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シリヤ情勢と中東の今後

1、 シリヤ情勢について、二つの記事の概要を紹介する。
(1) エコノミスト誌(10月29日―11月4日号);「シリヤの軍脱走者:軍における亀裂、シリヤ軍からの脱走者が増えている」概要、次の通り。
 アッサド政権の支えは軍、警察、諜報(ムハラバット)であり、一般的に言って政権に忠誠であるが、脱走者は増えており、組織化されてきている。
 3月の蜂起以来、主としてスンニ派徴兵兵士の脱走があった。7月、リアッド・アサッド大佐はトルコに逃れ、自由シリヤ軍の結成を発表した。自由将校運動というのも出てきた。9月末、二つの団体は合併した。自由シリヤ軍は22「大隊」をシリヤで擁しており、政権側とホムスで戦ったハリッド・ビン・ワリッド大隊もあると述べている。北西のイドリブ、イラクとの国境地帯ブカマルでもここ数週間、戦闘があった。
自由シリヤ軍は数十台の戦車を無能力化したなど誇張した主張をしているが、治安部隊の待ち伏せ攻撃はしている。
アサッド大佐はシリヤ軍22万のうち、1万5千が軍を離脱したといっているが、それよりずっと少ない数であろう。
脱走は政権を怯えさせている。9月末、シリヤ軍はホムスに近い町、ラスタンを攻撃したが、ここは脱走者が多く、一時的に政府の統制外になった。有名な脱走者、フセイン・ハーモウシュはトルコに逃れた後、ダマスカスに現れ、以前の反政府的宣言を撤回したが、トルコから拉致されたとされている。
(2) 10月29日付ワシントン・ポスト紙;「シリヤの指導者、勝利を予想;アサッドは何の圧力も感じていないように見える。にぎあうダマスカスは恐怖の底流を隠す」
 アサッド政権は最悪の騒擾を乗り越え、生き残りのために残る課題を間もなく克服できると自信を持っている。この自信が正しいかどうか、疑問である。経済は崩壊しつつあり、抗議は続き、武装反乱が出てきている。
 しかしダマスカスは正常である。アサッド政権がすぐ崩れる危険はない。デモは続いているが、規模が小さくなっている。
8か月の抗議活動はアサッドの権力掌握にさしたる影響を与えていない。軍や政府からの離脱は大きくない。
安保理ではリビヤの場合と異なり、中露が対シリヤ統一戦線を阻止している。政府系シリヤ人専門家は「シリヤが攻撃されれば、地域戦争になる。シリヤはイスラエルを直接攻撃するし、ヒズボラもイランも参加する。これは欧米の利益にならない」と述べ、政府系新聞の編集長は「抗議が始まった時には、パニックがあったが、今はそうではない」としている。
過去10日の間に2回、政府を支持するデモが行われ、抗議デモより多かった。中流、上流のエリートはアサッドを支持しているようである。
西側の外交官は「シリヤの反対派がアサッド後のシリヤの姿を描き切れていないので、多数のシリヤ人が沈黙している。政権はそれなりの計画を持っており、安定だけを望んでいる多くの人がそれでいいと考えている」と述べた。
国連はこれまで3000人が死亡したとしている。国内は宗派、階級、政治的意見でどんどん割れてきている。憎悪が蔓延している。

ワシントン・ポスト紙の記事が、アサッド政権が今なお強固であるとの調子であるのに対し、エコノミスト誌は政権反対者が組織化されてきていることを報じている。
シリヤはきつい報道管制をしているので、実態がよくわからない。アサッド政権が反対派に対する弾圧を続けていること、反対派の一部が武器をとる方向にあることが、この二つの記事からわかる。シリヤをめぐる戦いはまだ決着からは程遠い。

