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国家と日本の再生について

1、 私は外交官として40年近く勤務をしてきた。その際に指針として来たのはひたすら国のことを思うということであった。外交の現場においては、色々な事件に遭遇するし、その処理で手いっぱいになることも多いが、常に国のことを思うのが外交官の仕事であると考えてきた。
最近の論調のなかで、グローバリゼイションやポスト・モダニズムにより、国家や国家主権が溶解してきているという見解があるが、私は賛成しない。欧州の統合プロセスで、欧州が一つの統合された主権国家になったとしても、この欧州合衆国も国家である。欧州以外では国家の観念は強まりこそすれ、衰退はしていない。中世的秩序が出てきているのではないかと言う観察は根拠薄弱である。

2、 私は国家というのはテンニ―スの定義に従えば、ゲマインシャフトであって、ゲゼルシャフトではないと考えている。特に日本のような民族国家は、ゲマインシャフトである。その構成員は利益を中心に結びついているものではなく、自然的に結びついている。我々の大多数は日本人であることを利益の観点から選択したのではなく、自然に日本人である。
 日本人がこの日本を大切に思う気持ちは自然な感情であり、それは尊重すべきである。愛国心は、世界において普遍的に見られる現象である。
一部の日本人が日の丸の掲揚や君が代斉唱に反対しているが、戦争中の極端な国家主義への反発と連合国側の日本弱体化のための洗脳教育が相まった効果であり、時と共に解消されていくだろう。
「自虐史観」と言われるような問題も時間と共に解消されていくだろう。民族や国家はその歴史、物語を持っている。物語には色々あってよいが、自らを道徳的に間違ったことをした国家や民族として位置づけること、自らを否定するような物語は結局なくなってしまうと私は考えている。国家も人も自己否定ではなく、自己肯定をしなければ、生きていけないからである。
その上、日本の歴史は全体としては誇るに値する歴史である。先の戦争も、人種の平等の思想が国連憲章にはじめて記されたように意味はあった。各国の歴史には栄光も屈辱も素晴らしい点も汚点もある。それは米英を含め、すべての国に当てはまることである。先の大戦を美化することはないが、汚点をも認めつつ、日本の歴史は、全体としては誇りに値するというのが私の考えである。
私はソ連圏の崩壊の際にモスクワに勤務していたが、ソ連圏の崩壊後、最初にフィンランドや東欧諸国で起こったことは、歴史の書き換えであった。ソ連のあからさまな侵略による1939年のソ連・フィンランド戦争を、ソ連側の見解に沿って記述していたそれまでの教科書は改訂された。同じようなことがハンガリーでは、1956年のハンガリー動乱について、チェコでは1968年の「プラハの春」について行われた。
フィンランド化とは何か。それはフィンランド人から、その歴史、物語を奪うことであった。日本も政治の最高指導者が靖国神社に戦没者を弔いにもいけない国ではないかとも言われる。外国の言い分を受け入れたかのような、そういう状況は是正される必要がある。日本民族の物語は複数あってよいが、外国が政治的意図をもって書いた物語は、これを拒否するべきであろう。
韓国の中学校の「道徳」の教科書には、「過去はもちろん未来も我々の安全と福祉の責任を負ってくれるのは国家しかないというのが支配的見解だ」と書いている。人権も国家がなくなれば、保障されない。イスラエルでは、ようやく出来たユダヤ人国家を存続させることが何よりも優先される。日本人はユダヤ人や韓国人のように国家を失ったことはないので、国家の重要性を意識しない嫌いがある。

3、 私がこのブログで取り上げた日本外交の諸問題の元には、敗戦後の日本が置かれた国際的状況とそれへの日本人の反応がある。
戦後、日本人は自衛のため以外の軍事力は持たないこと、その軍事力も攻撃的なものは排除して、防衛的なものにし、ドクトリンとしては専守防衛に徹すること、武器は輸出しないこと、日米同盟以外の同盟は排除することなど、自己規制をしてきた。日本のみがアジアで先進的な工業力と科学技術力を持つ時代にはそういう政策の有効性もあった。しかし時代は変わってきている。日本が脅威を与える心配よりも、日本に対する脅威を心配する時代になった。中露の軍拡、北の先軍政治がある。
私は戦後日本の思想の総点検を行うこと、そして不必要な自己規制を撤廃し、日本人の力をいたずらに抑えることを止めることが、日本外交の再生、ひいては日本の再生につながると考えている。
1946年憲法をはじめとする戦後日本の迷妄を明確に批判し、拒否することが必要である。
日本は今苦境にある。苦境の際に日本を救ってきたのは、秩序感覚に優れた、勤勉で有能な一般国民であって、エリートではなかった。経済の面でも規制を出来る限り撤廃し、国民の真価を発揮させるところに再生のカギがある。

