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インテリジェンス強化問題

1、 私はモスクワで外交官として働き始めたが、KGBが大使館を盗聴する、館員を情報提供者にしようと試みるなどの中で、インテリジェンス機関はけしからんことをするという気持ちを持った。
しかしその後、色々な経験を経て、外交は的確な情報、それも独自な情報、それに基づく情勢判断を踏まえて行う必要があり、独自情報なしに独自外交もないと考えるに至り、かつ国家安全保障のためには、他の大国と同様、対外インテリジェンス機関を日本も保有すべきであると考えるに至った。
戦後、連合国は日本を弱体化することがよいとの観点から、諸政策を展開したが、その一つが、日本からインテリジェンス機能を奪うということであった。結果として、戦後の日本には国家機能の重要な機能である対外インテリジェンス機能が欠落してきた。
もちろん、外務省、防衛省、警察庁、法務省、内閣調査室などが、その業務の必要上インテリジェンス機能をある程度果たしているが、不十分である。

2、 インテリジェンスをめぐっては、多くの課題があるが、重要なのは次の通り。
第1:対外インテリジェンス機能の欠落を是正するために、対外情報庁を作ること。「ウサギは長い耳を持つ」ように、今の日本には、情勢への敏感さが要る。
第2:この対外情報庁は政策当局からは独立し、客観的な情報や情勢判断を政治指導部に提供する仕組みとすること。
政策機能と情報機能は分離しておかないと、時の政府の政策的嗜好を支持する情報が優先される危険がある。情報は政策立案・遂行に誤りなきを期するためのものであるが、「政治化された情報」は排除する必要がある。
戦前の日本は今よりはましであったが、それでも情報軽視の体質があり、それゆえに失敗もした。
「必勝の信念」が強調され、客観的に戦争に負けているとの判断を言うことなど、出来ない雰囲気であり、冷静な情勢判断に基づく政策展開が困難であった。
真珠湾攻撃を行ったのは1941年12月8日であったが、そのたった1週間後にルーズベルト大統領はスターリンに、モスクワ攻防戦でのソ連の勝利に連合国を代表して祝電を送っている。欧州戦線でのドイツの勝利を前提とした日本の戦略は、欧州情勢を緻密に見ておれば、成り立つのかどうかを疑ってみる余地があった。ドイツの春季攻勢に期待するという当時の判断は、希望的観測であったことが事後的に明らかである。
松岡外相が日ソ中立条約を結んだ時に、その延長として4カ国協商(日独伊ソ)を構想していたが、その2カ月後独ソ戦が始まった。ドイツの出方の見通しを誤った。
そういう情勢判断の誤りは、戦前の日本の失敗の多くに見られる。
歴史をみると、国家も国民も集団ヒステリーに陥ることがある。その解毒剤として、冷徹な情勢判断を行う機関を、政策当局とは別に保有しておくことが重要である。
ベトナム戦争の際に、米国では、ベトコンの勢力の評価で情報機関と軍は対立した。軍が戦果を強調したのに対し、情報機関はそうでもないとした。現在のアフガン戦争についても、軍と情報機関との間でタリバンの勢力の評価について同じような対立がある。軍は自らの戦果を強調しがちである。最後は政治指導部が決めることではあるが、こういう議論があることが国を誤らせないことにつながる。
なお平時においても情報が重要な局面は多々ある。
第3:対外情報機能と国内情報機能は峻別されるべきこと。
各国での情報機関のあり方は色々な試行錯誤を経て出来てきたものであるが、明確なパターンがある。
旧ソ連のKGB、朴大統領時代の韓国のKCIA、中国の国家安全部、アラブ諸国のジェネラル・インテリジェンスはすべて、対外情報と国内情報を一緒に扱っている。公安警察的機能を持っている。
これに対し、民主主義国では、対外情報と国内情報は峻別されている。
米国ではCIAが対外情報を、FBIが国内情報を、英国ではMI6が対外情報を、他の機関が国内情報を、イスラエルではモサッドが対外情報を、シンベトが国内情報を受け持っている。ソ連崩壊後、最初になされた改革の一つは、KGBを対外情報機能と国内情報機能に分割することであった。
対外情報の手法を国内で使うことは人権の侵害につながる怖れがあり、人権を尊重する立場からこういう峻別がなされている。日本も当然そうすべきであろう。
国内情報については、法執行機関が法に基づき行うべきである。国家安全保障のための対外情報はその目的を踏まえ、別に組織されるべきである。手法も独自のものであるべきである。
現在の内閣調査室は国内情報と対外情報を一緒に扱うと言う民主主義国にふさわしくない形になっている。是正されるべきであろう。

