう。

どんなに自由な国であっても、自分の将来を自分で描けないのであれば、そんな国は「誇れる国」でもなければ「愛せる国」でもありません。

いまは豊かな国であったとしても、将来の夢が自由に描けないのであれば「豊かな人生」にはなりません。

「誰もが自分の夢を描ける国」とは、自分の人生を自分で決められる国ということでもあります。

「誰もが自分の夢を描ける国」とは、自分が住んでいる国を自分の望むように変えることもできる国ということでもあります。

「誰もが自分の夢を描ける国」とは、世界中のどこにでも行ける国であり、世界中のどこの国にでも移住することができる国ということでもあります。
人によっては「もう日本はそれが実現できているのではないか」という人も多いでしょう。

かく言う私自身もその認識です。

問題は、「国としては実現できている理想」なのに、それを個人一人一人のレベルで見ると、まだそれを享受できない人が多いことです。

自分の人生の「夢」を描き、その夢に向かって生きていくことの楽しさを教え、充実感を体験させていくことも「社会的な教育」の役割ではないでしょうか。

   【「世界に誇れる国」とは?】 「誇れる国」に求められること<その10>

「世界に誇れる国」であるための条件には、「歴史と伝統がある国」「独自の文化を大切にしている国」であることも含まれるでしょう。

日本には「長い歴史」と「独自の文化」は確かに有るのですが、意外にも、それを「大切にしよう」とは思っていない人が少なくないのかもしれません。

もちろん、どこの国でも「長い歴史を持っている」は「世界に誇れる」ことでもあります。

しかし、「長い歴史と文化を大切にしている」からといって、それがそのまま「保守的な体質を保持する」ことではありません。

「歴史と伝統、独自の文化を大切にしている国」でありながら、
「初めてのこと・困難な課題にあえて挑戦していく国」でもあり、
「いつも自らを積極的に変革している国」でもあることを目指したいのです。

そのことを、例えば「天皇制」で考えてみましょう。

日本人の中には「天皇制に反対している」人もいます。しかし、「天皇制が続いていることを長い歴史の証として誇りに思っている」人もいます。

長い歴史と伝統を有し、独自の文化を形成してきた天皇制を、政治から切り離して「国民統合の仕組み」として残し、別途に民主的な政治形態を運営していく、という智恵と実践は「世界に誇れる」ことではないでしょうか?

もちろん、その天皇制に「変革」が必要であれば、「自ら積極的に変革していく国」であれば、それも「世界に誇れる」ことではないでしょうか。

「皇位の継承」を、時代とともに変化させて、天皇制そのもんを永続させていくことは、大多数の国民は支持しているのではないでしょうか。

20年か30年に一度、もしくは天皇の代替わりの度に、「天皇制の存続を問う」国民投票を実行して、国民大多数の支持を絶えず確認しながら天皇制が続いていけば、そのことも「世界に誇れる」ことだと思います。

王制や天皇制は、一度廃止したら、それを復活させることはもうできないのです。無理に復活させても「国家の危機」を生み出すことになるだけなのです。

新興国では「長い歴史」も「伝統文化」も一朝一夕では築けないのです。

【「世界に誇れる国」とは?】 「誇れる国」に求められること<その9>

「世界に誇れる国」であるための条件には、「いつも自らを積極的に変革している国」であることも含まれるでしょう。

必要な時に、必要な変革を、自らの意志で実行できる国です。

長期間続いた権力者が必ず腐敗していくように、長期間続いた大国も必ず衰退していくようです。

それは「自己変革」を怠ってしまうからなのです。

いや、「怠る」と言うよりは、「自己変革の必要性を感じなくなってしまう」からなのでしょう。

自己変革の必要性を感じたとしても、「何をどのように変革すればいいのかが判らなくなってしまう」からなのです。

いまの日本が、ちょうどそれに相当するのではないでしょうか?


「変革の必要性」は与党も野党も、右も左も中間も叫んでいます。
政治に関心の高い人も、政治にはまったく関心を示さないような人でも
「日本は変わるべきだ」と言います。

いま日本は、憲法も、政治制度も、教育制度も、税制も、何もかも変革しなければならない時期に来ているのではないでしょうか? 

その程度の認識は多くの人に有るでしょう。

しかし、問題は、どこを、なぜ、どのように変革すればいいのかも合意が形成できないのです。


当Blog「日本どうする研究所」では、その変革すべきことを

    「日本を変える最初の一手・次の一手」
    「日本から始めたい100の挑戦」
    「日本を変える1000の実験」
    「日本を理想の国にするための10000のアイデア」

というタイトルで書いていきます。

 その「自己変革」の成果と手法が世界各国に波及していけば、それが結果として「世界に誇れる国」になっていくことではないでしょうか?

   【「世界に誇れる国」とは?】「誇れる国」に求められること<その8>

「世界に誇れる国」であるための条件には、「国民の誰もが公平、公正、平等に扱われている国」であることも含まれるでしょう。

日本は、いまのところ総論(大筋)では「誰もが公平、公正、平等に扱われている国」であると言えるでしょう。

しかし、各論(一部の関係)では、意外と「不公平な制度」「不正に近い制度」「不平等な関係」が残っています。

天皇制がありますが、それを「不公平な制度である」とか「平等の精神に反する」という理由で反対している人は極めて少数です。

親と実子の関係は「公平」で「平等」でしょうか?

男と女の関係は、本当に「公平」で「平等」でしょうか?

大人と子供の関係は、「公平」で「平等」でしょうか?

教師と生徒の関係は「公平」で「平等」でしょうか?

会社と社員の関係は「公平」で「対等」でしょうか?

公務員と一般国民との「待遇」は「公平」で「平等」でしょうか?



選挙で選ばれた首長、議員と、有権者の関係は、「平等」でしょうか?

「誰もが公平、公正、平等に扱われる国」は、他国にも、それが実現されていることを強く望むものです。その実現を支援することが求められています。

その点、日本は、「公平と平等を要求してくる国」に対して、「自国の国民に対してまず公平で平等であるべきだ」と諭すことができる国でしょうか?

建て前だけで「公平、公正、平等を謳っている国」に対して、その欺瞞を指摘することができる国でしょうか?

「自国さえ幸せであれば他国はどうなってもいい」と思っている国は、「誇れる国」でしょうか?

   【「世界に誇れる国」とは?】 「誇れる国」に求められること<その7>

「世界に誇れる国」であるための条件には、「困難なことに積極的に挑戦していく国」であることも含まれるでしょう。

「困難なこと」とは、不治の病と諦めていた難病の治療方法を確立することです。

貧困と不公平な経済格差の解消に取り組んでいくことです。

クリーンで無限のエネルギーを開発することです。

宗教による対立や紛争、部族による対立や紛争の解決に注力していくことです。

他にもまだあるでしょうが、人類が抱え続けてきた困難な問題を解消していくことにも、国を挙げて取り組んでいく日本であることが、世界に誇れる日本の理想的な姿の一つではないでしょうか。

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