4、これでこのブログは終わりにします。長い間、読んでいただきありがとうございました。皆さん、よいお年をお迎えください。
(文責:茂田 宏)

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インテリジェンス強化問題

1、 私はモスクワで外交官として働き始めたが、KGBが大使館を盗聴する、館員を情報提供者にしようと試みるなどの中で、インテリジェンス機関はけしからんことをするという気持ちを持った。
しかしその後、色々な経験を経て、外交は的確な情報、それも独自な情報、それに基づく情勢判断を踏まえて行う必要があり、独自情報なしに独自外交もないと考えるに至り、かつ国家安全保障のためには、他の大国と同様、対外インテリジェンス機関を日本も保有すべきであると考えるに至った。
戦後、連合国は日本を弱体化することがよいとの観点から、諸政策を展開したが、その一つが、日本からインテリジェンス機能を奪うということであった。結果として、戦後の日本には国家機能の重要な機能である対外インテリジェンス機能が欠落してきた。
もちろん、外務省、防衛省、警察庁、法務省、内閣調査室などが、その業務の必要上インテリジェンス機能をある程度果たしているが、不十分である。

2、 インテリジェンスをめぐっては、多くの課題があるが、重要なのは次の通り。
第1:対外インテリジェンス機能の欠落を是正するために、対外情報庁を作ること。「ウサギは長い耳を持つ」ように、今の日本には、情勢への敏感さが要る。
第2:この対外情報庁は政策当局からは独立し、客観的な情報や情勢判断を政治指導部に提供する仕組みとすること。
政策機能と情報機能は分離しておかないと、時の政府の政策的嗜好を支持する情報が優先される危険がある。情報は政策立案・遂行に誤りなきを期するためのものであるが、「政治化された情報」は排除する必要がある。
戦前の日本は今よりはましであったが、それでも情報軽視の体質があり、それゆえに失敗もした。
「必勝の信念」が強調され、客観的に戦争に負けているとの判断を言うことなど、出来ない雰囲気であり、冷静な情勢判断に基づく政策展開が困難であった。
真珠湾攻撃を行ったのは1941年12月8日であったが、そのたった1週間後にルーズベルト大統領はスターリンに、モスクワ攻防戦でのソ連の勝利に連合国を代表して祝電を送っている。欧州戦線でのドイツの勝利を前提とした日本の戦略は、欧州情勢を緻密に見ておれば、成り立つのかどうかを疑ってみる余地があった。ドイツの春季攻勢に期待するという当時の判断は、希望的観測であったことが事後的に明らかである。
松岡外相が日ソ中立条約を結んだ時に、その延長として4カ国協商(日独伊ソ)を構想していたが、その2カ月後独ソ戦が始まった。ドイツの出方の見通しを誤った。
そういう情勢判断の誤りは、戦前の日本の失敗の多くに見られる。
歴史をみると、国家も国民も集団ヒステリーに陥ることがある。その解毒剤として、冷徹な情勢判断を行う機関を、政策当局とは別に保有しておくことが重要である。
ベトナム戦争の際に、米国では、ベトコンの勢力の評価で情報機関と軍は対立した。軍が戦果を強調したのに対し、情報機関はそうでもないとした。現在のアフガン戦争についても、軍と情報機関との間でタリバンの勢力の評価について同じような対立がある。軍は自らの戦果を強調しがちである。最後は政治指導部が決めることではあるが、こういう議論があることが国を誤らせないことにつながる。
なお平時においても情報が重要な局面は多々ある。
第3:対外情報機能と国内情報機能は峻別されるべきこと。
各国での情報機関のあり方は色々な試行錯誤を経て出来てきたものであるが、明確なパターンがある。
旧ソ連のKGB、朴大統領時代の韓国のKCIA、中国の国家安全部、アラブ諸国のジェネラル・インテリジェンスはすべて、対外情報と国内情報を一緒に扱っている。公安警察的機能を持っている。
これに対し、民主主義国では、対外情報と国内情報は峻別されている。
米国ではCIAが対外情報を、FBIが国内情報を、英国ではMI6が対外情報を、他の機関が国内情報を、イスラエルではモサッドが対外情報を、シンベトが国内情報を受け持っている。ソ連崩壊後、最初になされた改革の一つは、KGBを対外情報機能と国内情報機能に分割することであった。
対外情報の手法を国内で使うことは人権の侵害につながる怖れがあり、人権を尊重する立場からこういう峻別がなされている。日本も当然そうすべきであろう。
国内情報については、法執行機関が法に基づき行うべきである。国家安全保障のための対外情報はその目的を踏まえ、別に組織されるべきである。手法も独自のものであるべきである。
現在の内閣調査室は国内情報と対外情報を一緒に扱うと言う民主主義国にふさわしくない形になっている。是正されるべきであろう。

