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朝鮮併合100年に関する菅総理談話(雑感)
1、8月10日、菅総理は日韓併合条約100年に当たっての談話を出した。
当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって民族の誇りを傷つけられたとした上で、歴史に誠実に向き合い、歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さをもち、自らの過ちを省みることに率直でありたいとし、多大の損害と苦痛に対し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
その上で、未来志向の日韓関係の構築への意欲を表明し、朝鮮王朝儀軌などの引渡しの意図を表明した。
2、私はこういう談話の発出の正統性に大きな疑問を持っている。請求権問題の蒸し返しのおそれが指摘されていたが、そういう次元ではない疑念をもっている。
第1:こういう談話を推進している人は、「正しい歴史認識」と言うものがあり、政府がそれを表明すべきであると考えている。
しかし日本はリベラル・デモクラシーの国である。思想・信条の自由はリベラル・デモクラシーが成立するための必須の条件であるが、各人の歴史認識は各人の価値観や信条体系と不可分に結びついている。
日本には唯物史観も皇室史観も自由主義史観もある。そういうなかで、国家権力がある史観が正しいと表明することは思想・信条の自由に反する。場合によって思想弾圧につながる。
私はブレジネフ時代の1967年にモスクワ大学歴史学部にいたが、フルシチョフ時代に書かれた「大祖国戦争史」がフルシチョフの活躍ぶりを大げさに書いており正しくないということで、歴史学者が動員され、「正しい歴史」を書く作業が行われていた。共産党独裁国家ソ連では、共産党史も「正しくする」ために何度も書き換えられた。
独裁国家や全体主義国家では、「正しい歴史認識」を皆が持つように奨励され、政治権力が公定した歴史認識に反する研究や意見発表は弾圧される。今の中国では、義和団事件について公式見解に反する見解を表明した学者が弾圧の憂き目に会うなどのことが起こっている。
戦前の日本でも楠正成はいいが、足利尊氏はよくないというような歴史観が「正しい歴史認識」とされた。
仏でアルジェリアの植民地支配の評価を巡って政治的な論争が起きたとき、シラク大統領は「仏の歴史は単数ではない。複数である」と述べた。これがリベラル・デモクラシーの国の指導者のあり方である。
リベラル・デモクラシーは多様な歴史認識を許容すべきであり、歴史認識の問題は各人の問題であるとしてそれに立ち入らないようにすべきである。
こういう談話が弾圧につながるなどというのは大げさであると考える人がいると思うが、こういう事柄については、細心の注意がいる。2-3年ほど前に田母神空幕長が戦後50周年の村山談話を否定するような見解を明らかにしたと言うことで、退任させられた。これも一種の弾圧と言えないこともない。
第2:菅総理は歴史の事実を受け止める謙虚さをもち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと述べたが、この談話は謙虚と言うより傲慢である。
伊藤博文は朝鮮併合に反対であったが、時の閣議で併合することに閣内が一致したことを受け、最後にしぶしぶ併合を認めた。
伊藤をはじめ、明治の元勲たちは国の独立を保つために命がけで尽力した人たちである。帝国主義の時代の中で、国の独立を保ち、強国としての地位を築くことを必要と考えた明治の元勲を「過ち」を犯したと断罪する資格は我々にはない。菅総理や仙石官房長官が、明治の元勲を批判する資格があるのかを問えば、多くの人がないというであろう。
その時代の状況を無視し、その中で明治の元勲が熟慮の上に行った判断を、こういう談話で批判するのは謙虚と言うより根拠のない傲慢であろう。
第3:外交上、こういう謝罪が意味をもつことはある。しかしリベラル・デモクラシーの本質を考えれば、歴史問題で談話を出し、外交関係を上手く運ぼうとする誘惑には簡単に身をゆだねるべきではない。
