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北方領土関連資料:ヤルタ協定の舞台裏

1、最近、1988年に刊行されたグロムイコ回想録第1巻のpp.188-191を必要がありロシア語から翻訳した。関心のある人には興味があると思うので、それをここに掲載する。

この関連で一つの意義深いエピソードが思い出される。コレイザからリバディア宮殿(米代表団の宿泊場所で、会議の一般会合の場)に会議のために出かける前の朝であった。ルーズベルトが特別な伝令を通じてスターリンに書簡を送ってきた。スターリンには大統領からの大急ぎの包みにつき、即刻報告がなされた。
この時、私は脇屋にいた。スターリンのところにすぐ来るようにとの呼び出しを受けた。
彼の部屋に入った時、スターリンはそこに一人でいた。挨拶をした後、私は「相当に緊張した会議の始まりの後、ご気分はいかがですか」と尋ねた。
スターリンは「全く正常だ」と答えた。
しかし私は彼が個人的な気分ではなく、全く別の心配事を考えていることに気付いた。
スターリンは私に紙を差し出し、「これはルーズベルトからの手紙だ。自分はこれを受け取ったばかりだ。」と言った。
そしてすこしゆっくりと付け加えた。
「君、この手紙を口頭で私に翻訳して欲しい。会議前に聞くだけでもその内容を知りたいのだ。」私は歩きながら翻訳をした。スターリンは自分が話すに従い、いくつかの文言の内容を繰り返すように要請した。手紙はクリル諸島とサハリンに関するものであった。ルーズベルトは日本の占領下にあるサハリン島の半分とクリル諸島に対するソ連の権利の米国政府による承認について通知していた。
この手紙でスターリンは大変満足した。彼は部屋の中を歩き回り、声に出して繰り返した。
「ハラショ。オーチン・ハラショ。」
私は指摘した。
「今とっている立場によって米国は1905年に彼らが日本に同情したことに関し、我々に対しあたかも名誉回復をしているかのようである。そのとき、ポーツマスで、露日戦争後、政府の長であったウイッテ伯爵が率いたロシアの代表団と日本の代表団の間で講和交渉が行われた。当時、米国は本質的にロシアからその領土を取り上げることで日本を助けた。」
スターリンが米国が「名誉回復しようとしている」との意見を完全に共有していることがすべてのことから見て取れた。
スターリンは手紙の内容を考えながら何秒間か黙っていた。その後、声に出して自分の考えを言い出した。
「この手紙は重要である。アメリカはいまクリルとサハリンについての我々の立場の正義を承認した。アメリカ人は多分これで日本に対する戦争にソ連が参加する問題について自分の立場に固執するだろう。しかしこれは別の問題で、それについては、話し合いがなされる。」
全体としてスターリンが手紙に大変満足していることが感じられた。彼はまっすぐにそう言明した。
「ルーズベルトがこういう結論に到達したのはよいことである。」
スターリンはこの会話を次の言葉で締めくくった。
「アメリカは良い立場をとった。これは米合衆国との将来の関係の見地よりも重要である。」
スターリンが隠そうともしなかった満足とともに、私は彼の様子から彼が未だ何か心配していることに気付いた。
そこで私は質問した。
「同志スターリン。私は多分もう出て行ってよろしいでしようか。」
しかしスターリンは突然私に質問した。
「君の意見では、ルーズベルト、彼は賢い人間なのか、言って見てくれ。」(注:この後、グロムイコがルーズベルトは賢明で有能である、大統領4選を果たしたこと自体がそれを証明するなどと説明したことが記されている。)
スターリンは簡潔に指摘した。
「彼はこれを実に巧妙に行った。そう、すべてがそうなければならないようになされた。」
そのとき、彼の顔には抑制された善意の微笑が現われたが、私はそれを「連帯の微笑」と呼んだだろう。私はこういう彼の顔の表情が彼に肯定的な感情が沸き起こった時、彼が好意を持つ人について話が始まった時に、出てくることに一度ならず気付いていた。
そしてスターリンの「すべてがそうなければならないようになされた」との指摘自体がスターリンがルーズベルトの成功に大変好意的に向き合っていることについて何の疑念も残さなかった。もっとも彼は以前にも一度ならずこの点について自分の意見を言っていた。
部屋を出て行きながら、私はスターリンの機嫌、ルーズベルトの手紙に書かれた米政府の立場への彼の満足が、当然3首脳のクリミヤ会合、約1時間後に始まらなければならない会議に大きな影響を与えるだろうと考えたことを自分は隠さない。
この日、より遅い時間に、モロトフがルーズベルトの手紙の内容を知らされていることが自分にわかった。
ルーズベルトの手紙の受領の前にいくつかの出来事があった。
まだテヘランにおいてルーズベルトは日本に対する戦争でソ連が米国に援助を提供する問題をスターリンに提起した。ファシスト・ドイツに対する西部第2戦線の連合国による開設と東部でソ連が米を援助する用意とはワシントンにより結び付けられていることは全く明らかであった。そのときに米とソ連間で一般的な理解が原則として達成されたが、まだそれは合意とは見なされなかった。テヘランではこの点について共同議事録さえ作られなかった。
ルーズベルトがこの手紙でスターリンに日本によって占領されているサハリンの一部とクリル諸島がソ連に返還されなければならないと公式に知らせた後、ヤルタでこの問題について双方とも最終的な言葉を述べた。これが、スターリンが私に言わせると特別の満足を持ってルーズベルトの手紙を、その内容を知った後、手に握り続けた理由である。あたかも受け取ったものを手放したくないかのように、スターリンは手紙をもって事務室になっていた部屋を歩きまわった。私が彼のところを出た時にも、スターリンは手の中にその手紙を持ち続けていた。
その日、私はより注意深くスターリンとルーズベルトを観察した。私はたぶん両者共に彼らの関係で重要な境界が乗り越えられたと考えたと思った。
本当のところ、ルーズベルトはスターリンが極東で米に対し援助を供与するとの約束を守るか否か、それでも若干の疑念を抱いていた。良く知られているように、ソ連は自分の言葉を守った。
サハリンとクリル諸島問題と第2戦線問題についての米大統領とその政権の立場がかなりスターリンのルーズベルトへの態度、人間としての彼への態度を説明すると言うことができる。
その後、会議では原則として、日本に対する戦争へのソ連の参加の条件が合意された。ソ連政府はわが国が欧州での戦争終結後、2-3ヵ月後に極東で軍事行動を始めると宣言した。

2、この回想録刊行直後、私は道新の記者にこの部分を翻訳掲載することを勧め、道新にはこれと同内容が当時掲載された。したがってこれは本邦初出ではない。
〔文責:茂田 宏〕

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こんにちわ、勉強になります

2010/8/12(木) 午後 10:07 [ 俺はい漢和 ]

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ヤルタ協定(1945年2月)

1945年2月に署名されたヤルタ協定では、樺太の南部及びこれに隣接するすべての島はソ連に「返還する」こと、及び千島列島はソ連に「引き渡す」ことが書かれています。
ソ連は従来から、北方領土問題についてヤルタ協定を引き合いに出していました。

しかし、ヤルタ協定は、当時の連合国の首脳者の間で戦後の処理方針を述べたに過ぎず、日本はヤルタ協定に参加していないため、この協定に拘束されることはありません。
また、そもそも同協定の内容はカイロ宣言に反しており、また米国政府も1956年9月7日のこの問題に関する同政府の公式見解において、この協定に関する法的効果を否定しています。

2013/1/1(火) 午前 11:06 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]


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