3、 インテリジェンスの問題は幅の広い問題である。機密保護なしにインテリジェンスは成り立たないから、機密保護法制も強化する必要がある。これにも漏洩を防ぐことのほかに、いわゆる日本の機密の探知罪をどうするのか、機密の定義をどうするのか、罰則はどうするのかなど、諸課題がある。
インテリジェンスの監視の問題もある。国会が民主主義的な監視をするのが最善であるが、国会議員は院内での発言について責任を問われないと言う憲法の規定があり、国会議員が国会で機密の暴露をした場合、処罰が出来ないという問題もある。
徐々に体制を整えていくしかないだろう。

4、インテリジェンスは秘密の手段で相手の秘密を探知する活動を行い、情報を収集すること、それを公開情報などと照らし合わせつつ分析し、その時点で最良の情勢判断・見通しを提供すること、場合によっては、非公然活動を行うこと(私は、取りあえず日本はこれには手を染めないようにしたらよいと考えている)などである。
スパイ活動のようなものもインテリジェンスの重要な一部であるが、インテリジェンス活動はそういうものに限られるわけではない。情報の収集に加え、分析することも重要である。要するに的確な情勢にもとづき、対外政策を展開すると言うことである。
インテリジェンス機能の強化の問題を各省庁の縄張り争いの問題で停滞させず、真剣に検討すべき時期が来ている。ままごとのようなことをするのではなく、本格的な対外情報機関を作り、試行錯誤をしながら進んでいくことが、日本の将来にとり重要である。インテリジェンス機能をしっかりさせるためには相当な時間がかかり、促成栽培はできない。
(文責:茂田 宏)

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外交と歴史問題

外交と歴史問題

1、 中国と韓国は日本に対し、歴史的に日本が犯した罪として侵略と植民地支配、およびそれに関連した事を取り上げ、謝罪などを要求してきた。最近の事例としては、12月18日訪日した韓国の李明博大統領が、いわゆる従軍慰安婦問題を野田総理との会談で相当な時間を通じて取り上げ、謝罪と賠償を求めた。野田総理は、賠償の問題は既に法的に解決済みである、人道的な見地から何が出来るか考えたいと述べたとされている。