3、 インテリジェンスの問題は幅の広い問題である。機密保護なしにインテリジェンスは成り立たないから、機密保護法制も強化する必要がある。これにも漏洩を防ぐことのほかに、いわゆる日本の機密の探知罪をどうするのか、機密の定義をどうするのか、罰則はどうするのかなど、諸課題がある。
インテリジェンスの監視の問題もある。国会が民主主義的な監視をするのが最善であるが、国会議員は院内での発言について責任を問われないと言う憲法の規定があり、国会議員が国会で機密の暴露をした場合、処罰が出来ないという問題もある。
徐々に体制を整えていくしかないだろう。

4、インテリジェンスは秘密の手段で相手の秘密を探知する活動を行い、情報を収集すること、それを公開情報などと照らし合わせつつ分析し、その時点で最良の情勢判断・見通しを提供すること、場合によっては、非公然活動を行うこと(私は、取りあえず日本はこれには手を染めないようにしたらよいと考えている)などである。
スパイ活動のようなものもインテリジェンスの重要な一部であるが、インテリジェンス活動はそういうものに限られるわけではない。情報の収集に加え、分析することも重要である。要するに的確な情勢にもとづき、対外政策を展開すると言うことである。
インテリジェンス機能の強化の問題を各省庁の縄張り争いの問題で停滞させず、真剣に検討すべき時期が来ている。ままごとのようなことをするのではなく、本格的な対外情報機関を作り、試行錯誤をしながら進んでいくことが、日本の将来にとり重要である。インテリジェンス機能をしっかりさせるためには相当な時間がかかり、促成栽培はできない。
(文責:茂田 宏)

外交と歴史問題

外交と歴史問題

1、 中国と韓国は日本に対し、歴史的に日本が犯した罪として侵略と植民地支配、およびそれに関連した事を取り上げ、謝罪などを要求してきた。最近の事例としては、12月18日訪日した韓国の李明博大統領が、いわゆる従軍慰安婦問題を野田総理との会談で相当な時間を通じて取り上げ、謝罪と賠償を求めた。野田総理は、賠償の問題は既に法的に解決済みである、人道的な見地から何が出来るか考えたいと述べたとされている。

2、 日本政府は近隣諸国の歴史問題の提起に対しては、これまで相手国との関係に配慮して反省の意を示してきた。その中でも、戦後50周年の終戦記念日の村山談話が有名である。しかしこの談話後も、歴史問題は日韓間、日中間で折に触れ、提起されている。
中韓がこういう問題を提起するのをやめさせる手立てはないが、日本政府として、この「歴史問題」を解決する可能性はないし、そうしようとしないことが肝要である。問題が生ずるたびに声明や談話を出すことはやめ、出来るだけ他の問題に波及しないようにマネージしていくしかない。
その理由は次の通り。
第1:歴史学、あるいは歴史科学と言われることがあるが、歴史は「物語」であって、「科学」ではない。
科学的な命題というのは価値中立的、あるいは没価値的である。たとえば物理学で万物はお互いに引き合うという法則は、共産主義がよいか資本主義がよいかという価値観とは無関係に成り立つ。没価値的であるから、広く受け入れられる。
これと異なり、歴史の判断は価値の判断と切っても切れない関係にある。各国家や民族は特有の物語、すなわち歴史を持ち、他国や他民族とそれが一致することは期待できない。たとえば英国では長い間、米国初代大統領ジョージ・ワシントンは反逆者ワシントンと教科書に書かれていた。歴史解釈がその国家内、民族内でも争われることも普通である。
第2:現在、国連事務総長である播基文さんが韓国の外相であったころ、彼は日本政府には「正しい歴史認識」をもってほしいと発言したことがある。
私は、日本政府は「正しい歴史認識」を持つべきではないと考えている。ソ連を私は専門にしていたことがある。ソ連では、国民は「正しい歴史認識」を持つことが奨励された。しかしその実態は何度も書きかえられたソ連共産党史などであった。最初の党史ではレーニンと協力していたトロツキーが、スターリンが党内闘争で勝利した後の党史では、古い写真からも削除されるなど、ほぼ影も形もなくなっている。私がモスクワ大学にいた頃は、フルシチョフが追放され、ブレジネフ政権であった。当時モスクワ大学の学者などが動員され、フルシチョフ時代の「大祖国戦争史」の書き換えが行われていた。前の版でウクライナ戦線で大活躍したとされているフルシチョフの役割を、正しく位置づける(あまり大活躍したとしない)作業が行われていた。戦前の日本でも「正しい歴史認識」があり、これでは楠正成はよい人で足利尊氏はよくない人であった。
歴史認識は各人にとり、その価値観やアイデンティティと密接に結びついている。そういう中で、政府がこういう歴史認識が正しいと決めるのは、思想や良心の自由を尊重する自由民主主義国としての日本の政府としてはやってはならないことである。「正しい歴史認識」は思想の弾圧につながることである。
日本にはマルクス主義史観、自由主義史観、皇国史観など色々な史観がある。先の大戦についても、大東亜戦争、太平洋戦争、15年戦争など、人それぞれに呼び方が異なり、天皇陛下は戦没者慰霊祭では「先の大戦」としか言っていない。この日本史の1大事件にまだ名前さえついていない。これが歴史問題の難しさを良く表している。
日本政府はそういう問題に深入りする必要はないし、すべきではない。(国内での歴史教育の在り方につては、特異な日本国内での事情があることを踏まえ、考える必要があるが、ここではその問題は論じない。)
第3:中韓が歴史問題を提起して外交問題になった際にも、日本政府としてはそういう問題に関与することをよしとしないとして、拒否する姿勢を取る方がよい。
そういう原則的立場からすれば、村山談話でさえ問題である。それに反したということで、田母神航空幕僚長を更迭するなど、思想を理由にした弾圧のようなことである。ただ村山談話はもう出してしまったものであり、いまさら撤回したり、変えたりするわけにもいかない。
これを繰り返すだけにして、これ以上の踏み込みはしないことが、歴史問題を外交の場で取り扱う基本方針であるべきであろう。

