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ドミトリー・アナトリェビッチ・メドヴェージェフの横顔
12月10日、プーチンが「統一ロシア」など4政党のメドヴェージェフを大統領候補にとの勧告を受け入れたことで、来年5月以降のロシアの新大統領に事実上決まったメドヴェージェフの横顔、次のとおり。
1、 生年月日:1965年9月14日
2、 民族:ロシア人
3、 家族:
・ 父親:アナトリー・アファナシエビッチ・メドヴェージェフ、レニングラード技術大学教授、2004年死去、
・ 母親:ユリア・ベニアミノブナ、言語学者、ゲルツェン名称教育大学で教鞭、後に博物館ガイド
・ 兄弟姉妹:なし。一人っ子
・ 既婚:1989年結婚、妻・スベトラーナ;同じ中学校の同級生、金融経済大学卒
子供;息子イリヤ、1996年生まれ
4、 学歴;
・ 1987年レニングラード大学法学部卒業、同大大学院進学、同大民法学科助手就任、
・ 1990年法学博士候補号取得(ロシアは西側のPh.Dに相当と主張。)論文テーマ;「国営企業の民法上の法主体性の実現の諸問題」、
・1999年までレニングラード大学法学部で教鞭、助教授。民法の教科書の共著者。
5、 職歴・活動歴;
(1)1989年、ソ連邦人民代議員会議選挙でサプチャクの運動に参加
(2)1990年中頃、サプチャク・レニングラード市長の補佐グループに入る。(プーチンもこのグループの一員であった。)
(3)1991年6月―1996年6月:サンクトペテルブルグ市庁対外関係委員会に法律専門家として勤務。同委員会の長がプーチン。この間、スエーデンに留学。(プーチンは、専門家が必要なのでレニングラード大法学部に依頼、同大法学部がメドヴェージェフを推薦したとしている。他の人の証言によると、プーチンより1ヶ月くらい早く委員会にきていた由)
(4)1999年11月9日:政府官房副長官に就任。
(5)1999年12月31日:プーチン大統領代行により、大統領府副長官に任命(長官はアレクサンドル・ボローシン)
(6)2000年2月15日:プーチンの選挙対策本部の長に就任
(7)2000年6月3日:プーチン大統領により大統領府第1副長官に任命
(8)2000年6月30日:チェルノムイルジン元首相に代わって、「ガス・プロム」取締役会議長に就任、2001年6月、そのポストを他の人に譲る。しかし2002年6月、同ポストに復帰。
(9)2003年10月30日:ボローシン辞任に伴い、大統領府長官に就任。プーチンは、彼はリベラルで、民主主義や市場経済を発展させる人であると述べた。
(10)2003年11月13日:安全保障会議議員に就任。
(11)2004年6月:ガス・プロム取締役会議長に再選
(12)2005年6月14日:第1副首相に任命、大統領府長官退任
(13)2007年12月10日:統一ロシアなどの大統領候補に。
6、 その他:
・ ガス・プロム以外に、林業関係ビジネス(イリム・パルプ・エンタープライズなど)に関与した経験がある。
・ 趣味:学生時代はロック・ミュージックと写真、格闘技などに関心。
・ ユーコスのホドルコフスキー逮捕のとき、法執行機関に慎重さを求める発言をし、また今のクレムリンのイデオローグ、スルコフの「主権民主主義」論を民主主義に形容詞はつけるのはどうかと批判したことなど、がある。
・ プーチンがレニングラード市の対外関係を担当していた頃、非鉄金属の輸出許可を乱発したとのスキャンダルが発生しそうになったが、メドヴェージェフが法律専門家としてこのスキャンダルが騒ぎになることを防いだ、これがプーチンが、メドヴェージェフを大切にする理由であるという説がある。この説の真偽はわからないが、あまりにも穿ちすぎの説であると思われる。
(文責:茂田 宏)
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