2、 日本政府は近隣諸国の歴史問題の提起に対しては、これまで相手国との関係に配慮して反省の意を示してきた。その中でも、戦後50周年の終戦記念日の村山談話が有名である。しかしこの談話後も、歴史問題は日韓間、日中間で折に触れ、提起されている。
中韓がこういう問題を提起するのをやめさせる手立てはないが、日本政府として、この「歴史問題」を解決する可能性はないし、そうしようとしないことが肝要である。問題が生ずるたびに声明や談話を出すことはやめ、出来るだけ他の問題に波及しないようにマネージしていくしかない。
その理由は次の通り。
第1:歴史学、あるいは歴史科学と言われることがあるが、歴史は「物語」であって、「科学」ではない。
科学的な命題というのは価値中立的、あるいは没価値的である。たとえば物理学で万物はお互いに引き合うという法則は、共産主義がよいか資本主義がよいかという価値観とは無関係に成り立つ。没価値的であるから、広く受け入れられる。
これと異なり、歴史の判断は価値の判断と切っても切れない関係にある。各国家や民族は特有の物語、すなわち歴史を持ち、他国や他民族とそれが一致することは期待できない。たとえば英国では長い間、米国初代大統領ジョージ・ワシントンは反逆者ワシントンと教科書に書かれていた。歴史解釈がその国家内、民族内でも争われることも普通である。
第2:現在、国連事務総長である播基文さんが韓国の外相であったころ、彼は日本政府には「正しい歴史認識」をもってほしいと発言したことがある。
私は、日本政府は「正しい歴史認識」を持つべきではないと考えている。ソ連を私は専門にしていたことがある。ソ連では、国民は「正しい歴史認識」を持つことが奨励された。しかしその実態は何度も書きかえられたソ連共産党史などであった。最初の党史ではレーニンと協力していたトロツキーが、スターリンが党内闘争で勝利した後の党史では、古い写真からも削除されるなど、ほぼ影も形もなくなっている。私がモスクワ大学にいた頃は、フルシチョフが追放され、ブレジネフ政権であった。当時モスクワ大学の学者などが動員され、フルシチョフ時代の「大祖国戦争史」の書き換えが行われていた。前の版でウクライナ戦線で大活躍したとされているフルシチョフの役割を、正しく位置づける(あまり大活躍したとしない)作業が行われていた。戦前の日本でも「正しい歴史認識」があり、これでは楠正成はよい人で足利尊氏はよくない人であった。
歴史認識は各人にとり、その価値観やアイデンティティと密接に結びついている。そういう中で、政府がこういう歴史認識が正しいと決めるのは、思想や良心の自由を尊重する自由民主主義国としての日本の政府としてはやってはならないことである。「正しい歴史認識」は思想の弾圧につながることである。
日本にはマルクス主義史観、自由主義史観、皇国史観など色々な史観がある。先の大戦についても、大東亜戦争、太平洋戦争、15年戦争など、人それぞれに呼び方が異なり、天皇陛下は戦没者慰霊祭では「先の大戦」としか言っていない。この日本史の1大事件にまだ名前さえついていない。これが歴史問題の難しさを良く表している。
日本政府はそういう問題に深入りする必要はないし、すべきではない。(国内での歴史教育の在り方につては、特異な日本国内での事情があることを踏まえ、考える必要があるが、ここではその問題は論じない。)
第3:中韓が歴史問題を提起して外交問題になった際にも、日本政府としてはそういう問題に関与することをよしとしないとして、拒否する姿勢を取る方がよい。
そういう原則的立場からすれば、村山談話でさえ問題である。それに反したということで、田母神航空幕僚長を更迭するなど、思想を理由にした弾圧のようなことである。ただ村山談話はもう出してしまったものであり、いまさら撤回したり、変えたりするわけにもいかない。
これを繰り返すだけにして、これ以上の踏み込みはしないことが、歴史問題を外交の場で取り扱う基本方針であるべきであろう。

3、 すっぱりと謝罪すれば歴史問題に悩まされなくなるというのは、今までの経緯に鑑みそうではないことが証明されている。その誘惑に引きずられてはならない。謝罪は、することより受け入れられることが大切と言うこともある。

4、 なお東京裁判史観について、私は東京裁判は全くの茶番劇であり、こういうことをしたのは日系米人の収容所送りや原爆投下と並んで、米国史にとっての汚点であると考えている。
(文責:茂田 宏)

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核兵器の問題

核兵器の問題

1、 日本は核兵器の威力を身をもって体験した唯一の核被爆国である。私はこれまで広島、長崎を何度も訪ね、原爆の破壊力、その非人道性を見てきた。広島、長崎への原爆投下は軍事目標ではなく、都市を攻撃したもので、戦争法上、違法であると考えている。
1996年7月に国際司法裁判所は、核兵器の使用および威嚇の合法性に関する勧告的意見(一般的に国際法、特に人道に関する国際法に違反。しかし国家存亡の危機の使用は合法か違法か、結論を出せない)を出しているが、それが今の国際社会の意見であろう。