3、 すっぱりと謝罪すれば歴史問題に悩まされなくなるというのは、今までの経緯に鑑みそうではないことが証明されている。その誘惑に引きずられてはならない。謝罪は、することより受け入れられることが大切と言うこともある。

4、 なお東京裁判史観について、私は東京裁判は全くの茶番劇であり、こういうことをしたのは日系米人の収容所送りや原爆投下と並んで、米国史にとっての汚点であると考えている。
(文責:茂田 宏)

集団的自衛権と同盟政策について

1、 日本の外交安保政策において集団的自衛権の問題は論争の的になってきた。内閣法制局が、国際法上日本は集団的自衛権を持つが、日本国の憲法上それを行使できないと言う憲法解釈を行ってきたからである。
 内閣法制局は集団的自衛権を、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」であると定義している。しかしこの定義は、集団的自衛権の定義としては、不十分である。この定義は集団的「自衛権」を他国を守る権利、すなわち「他衛権」として定義している。集団的自衛権は自衛権であって、いくつかの国が共同して防衛する権利である。集団的自衛権の共同防衛の権利である側面を、定義に取り込むことに失敗している。
集団的自衛権は、1945年のサンフランシスコ会議で、国連憲章の原案であるダンバートン・オークス提案には含まれていなかった。米州諸国がこの会議の前にチャペルテペック規約に署名し、大戦後に相互援助条約を締結することを約束していた。しかし、地域的取り決めや地域機関の強制的行動には、憲章53条で安保理の許可(これには常任理事国の拒否権が適用される)が必要と言う規定があり、その許可なしには相互援助条約を結んでも、その当事国は強制的行動をとれないことになる。それで集団的自衛権を国連憲章に盛り込み、安保理の許可なしに強制行動をとれるようにしたのが、この集団的自衛権観念が採用された背景である。共同して防衛すること、他国への攻撃を自国への攻撃と見なすことへの根拠が与えられたわけである。その経緯を内閣法制局の定義は十分に反映していないと言わざるを得ない。
国会答弁でなんどもこの定義を繰り返してきたので、その修正が難しくなっている。
しかし、集団的自衛権は保有するが行使できないという解釈には無理があり、憲法が自衛権を認めているのであれば、個別的なものであれ、集団的なものであれ、自衛権は認められているとの解釈が最も妥当な解釈である。1928年の不戦条約が憲法9条の規定ぶりの元になっているが、憲法9条をいくら読んでも、自衛権を個別と集団に分けて論じる必要は何ら出てこない。
この奇妙な解釈は出来るだけ早く改めるべきである。安倍総理時代の、4つのケースでの集団的自衛権の行使の是非を検討するというようなアプローチではなく、根本的に、憲法は集団的自衛権の行使を許容しているとすべきである。