2、 シリヤをめぐる国際情勢について言うと、アサド政権は孤立しつつある。そういうなかで生き残りうるか、疑問がある。
トルコは自由シリヤ軍の活動を黙認するなど、アサッドに厳しい態度をとっている。
サウジアラビヤもアサッドに厳しい態度をとっている。アラブ連盟もそうである。アサッドのこういう弾圧を容認する気持ちはスンニ派諸国にはない。
唯一、イランがアサッド政権を支持しているが、それがまたアラブ諸国の政府や民衆の反発を招いている。
「アラブの春」以降、アラブ諸国がどういう方向に向かうのか、まだよくわからない。
しかしイランのような神権政治モデルも、サウジアラビヤのようなワッハービ体制モデルも、アラブ地域ではそれほど魅力のあるものとは受け取られていない。
どちらかというと、トルコのモデルが好ましいものと受け取られている。オスマン・トルコはアラブ諸国に対し長い間宗主国であった。一度、パレスチナ人の老人と話していた時に、パレスチナにとって最もよい時代はオスマン・トルコ時代だと聞いた。トルコがうまく立ち回れば、オスマン・トルコ時代のようにはならないが、地域でかなり大きな影響力を持つにいたるように思われる。
(文責:茂田 宏)

日本によるポツダム宣言受諾とソ連の態度

1、 最近、二つの興味深いソ連側文書を入手したので、ご参考まで。
(1) 1945年8月10日24時・極秘
モロトフは無条件降伏に関する日本の声明に対し彼らの政府がどういう態度をとるかを質すために大使たちを招請したと述べた。もしカーとハリマンが現在、情報を持っていないのであれば、モロトフは彼らの政府に照会するように求めた。
カーはモスクワ時間23時まで彼は日本政府の声明について何らの公式の情報を受け取っていないと答えた。これについて彼が知っていることはすべて日本の通信社が配布した通報から知った。しかしクレムリンに出発する直前に、カ―はロンドンからの短い電報を受け取った。そこには日本の通信社の通報が再生産されており、そしてカーに日本政府の声明、特に天皇の関係についてソ連政府の見解を明確化するように委任されていた。
モロトフは彼は東京のソ連大使からの電報を受け取ったと答えた。そこでは東郷が朝大使を招請し、声明を行ったと述べられている。そのテキストは日本の通信社が配布した通報と同じである。ソ連政府に関して言うと、ソ連政府は降伏についての日本人の声明に懐疑的な態度をとっている。
ハリマンは自国政府からまだ何の情報も受け取っていないと述べた。
カ―はソ連政府の具体的な立場はどういうものかと尋ねた。日本人の声明への懐疑的な態度とはソ連政府は日本人の提案を拒否すると言う意味に理解してよいか。
モロトフはソ連政府は日本人に攻撃の続行で答えたと答えた。これがソ連政府の具体的な回答である。
カ―は日本には天皇が存在し続けるのかと尋ねた。
モロトフは他の事と同様、日本の声明では明確ではないと答えた。
会談のその時(1945年8月11日0時15分)に、ハリマンにワシントンからの電報が届けられた。ハリマンはモロトフにそれを読みあげた。電報のテキストは次の通り。
(日本の最終的な政府の形態はポツダム宣言に従い日本国民の自由に表明された意思によって決まるとの8月12日の連合国回答と同文なので省略)
(2) 1945年8月11日2時・極秘
 モロトフは、日本政府への回答についての米政府の提案についてのソ連政府の回答を手渡すために、大使たちを招請したと述べた。
ソ連の回答:
ソ連政府は米政府が提案した降伏に関する日本政府の声明に対する連合国の回答案に同意する。ソ連政府は上記回答は日本と戦争をしている主要国の名において出されなければならないと考える。
またソ連政府は日本政府の肯定的な回答の場合、連合国は天皇および日本政府が従属するであろう連合国最高司令部の代表者の候補者について協議(最初の案文では合意となっていたと思われる)しなければならないと考える。
ソ連政府の委任により。         モロトフ
ハリマンは通訳が読み上げた回答を聞いた後、彼はこのソ連政府回答は留保付き同意であると考える、と言うのはソ連政府は連合国最高司令官の候補に対し、拒否権を要求しているからであると述べた。
モロトフは拒否権についての話ではない、連合国が自らを代表する最高司令官について合意すべしということであると述べた。
ハリマンは連合国の最高司令官が誰になるかについて自分は何の疑問も持っていない、マッカーサーが最高司令官になると述べた。
モロトフは連合国を何人かの最高司令官が代表することが出来ると述べた。マッカーサー将軍に並んで、ヴァシレフスキーもなりうる。
カ―は、英国はアメリカ人が極東において主要な役割を果たすことに一般的に同意する、そこでアメリカ人は主要な戦争の負担を担ってきた、と述べた。しかし連合国は当然、彼らを代表する最高司令官の候補者について協議しなければならないように思われる。
ハリマンはソ連政府の回答は留保付きの同意であると述べた。ハリマンはこの回答のなかの「合意する」が「協議する」との言葉で置き換えられ、かついくつかのではなく一人の候補についてでなければ、ワシントンではこの回答を受け入れられないと見なすと信じると述べた。苛立った調子で、ハリマンは、ソ連は日本との2日間の戦争の後でこういう要求を出すことはできないと追加した。米国は日本の兵力の自由を奪い、ソ連にとり最も困難な時期に日本人にソ連を攻撃する可能性を与えなかった。
モロトフはハリマンのそういう発言は完全に不適切なものと考えると述べた。モロトフはそういうことなら、ハリマンに欧州戦争の例を持ってくることが出来る。そこでソ連は3年間、1対1で戦闘を行った。
モロトフはハリマンに、米政府にソ連政府の回答をハリマンが受け取った形で伝達するように要請した。
ハリマンはもちろんそうするだろうと答えた。
(この会談録はスターリン、ミコヤン、ベリヤ、マレンコフ、ヴィシンスキー、デカノゾフ、ロゾフスキーに配布された)