2、核兵器について広島、長崎で私が考えたことは、日本国民がこういう惨禍に再び見舞われてはならない、それが何よりも重要である、ということである。

3、 日本の戦後の核兵器政策は、国是と言われる非核3原則である。しかしこの政策は、日本が再び核の惨禍に見舞われるのを阻止するのに資する政策かというと、そうではない。核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずというのは、広島、長崎の経験を踏まえた反核感情に沿う政策であるが、国際政治の現実を踏まえた国家安全保障政策として、適切であるのか疑問である。
戦後の日本では、核兵器の問題を安全保障政策上の問題として討議することはタブーになってきた。広島、長崎での原爆の悲惨さが語られることがあっても、何故今も核兵器が引き続き多くの国の安全保障政策の中で重要な位置付けを占めているのかについての真面目な議論はない。これはあたかも戦争の悲惨さを語ることに熱心であるが、戦争がなぜ起こるかを研究しない戦後の日本に支配的な姿勢と軌を一つにしている。
ある時NHKの討論番組で、ある高名な国際政治学者が、日本が核保有することには何のメリットもなく、マイナスばかりであると発言していた。国際政治学者の意見とはとても思えない発言である。
米が1945年にこの兵器を開発した後、1949年にソ連が、1952年に英が、1960年に仏が、1964年に中が、1974年にインドが、1988年にパキスタンが、2006年に北朝鮮が核兵器を実験した。イスラエルと南アも核兵器を保有した。南アは黒人政権成立直前に廃棄した。イラン、リビヤ、シリヤ、イラクも開発しようとした。中華民国(台湾)も開発を試みたが、米の要求を受け入れ、やめたことを2007年に公表した。韓国も朴政権時代に開発しようとした。ブラジルとアルゼンチンも、1990年に共同で核開発停止を発表するまで開発努力を続けた。中立国であるスエーデン、スイスも核兵器開発を行っていたが、スエーデンは1970年に核不拡散条約署名とともに開発計画を放棄し、スイスは1988年に放棄した。
これらの国は、自国の安全保障のために核兵器の保有が必要であると、一時的にではあれ判断した。この国際政治学者の言うように、核兵器保有が何のメリットもなく、マイナスばかりであるのなら、なぜかくも多くの国が核のオプションを考えたのか、説明がつかない。国際政治の議論は現実をよく見て、それに基づきなされなければならない。
核兵器の保有はその国にとり大きな安全保障上のメリットがあると言う考え方は十分に成り立つ。にもかかわらず、それを断念すると言う決断をすることもありうる。それは周辺からの脅威や核保有同盟国の有無など、諸要因を考えて決めるべき問題である。
ドゴールが米と同盟しつつ、何故独自の核保有を必要と判断したのか。毛沢東が「上策は核をすべてなくすこと、中策は他国も持っているから持つこと、下策は他国が持っているのに自分だけ持たないことであるが、中国は中策を選ぶ」とした判断をどう考えるか。英国でトライデント潜水艦更新時に毎回繰り返される、米の核の傘に頼るだけで十分で独自核は要らないのではないかとの論争と、それが毎回独自核保有は必要と言う結論になることをどう考えるか。そういう議論をよく踏まえた上で、かつ周辺の状況もよく見た上で、日本も議論をすべきであると考える。単にタブー視して、議論を避けるのは責任ある態度ではない。