2、 集団的自衛権は強者のための権利であるような誤解があるが、そうではない。弱者のための権利である。弱者が強国に守ってもらう、または弱者が資源をプールして共同防衛しようという権利である。今の日本のような国には必要な権利である。

3、 集団的自衛権は同盟の法的根拠である。全米相互援助条約、NATO条約、1955年のワルシャワ条約など、すべて集団的自衛権にもとづく。日米安保条約も前文で、日米が個別的、集団的自衛の固有の権利を有することを確認している。
安全保障政策において、同盟政策、合従連衡は重要な役割を果たす。
しかし、日本が集団的自衛権を行使できないということであれば、どこの国とも同盟を締結することはできない。何故ならば、同盟は相互防衛を約束するのが基本であり、一方的に日本だけは守ってもらえるが、日本は同盟の相手国を守らないと言うような同盟は考え難く、そういうことをしてくれる国はないからである。米韓条約も相互防衛を規定している。
日米同盟は特殊な歴史的経緯で成立した。米が日本を守る義務はあるが、日本は米を守る義務がないという片務的なものである。世界に類を見ないものである。それに甘えて、日本は集団的自衛権の行使は認めないというようなことを言っている。
中国の台頭に対処するために、豪州、韓国、インド、ASEAN諸国との協力を云々する人がいるが、集団的自衛権の行使はしないと言う政策を変えない限り、真面目な話にはならない。
1955−56年の日ソ交渉の際に、ソ連は、「日本国は日本との戦争に参加したいずれかの国に対して向けられたいかなる連合または軍事同盟にも参加しないことを約束する」との条文を、平和条約に盛り込むことを提案した。日本の同盟締結権能を制約しようとした。日本側は主権制限であるとこれを拒否した。
集団的自衛権を行使出来ないとの主張は、このソ連の提案を受け入れたと同じ効果を持つ。ソ連の代弁者ではないかと思われるような行動をした社会党が、集団的自衛権不行使を力説したが、これは日本の外交から同盟締結の可能性を奪うことが目的であったかのように思える。ソ連は日本国内の議論を、ほくそ笑んで見守っていたと思われる。

4、 集団的自衛権が行使できないということは日米同盟を揺るがせかねない。たとえば自衛艦と米艦が並走しているときに、敵から米艦が攻撃された場合、自衛艦側が集団的自衛権を行使できないという理由で、米艦を守るために何らの行動をとらず米艦を見殺しにし、多くの水兵が死亡したとする。米は世論の国であり、こういうことが起これば米世論は激昂し、日本を強く非難し、こんな同盟国は守るに値しないと結論するだろう。その時には、日本の命綱である日米同盟は崩壊することになるだろう。

5、 安倍総理、麻生総理はこの集団的自衛権を何とかしたいと考えたが、政治状況もあって、何も出来なかった。福田、鳩山、菅総理には問題意識すらなかったように思える。
これは重大問題であり、皆でよく考える必要があろう。
(文責:茂田 宏)

日本の武器禁輸政策について

1、 日本は現在原則として武器の輸出をしていない。その経緯は次の通りである。
1967年、佐藤総理は衆議院決算委員会で(1)共産圏、(2)国連決議により武器輸出が禁止されている国、(3)国際紛争の当事国またはそのおそれがある国に武器を売らないといういわゆる武器禁輸3原則を打ち出した。
(1)、(2)はよいが、(3)については、紛争の当事者について、どちらに理があるかの判断はせず、中立をよしとする考え方であり、問題がある。
しかしそれでも、佐藤総理の武器輸出3原則は対象国以外には武器を輸出するということであり、発想としては許容出来るものであった。
しかるに1976年、三木総理は衆議院予算委員会で3原則対象地域以外の地域についても武器の輸出を慎むとの方針を表明し、武器輸出は全面禁止になった。
その後、中曽根総理の頃、日米同盟の観点から米国向け武器技術供与を例外とすることになった。その後、それ以外の例外も作られてきた。