2、 このやり取りはソ連外交の厚かましさ、粘り強さをよく表している。
ソ連はこの回答後も対日攻撃を継続した。千島最北の島、占守島に赤軍が上陸攻撃したのは8月18日である。ソ連もその後のロシアも、生易しい相手ではないということである。
(文責:茂田 宏)

チュニジアの制憲議会選挙

1、「アラブの春」が始まった国、チュニジアで10月23日、制憲議会選挙が行われた。選挙は概ね自由、公正に行われた模様である。結果の公式発表はまだないが、投票率は高く、ベンアリ政権下で弾圧されてきたイスラム主義政党ナフダ党が第1党の座を獲得するのは確実とされている。
制憲議会選挙は憲法を制定する議会の選挙であるが、同時にこれで暫定政権の形も決まることになる。憲法制定後に、議会選挙や大統領選挙が行われることになる。
制憲議会の定数は217議席であるが、ナフダ党は30−40%の票を獲得したと述べている。絶対多数にはならないので、暫定政権は連立政権になると思われる。

2、今回のチュニジアの選挙が概ね平穏に自由、公正に行われた意義は大きい。
チュニジアは小国であるが、チュニジアが示した道筋(制憲議会選挙、憲法制定後の議会選挙と大統領選挙)は独裁者の追放に成功したエジプトやリビヤにも一つのモデルを提供すると思われる。もちろん国情に違いがあるので、全く同じように事が運ぶとは思われないが、民主化過程の一つの模範にはなるであろう。
10月23日、米オバマ大統領は声明を発表して、この選挙に実施を歓迎し、米としてチュニジアと今後協力していくと述べた。

3、ナフダ党は穏健イスラム政党とされているが、イスラムを重視する党である。新しい憲法の中で、イスラムをどう位置付けるかなど、エジプトやリビヤが抱えていると同じ問題にこの制憲議会がどう対応するかも今後の注目点である。
欧米には、イスラム主義政党に対する不信感があるが、ナフダ党は複数政党制を支持し、人権の尊重もすると述べている。人民の選択、選挙結果を尊重するという民主主義の基本にたって、対処していくべきであろう。パレスチナでのハマスの勝利に対する否定的対応やアルジェリアのイスラム主義政党勝利に対する軍クーデタ支持の対応があまり良い結果をもたらさなかったことを教訓とすべきであろう。
アラブ諸国で国民に説明責任を負う政府が成立することは画期的なことである。
(文責:茂田 宏)