4、 日本は不幸なことに核兵器保有国に取り囲まれている。同盟国の米に加え、中・露・北朝鮮がある。再び日本が核の惨禍に見舞われないために、これらの国、特に北朝鮮による核兵器攻撃はしっかりと抑止する必要がある。そのためには、今は米の核の傘しか頼るものがない。
米の核の傘については、二つの事例をよく考える必要がある。
第1:1975年にソ連が欧州の都市攻撃が出来る中距離弾道ミサイルSS−20をソ連欧州部に配備した。ドイツの当時のシュミット首相はこの兵器は米と欧州の安全保障をディカプリングする(切り離す)効果があると主張した。シュミットが言ったのは、「米国がベルリンを守るために米国から反撃したら、ソ連はニューヨークやワシントンを攻撃するだろう。しかし米国がベルリンを守るためにニューヨークやワシントンを犠牲にすることはないであろうから、したがって欧州より発射される核ミサイルで反撃するしかない。」ということであった。それで、欧州へのパーシングIIと核弾頭搭載巡航ミサイルの配備をすること、同時にソ連とこのミサイルを撤去する交渉を行うことになった。結局この問題は、1987年に中距離核戦力全廃条約が米ソ間で締結され、パーシングIIと巡航ミサイルおよびSS−20が廃棄されることになった。 極東地域に配備されていたSS−20も廃棄された。日本ではディカプリングの議論は起きなかった。
この事例で注目すべきことは、米国がシュミットの議論を受け入れたことである。米本土が攻撃を受けることを覚悟しベルリン攻撃に反撃するのか否かについて、不確定性があることを米は認めたのか。私は米国の当局者にこの点を何度か質問したことがある。答えは核の使用は状況によるが、シュミットの論を受け入れたわけではない、しかしシュミットは重要同盟国の首脳であるので、彼の懸念には配慮すべしということであった、との説明であった。
中国は核戦力を増強し、米ソが廃棄した中距離核ミサイルを保有するほか、今や米本土攻撃能力を持ってきている。東京への攻撃に反撃するためにロス・アンジェルスやサンフランシスコを犠牲にする用意が米にあるのかが、シュミット式の考えをすれば問題になる。
更に北のミサイルが米本土攻撃能力を持つ日は近付きつつある。
そういう中で、米の核の「持ち込み」を排除する非核3原則の第3原則は大きな問題をはらむ。
現に韓国では、米戦術核の再導入が議論されている。
第2:NATOでは、核共有の制度がある。これにはベルギー、ドイツ、イタリー、オランダなどが入っている。同じようなシステムを日米でも作り、米の核使用について日本も発言権を持っておくべきではないかという問題がある。

日本が再び核攻撃を受けないために、どうすればよいのかを現実を踏まえて考えることが求められている。核不拡散条約のこともあるが、反核感情に配慮するだけでこの問題を済ますわけにはいかない。

5、 戦後の国際政治において、核兵器が果たした役割は大変大きい。この兵器は人間の戦争と平和に対する考え方に大きな影響を与えた。フルシチョフが平和共存政策を打ち出した背景には、核戦争が人類の滅亡につながるとの認識があり、マルクス・レーニン主義の帝国主義勢力との戦争不可避論の転換であった。エジプトのサダトがイスラエルとの戦争はもうできないと考えた背後にはイスラエルの核があった。
米ソの冷戦が熱戦にならなかったのは、米ソ間で核の破壊力への恐怖に基づく戦争抑止があったからである。
この問題は避けて通るには大きすぎる問題であろう。

6、 私はこの夏、「終戦史録」を読み返した。
広島、長崎の人々は原爆の犠牲になることにより、一億玉砕も辞さずという軍の戦争継続論を圧倒し、戦争をやめさせた。我々がいま生きているのはこの尊い犠牲によるということがよくわかった。我々は彼らに感謝しなければならない。
広島や長崎の人々は広島、長崎の被爆の実相を世界に伝えることに努めている。これはこの非人道的な核兵器が人々に対し使われないようにするために役立つことであり、今後も続けるべきであろう。
しかし国際政治の現実をみると、核兵器をなくすのはほぼ不可能である。人間は一度得た知識を忘れ去ることはできないし、核保有国が核を全部廃棄することは近い将来考えられない。我々は核兵器と共存せざるを得ない。核兵器が抑止機能のみを果たし、実際に使われないようにすることが大切である。
(文責:茂田 宏)