2、 この政策は最近見直されつつある。私は「平和国家として外国に武器を売るべきではない」という政策は理念もない上、偽善的であり、国益を損なっていると考えている。
第1:武器輸出をしないことが理念として正しいのであれば、日本は世界の各国に説いて、武器輸出を止めている日本の例に倣うように勧めるのが筋である。ところが日本はそういうことをしていないし、するべき立場にもない。何故ならば日本は世界の主要な武器輸入国であるからである。
米国から大量の武器を買っている。米国が武器を売ってくれないと日本の防衛は成り立たない。F-22を買いたいと思ったがうまく行かなかった。それでF-35を買うことになるようであるが、米武器の輸入は日本の安全のためにどんどんしている。イージス艦にしてもそうである。そういうことをしながら、日本は武器輸出していません、平和国家です、などというのは偽善的な話である。
他人に勧められず、他人が自分と同じことをしたら困ることは、立派な理念に基づく政策とは言えない。
昨年12月7日、福島社民党党首は武器禁輸政策に関する国会内会合で、「日本製の武器が世界の子供たちを殺すのを望むのか。日本が死の商人になるのは平和国家にそぐわない」と述べた。福島発言は少し極端な形で武器禁輸政策の理念を述べているが、この発言は看過しがたい問題を含んでいる。
(1)世界のほとんどの国は武器を輸出している。これらの国を「死の商人」として断罪したに等しい。福島党首は、中国や北朝鮮、米や仏、英、スエーデン、ロシア、スイスなどに行って、あなたの国は死の商人であると弾劾する用意はあるのか。ないのであれば、こういう発言をすべきではない。マフィアやアルカイダに武器を売ろうというのではない。
(2)日本でも他の国でも、警察は武器を有しているが、それは通常は治安を守るため、ひいては子供たちの命を守るために使われている。各国の軍が保有する武器も、通常防衛のためである。武器の機能はいろいろあることを忘れ、暴論を弄している。
(3)福島党首は護憲主義者である。日本の憲法は、「諸国民の公正と信義」を信じよう、世界の国々はよい国で侵略など悪いことはしないと言う考えに立っている。そういう良い国は子供を殺すこともないだろう。福島党首のこの護憲の立場と、世界の子供たちを殺しかねないからと武器禁輸を主張する立場は、整合性がなく支離滅裂な考え方である。
これは武器禁輸の理念なるものが如何にいい加減なものかを明確にしている。
武器禁輸政策の見直しに際しては、理念は正しいが、実際上の必要があるので修正すると言う発想で、官房長官談話で例外を作るのではなく、社民党の主張のようなものを根本から拒否したうえで、日本の武器輸出問題を考えるべきであると思われる。

3、日本が武器輸出をしていないことが国際的に評価されていると言う人がいる。猪口邦子参議院議員がそう言っていた。私は自分の経験から本当にそうかと疑問を持っている。武器輸出でもうけようと思っている国が、日本が競争相手にならないことを希望して、日本の政策を評価する可能性はあるが、世界の各国は武器輸出をしており、日本の武器禁輸の理念を評価し、それを採用している国などない。40年近く外交官をしていて、日本の武器禁輸を評価する声に接したことは私にはない。
例外はソ連勤務の頃に、日本国憲法は素晴らしいとか、武器を日本が売らないのは素晴らしいと言われたことがある。私はそこまで褒めるのであれば、ソ連も日本を見習ったらどうかと言っていたが、これは日本の防衛力、その基盤を弱くしておきたいという発想から、ソ連側がそういう発言をしていることは明らかであった。
日本に友好的な国で、日本から武器を買いたいと考える国がある。そういう国が武器を売ってもらえないことを評価するようなことがある筈がない。日本自身、米がF-22を売ってくれないことを遺憾に思うのであって、それを評価することなどないことを考えてみれば、すぐ武器を売らないことが評価されているなどという言説が根拠のないことが分かる。
この武器禁輸政策は実際上の不都合ももたらす。
私はイスラエルで大使をしていたが、イスラエルではイラクやシリアからの化学兵器の攻撃の危険が現実にある。国民は皆、家にガスマスクを持っている。日本大使館員もガスマスクを装備しておいた方がよいわけであるが、これを日本から輸入するのは禁輸政策で無理と言うことであった。イスラエル政府に頼んで、館員用のガスマスクを入手していた。
対人地雷がカンボディアでたくさん放置されている。子供たちが手足を吹き飛ばされるという被害にあっている。日本には地雷撤去のいい機械が開発されたが、これも武器であるということで輸出できなかった。後でこれは官房長官談話で例外扱いになり、今はNGOが地雷撤去をカンボディアでしている。現地でも評価されている。こういう良いことをするのを武器禁輸政策は阻害してきた。例外扱いまでにかなりの労力と時間を要した。
 私がテロ担当大使の頃、インドネシアからマラッカ海峡での海賊・テロ対策強化のために中古でもよいからと巡視船の供与を求められた。マラッカ海峡は日本のために重要なシーレーンであり、その安全は日本の国益にも資する。しかし巡視船は武器なので、この要望に応じられなかった。その後、例外扱いになり、今では出せるようになっている。