米軍、イラクより完全撤退

1、 10月22日、オバマ大統領の毎週の演説での発言、次の通り。
 今週、我々は世界における米の指導力がどう更新されたかを力強く示す二つのことがあった。私は以前の約束通り、イラクにいるわが残存兵力が今年の末までに帰国することを発表することを誇りに思う。そしてリビヤでのモアマル・カダフィの死は、リビヤ国民の保護における我々の役割を示し、暴君からリビヤ人を自由にすることを助けることは、やるべき正しいことであった。
イラクで、我々は戦争を終わらせる戦略で成功を収めた。昨年、私はイラクにおける戦闘任務の終了を宣言した。我々は既に10万以上の兵力を撤兵した。イラクの部隊が彼らの国の安全保障に完全な責任を負っている。制服を着た男女の非常な犠牲のおかげで、イラク人民は彼らの未来を築く機会を持っている。そしてわが残存兵力は休日のために帰国する。
リビヤでは、我々の勇敢なパイロットと乗組員は虐殺の防止を助け、数知れない人命を救い、リビヤ人民に勝利する機会を与えた。地上に一人の兵員を送ることなしに、我々は目的を達成した。我々は引き続きリビヤ人民と民主主義的未来を追求するアラブ人民を支持するが、まもなくNATOの任務は成功裡に終結する。
これらの成功はより大きな物語の一部である。10年の戦争の後、我々はページをめくり、強さと自信を持って前進する。イラクからの撤退はアフガニスタンに焦点を合わせ、アルカイダとオサマ・ビンラーデンに対し主要な勝利を収めることを可能にした。イラクから我々の最後の兵力を撤兵しつつ、我々はアフガニスタンから我々の兵力を帰国させ始めた。
これを展望の中に置くと、私が大統領になった時には、これらの戦争に約18万人が配置されていた。今年の末までに、この数は半分になり、さらに多くの兵士が引き続き帰国する。
これらの戦争を終わるとともに、我々は国としての最大の課題、経済を再建し、国内で力を新たにすること、に焦点を合わせる。過去10年間、我々は戦争に1兆ドル使い、海外から大きく借金し、我々の国の力の最大の源、我々の人民にあまりに少なくしか投資しなかった。いまや、我々が建設する必要のある国は我々自身の国である。
我々はこの課題に戦闘におけるわが兵士の緊急性と団結と同じ緊急性と団結で取り組まなければならない。これが我々がわが経済を動かすために我々の力の及ぶすべてを行わなければならない理由である。我々が我が国を、その学校、道路、橋を再建し、わが退役軍人、建設労働者,教師、警官、消防士を仕事に戻すために、私が議会に米国雇用法を通すように呼び掛けている理由である。そして我々すべてが制服を着た男女の模範から力を引きだすように私は希望する。
彼らはアメリカに対する責任を果たした。いま我々がその責任を果たす時である。いまは団結する時であり、世界になぜ米国が世界が知ったことのない自由と機会の最大の源であり続けることを示す時である。

2、 この演説で本年末、クリスマスまでに米軍がイラクから完全撤退することになった。これはカダフィの死亡などとは比較にならない重要性を今後の中東情勢に持つ。
イラクの治安状況の脆弱性に鑑み、マリキ首相は米軍の駐留継続を希望し、米側も3千人程度を残留させることを提案していた。しかしマリキ首相は米軍完全撤退を要求するサドル派を説得しきれず、さらに残留米軍への特権免除付与に議会内の反対があり、米側の要求に応じられなかった。そういう状況の中で、米がしびれを切らして、完全撤退するとの決定をしたということである。
オバマとしては、大統領選挙を控え、約束通り撤退したと言いたがっていたと思われる。
 マリキは少しぐずぐずし過ぎた嫌いがある。
共和党には無責任な撤退と批判する向きがあるが、そもそもブッシュ時代に本年末までの撤退が決められた経緯があり、批判も迫力を欠く面がある。
イラクの治安情勢がどうなるか、イランがイラクでの影響力をどう伸ばそうとするのか、それにサウジがどう反応するかなど、諸問題を残しながら、イランやサドル派が望んだ完全撤退が行われることになった。

3、 なおこのオバマ演説はオバマ大統領が国内経済の再建に今後最大の力点を置くこと、米が内向きになることを明瞭に示している。
(文責:茂田 宏)