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集団的自衛権と同盟政策について

1、 日本の外交安保政策において集団的自衛権の問題は論争の的になってきた。内閣法制局が、国際法上日本は集団的自衛権を持つが、日本国の憲法上それを行使できないと言う憲法解釈を行ってきたからである。
 内閣法制局は集団的自衛権を、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」であると定義している。しかしこの定義は、集団的自衛権の定義としては、不十分である。この定義は集団的「自衛権」を他国を守る権利、すなわち「他衛権」として定義している。集団的自衛権は自衛権であって、いくつかの国が共同して防衛する権利である。集団的自衛権の共同防衛の権利である側面を、定義に取り込むことに失敗している。
集団的自衛権は、1945年のサンフランシスコ会議で、国連憲章の原案であるダンバートン・オークス提案には含まれていなかった。米州諸国がこの会議の前にチャペルテペック規約に署名し、大戦後に相互援助条約を締結することを約束していた。しかし、地域的取り決めや地域機関の強制的行動には、憲章53条で安保理の許可(これには常任理事国の拒否権が適用される)が必要と言う規定があり、その許可なしには相互援助条約を結んでも、その当事国は強制的行動をとれないことになる。それで集団的自衛権を国連憲章に盛り込み、安保理の許可なしに強制行動をとれるようにしたのが、この集団的自衛権観念が採用された背景である。共同して防衛すること、他国への攻撃を自国への攻撃と見なすことへの根拠が与えられたわけである。その経緯を内閣法制局の定義は十分に反映していないと言わざるを得ない。
国会答弁でなんどもこの定義を繰り返してきたので、その修正が難しくなっている。
しかし、集団的自衛権は保有するが行使できないという解釈には無理があり、憲法が自衛権を認めているのであれば、個別的なものであれ、集団的なものであれ、自衛権は認められているとの解釈が最も妥当な解釈である。1928年の不戦条約が憲法9条の規定ぶりの元になっているが、憲法9条をいくら読んでも、自衛権を個別と集団に分けて論じる必要は何ら出てこない。
この奇妙な解釈は出来るだけ早く改めるべきである。安倍総理時代の、4つのケースでの集団的自衛権の行使の是非を検討するというようなアプローチではなく、根本的に、憲法は集団的自衛権の行使を許容しているとすべきである。

2、 集団的自衛権は強者のための権利であるような誤解があるが、そうではない。弱者のための権利である。弱者が強国に守ってもらう、または弱者が資源をプールして共同防衛しようという権利である。今の日本のような国には必要な権利である。

3、 集団的自衛権は同盟の法的根拠である。全米相互援助条約、NATO条約、1955年のワルシャワ条約など、すべて集団的自衛権にもとづく。日米安保条約も前文で、日米が個別的、集団的自衛の固有の権利を有することを確認している。
安全保障政策において、同盟政策、合従連衡は重要な役割を果たす。
しかし、日本が集団的自衛権を行使できないということであれば、どこの国とも同盟を締結することはできない。何故ならば、同盟は相互防衛を約束するのが基本であり、一方的に日本だけは守ってもらえるが、日本は同盟の相手国を守らないと言うような同盟は考え難く、そういうことをしてくれる国はないからである。米韓条約も相互防衛を規定している。
日米同盟は特殊な歴史的経緯で成立した。米が日本を守る義務はあるが、日本は米を守る義務がないという片務的なものである。世界に類を見ないものである。それに甘えて、日本は集団的自衛権の行使は認めないというようなことを言っている。
中国の台頭に対処するために、豪州、韓国、インド、ASEAN諸国との協力を云々する人がいるが、集団的自衛権の行使はしないと言う政策を変えない限り、真面目な話にはならない。
1955−56年の日ソ交渉の際に、ソ連は、「日本国は日本との戦争に参加したいずれかの国に対して向けられたいかなる連合または軍事同盟にも参加しないことを約束する」との条文を、平和条約に盛り込むことを提案した。日本の同盟締結権能を制約しようとした。日本側は主権制限であるとこれを拒否した。
集団的自衛権を行使出来ないとの主張は、このソ連の提案を受け入れたと同じ効果を持つ。ソ連の代弁者ではないかと思われるような行動をした社会党が、集団的自衛権不行使を力説したが、これは日本の外交から同盟締結の可能性を奪うことが目的であったかのように思える。ソ連は日本国内の議論を、ほくそ笑んで見守っていたと思われる。

4、 集団的自衛権が行使できないということは日米同盟を揺るがせかねない。たとえば自衛艦と米艦が並走しているときに、敵から米艦が攻撃された場合、自衛艦側が集団的自衛権を行使できないという理由で、米艦を守るために何らの行動をとらず米艦を見殺しにし、多くの水兵が死亡したとする。米は世論の国であり、こういうことが起これば米世論は激昂し、日本を強く非難し、こんな同盟国は守るに値しないと結論するだろう。その時には、日本の命綱である日米同盟は崩壊することになるだろう。

5、 安倍総理、麻生総理はこの集団的自衛権を何とかしたいと考えたが、政治状況もあって、何も出来なかった。福田、鳩山、菅総理には問題意識すらなかったように思える。
これは重大問題であり、皆でよく考える必要があろう。
(文責:茂田 宏)

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