3、 国際社会で武器禁輸というのはどう取り扱われているか。
ある国に武器を禁輸するというのは制裁として行われる。北朝鮮、イランなどがいま武器禁輸の対象になっている。アパルトヘイトの南アもそうだった。武器禁輸対象にするということはその国を「ならず者国家扱い」にするということである。
天安門事件後、米とEUは中国に武器禁輸をしている。中国はEUにその解除を求めている。ここでの中国側の言い分は、中国として別にEUから武器を買いたいと思っているわけではないし、買わなくともよい、中国として我慢が出来ないのは中国をならず者国家扱いにして、制裁対象にしていることであるというにある。武器禁輸が制裁として扱われていることをこの事例はよく表している。
日本の武器禁輸政策はこういう国際社会の常識からみると、日本は世界のすべての国に対して制裁措置を発動しているような立場にある。みんなにやっているというので、世界の国々は仕方ないかと思っているフシもあるが、こういう政策が国際社会で評価されることはない。貴方のところの軍や警察は信用が置けないとすべての国家に言っているに等しい。

4、逆に武器の供与を行うと言うことは、供与国が供与を受ける国を信用が置ける国として取り扱っていることを意味する。国家にとり一番大切なのは生存、安全保障である。それに協力してくれる国を最もありがたいと思う。日本が米をもっとも有難く思っているのはそれゆえである。従って武器輸出というのは強力な外交の道具になる。武器を供与することによって、供与国と供与を受ける国の関係は大変強いものになる。日本はODA供与で諸外国との関係強化を図ってきたが、武器の供与はODAよりもずっと効果があるし、感謝される。世界の主要国は武器輸出により輸入国との関係を切っても切れない友好関係にしようとしている。米のサウジへの600億ドルの武器供与、米のエジプトやイスラエルへの武器供与、中国のパキスタンへの武器供与、ロシアのインドへの武器供与など、各国はその影響力をもつために武器供与を外交の道具として活用している。
最近、日本の国際的地位は経済の不調もあって、つるべ落としのように落ちている。武器輸出による関係を全く築いていないから、関係は脆弱である。武器輸出を成長戦略の一つとしている韓国よりも国際的地位が低い国になりつつある。
武器の供与がいかに感謝されるかは、歴史を知る日本の多くの人が、いまだにアルゼンチンに感謝の念を有していることに見られる。日露戦争の前、1903年、アルゼンチンはイタリアのゼノアで2隻の軍艦モレノとリバダビヤを建造中であった。ロシアが購入交渉をしていたが、日本が即金で払うと言うことで、アルゼンチンが日本に売却した。これが黄海開戦や日本海海戦で活躍した日進、春日の両艦である。ロシアに購入されていたら、日本の勝利はなかったかもしれない。

5、武器や軍事に転用可能な技術の輸出については、かなり厳格な規制が必要である。誰にでも売ると言うようなことは、日本の平和や国際的な平和の維持に役立たない。全部許可制にする必要があるし、その許可の手続きも厳格にする必要がある。
次のようなことにすればよいのではないか。
第1:日本が締結した条約、日本が加盟国になっている国際取り決めで、武器や技術の輸出を規制するものはこれを遵守する。(国連安保理決議での禁輸、MTCR、NSG、AG、ワッセナーがこれでカバーされる)
第2:同盟の強化を含め、日本の安全と平和と、国際的な安全と平和の強化に資すると政府が判断する武器輸出はこれを行う。政府内の判断は総理大臣が外相、防衛相、経産相の意見を聞いてこれを行う。
第3:武器輸出には厳格な規制を適用し、その許可に際しては、政府部内で慎重な検討を行う。国会の関与のあり方も検討する。(米ではサウジへの武器売却などは議会に通知する必要があり、議会は反対することが出来る。)ただし武器・武器技術を提供するに際して優遇すべき国は明示する。ビジネスとしてそういう国との武器の共同開発・生産は原則許可されるとの安定性を与える。
第4:武器移転国に対しては、供与目的外使用や第3国移転について、日本の拒否権、同意権を確保する。
 世界のすべての国にいい顔はできないことになるが、外交では選択を避けて通ることはできない。皆と仲の良い国はどの国とも仲が良くない国であると言うのが現実であろう。