私は村山談話の頃、韓国で公使をしていた。当時は、国会での50周年決議が問題で、私もある自民党幹部からその文言について相談を受けたりしていた。この決議には反対の議員も多く、全く予期しない状況で採択された。それで総理談話を出そうということになって、村山談話が出された。しかしその後もこれについての批判があり、日韓間の歴史問題は残った。
各民族にはそれぞれの歴史認識がある。英国の教科書は長い間、米国建国の父ジョージ・ワシントンを反逆者と呼んでいた。
私の得た教訓は、異なる民族がその歴史認識を一致させることはほぼ不可能な事であり、それを政府が試みることは、外交に負担をかけるだけで、利益は小さいということである。反って関係を悪くしかねない。
3、今回の菅談話は村山談話を踏襲したもので、文化財の返還以外に新しい点はない。これで未来志向だけの日韓関係を開くと言う効果はないであろう。言い換えれば、日韓の歴史認識を巡る論争は今後も続く。
我々は韓国側の歴史認識にも寛容に対応し、彼らの苦難に同情の意を表明しつつも、出来もしないこの問題の解決を求めるのではなく、問題が生じるたびに日本の立場も踏まえてそれをマネージしていくしかない。
〔文責:茂田 宏〕
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ドイツがかつてのナチスドイツの行為を謝罪したことについてはどうなのでしょう?これも一つの国家による歴史の公式見解ですが。
政府が自国の歴史についての見解を表明するのは問題ないと思います。というか、表明せずに国家間関係ってやっていけるものなのでしょうか?
問題は、政府見解を国民に押し付けるかどうかの問題なのではないでしょうか?政府見解を国民に強制する国家は大問題ですし、反対していかねばなりません。
この二つは、まったくの別問題だと思うのですが、いかがでしょうか?
2010/8/13(金) 午後 6:04 [ 通りすがり ]
コメント、ありがとう。
ドイツはナチスのユダヤ人虐殺という犯罪について謝罪していますが、戦争についての謝罪は明確にはしていません。ホロコーストは歴史認識の問題と言うより犯罪の問題であると私は考えています。当時の列強が是認した日韓併合の問題とは次元が異なります。
リベラル・デモクラシーの政府は、歴史観のような価値の問題に踏み込む際には、謙抑の姿勢が必要であると思います。対外的表明と国内での話は貴兄が言うように切り分けられないと考えます。
戦争責任論は第1次大戦後の現象です。そしてそれは国家間関係を良くするよりも反って国家関係に害を及ぼしてきたと思います。
私は貴兄が言うように対外的な歴史認識表明と国内での押し付けが全くの別問題ではないと考えています。
なおドイツではヤスパースの整理に従い、すべてをナチスのせいにして、ドイツ国民や国防軍を免罪しています。私は戦争を支持した日本国民がすべてを軍国主義者のせいにしないで、いろいろと考えてきた方がずっと真摯な姿勢であると考えています。
2010/8/13(金) 午後 11:25 [ 茂田 宏 ]
茂田宏先生
その節は大変お世話になりありがとうございました。
さて、表題の件に関連しまして、ある友人から「処分的条約」
なるものがあって、一旦条約を結ぶと過去の事は問わないと言う条約だそうですが、探しても見つかりません。
もし実在するならば、管総理の発言は可笑しいと思いますが。
よろしくご教授のほどお願いします。
2010/8/17(火) 午後 4:44 [ nittai ]
処分条約というのはたとえば領土を割譲する条約のようなものを言います。条約の目的が領土割譲条約の場合、領土が割譲された時点で達成されて、それで終わりになります。継続的に権利義務関係が継続しない、1回の給付で終わりになるという条約です。
日韓請求権については、完全かつ最終的に解決されたということですから、処分条約かどうかの議論はしなくても、請求権を蒸し返す余地は条文上、法的にはないということです。
2010/8/23(月) 午後 6:03 [ 茂田 宏 ]
有難うございました。
2010/8/24(火) 午前 9:36 [ nittai ]