ギラッド・シャリットとパレスチナ人収監者の相互釈放

1、 10月18日、ガザのパレスチナ武装勢力がイスラエル領内より拉致し、ガザで囚われの身となっていたイスラエル軍兵士ギラッド・シャリットが釈放され、イスラエルに帰還した。交換にイスラエルは1027名のイスラエルが収監していたパレスチナ人を釈放するとしており、その一部はガザと西岸に、他はトルコ、シリヤ、ジョルダン、カタールに到着した。

2、 ネタニヤフ首相は声明を発出し、概要次の通り述べた。
今日、我々は喜びと苦痛において団結している。2年前首相になって以来、私はギラッド・シャリットを帰国させることを目標とした。今日、その使命は果たされた。
これは極めて困難な決定であった。国家は戦場に送った人を帰国させる必要があると考えた。イスラエル軍兵士として、司令官として、私は危険な任務に赴いた。しかし私も同僚も捕まった場合、イスラエル政府が我々を帰国させるために最善を尽くすと知っていた。首相として、自分はそのことを今日成し遂げた。イスラエル市民をまもるために毎日兵士を送り出している指導者として、私は相互の責任は単なるスローガンではなく、我々の生存の要石であると信じている。
同時に私はイスラエル市民の安全への危険を最小化する必要も知っている。このため、自分は二つの要求を出した。第1:ハマスの上級幹部は収監されつつづけること。第2:釈放される者の圧倒的多数はジュデア・サマリヤ外に追放されるかとどまること。
何年もハマスはこれらの要求に反対した。数ヶ月前に、我々はハマスがこの反対を取り下げる用意があるとの明確なサインを受け取った。厳しい交渉がカイロでエジプト政府の仲介で続けられた。我々の要求が満たされた時に、私は決定をしなければならなかった。
私はテロの犠牲者の家族の苦痛が耐え難いことをよく知っている。彼らが愛する者を殺した悪漢が刑期を務め終えずに釈放されるのを見るのは困難なことである。しかし私は現在の外交的環境においてこれが達成可能な最善の合意であり、合意を可能にした条件が将来も続く保証はないことも知っていた。以前に起こったようにギラッドがいなくなるようなこともありうる。
私はギラッドとハマスの牢獄での彼の5年間を考え、ロン・アラッドと同じ運命にあわせたくなかった。こういう際、指導者は孤独でありる、決定をしなければならない。私は決定し、政府閣僚は大多数が私を支持した。
今日、ギラッドは家、家族、自国民、自国に帰った。感動的な瞬間である。私はギラッドを出迎え、彼の両親、アヴィヴァとノアムのところにつれて行き、「あなた方の息子を連れ帰った」と言った。
我々はテロと戦い続けることを明確にしたい。我々は敵とは違う。我々は殺人者の釈放を祝わない。逆に我々は生命の神聖さを信じる。これがユダヤ人の古くからの伝統である。

3、 ガザを統治するハマス政府の首相ハニヤはパレスチナ人収監者の釈放をハマスの勝利とするとともに、釈放されるパレスチナ人がハマス関係者だけではなく、パレスチナ各派の人を含むことを指摘し、ハマスが全パレスチナを代表して交渉したことを強調した。
 釈放者を出迎えるためにラマッラでは20万近いパレスチナ人が、ガザでは数千人が集まった。アッバスも歓迎式典で演説をした。

4、 今回の相互釈放が持つ意味は大きい。今後の先例になる。
イスラエルはテロ団体とするハマスとの交渉を忌避してきたが、今回、交渉に応じ、かつ1人に対し、1027名を釈放するとの取引に応じた。
ハマスはイスラエルとの交渉を拒否してきたが、今回、交渉に応じ、実利的な見地からイスラエルと合意することになった。
この2点はかなり重要な意味を今後持ちうる。パレスチナ内では、今回の釈放をハマスの快挙とする声が強い。ハマスはパレスチナ住民の中での評価を高めた。逆にアッバスのファタハの和平交渉路線は成果を上げなかったとの批判にさらされる怖れがある。
ハマスのような団体との取引は将来に禍根を残すこともありうる。ガザの集会では、ギラッドを捕まえたような作戦を今後も行うべしとの意味で、「もう一人のギラッドを」との叫びが繰り返された。
イスラエル国内では、ギラッド釈放を歓迎する声が今のところ強く、テロに弱腰との批判はそれほど出ていない。
(文責:茂田 宏)


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