6、なお武器の共同開発・生産は時代の流れであること、日本は防衛産業の基盤を維持する必要があること、輸出に伴う経済的利益など、ここに言及した以外にも重要な問題があるが、それらの論点への言及はここでは行わなかった。
(文責:茂田 宏)

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戦争と平和の問題

戦争と平和の問題

1、 日本外交が誤らないためには国民や当局者が国際情勢判断を誤らないことが重要であるが、国際情勢判断と同じように重要なのが、日本が情勢にどう対応するかである。
特に重要なのは戦争と平和の問題、言いかえると、安全保障政策である。
戦後の日本の安全保障への取り組み方には相当大きな問題がある。

2、 古川現国家戦略担当大臣が大蔵省に入った時の思い出として、当時大蔵大臣であった宮沢喜一さんが「戦争だけはしてはいけない」と訓示したと書き、そのことを肝に銘じておきたいと書いていた。
私は宮沢喜一さんのこういう発言は前提が誤っていると考えている。なぜかと言うと、日本が戦争になるかどうかは日本の選択だけにかかる問題ではないからである。そのことを心から納得して、認識することが重要である。
戦争をしないという決心をすれば、戦争にならないのであれば、そう決心すればいい。しかし戦争と平和の問題はそんなに簡単な問題ではない。
1917年のロシア革命後、ボリシェビキ政権は平和の布告を出し、第1次大戦から離脱しようとしたが、ドイツが攻撃をやめず、戦争は継続した。ブレストリトブスク条約でドイツの要求に全面的に屈服し、領土などで大幅な譲歩をしてようやく戦争は終わった。この交渉を行ったのがトロツキーであるが、その際トロツキーは同志たちに、「諸君は戦争に関心がない。しかし戦争が諸君に関心があるのだ」という演説をしている。
日本が戦争を仕掛けない限り戦争にならないというのは誤っている。戦争をしないと決心すれば、平和に過ごせるというのは根拠のない考え方である。平和を願えば、平和になるというのは人類の経験に反する空想的平和主義である。平和への祈りで平和をというのは、雨乞いで雨を降らせようとする古代の祈りのようなものである。
戦争と平和の問題は国家の外交にとり最重要な問題であり、真剣に検討すべきであって、空想や祈りで片づけられるものではない。

3、 本当に平和を望むのであれば、平和とはどういうものかよりもむしろ、戦争とはどういうものか、歴史上、戦争はどうして起こったのかを研究する必要がある。そして戦争にならないためにどうすればよいのかを考える必要がある。そのためには抑止など、軍事戦略の研究も要る。
ツキジデスは戦争の原因として、利益、恐怖、名誉を挙げている。永続した平和の類型として、レイモンド・アーロンは、覇権による平和、均衡による平和、核の破壊力への恐怖による平和を挙げている。そういうことについて思索を深めることが重要である。
戦争を知らない子供たちに戦争体験を語り継ぐなどの努力はしてもよいが、戦争の悲惨さを知ることと戦争がどうして起こるのかを知ることは別のことであり、後者の問題の方がずっと重要である。
安全保障問題に関して、ハト派やタカ派があると言われるが、私の見立てでは、日本にはダチョウ派が多い。ダチョウと言うのは危険が迫ると砂の中に頭を突っ込んで危険を見ないようにして危険をやり過ごそうとする習癖があるが、日本にはそういう人が多い。そういうダチョウがなぜ生き残ったのか。豪州と言う無害な環境にいたからであろうが、今の東アジアは北朝鮮や中国のことを考えただけでそういう無害な環境からは程遠い。

4、なぜこういう空想的平和主義の議論が日本で強いのか。
いくつかの要因があるが、大きく言うと三つである。
第1:日本人の歴史的経験がある。日本は島国であり、歴史上、他国からの侵略をうけたことは元寇しかない。第2次大戦で敗戦、占領を経験したが、これは自分がはじめた戦争の結果であった。それで自分から仕掛けないと、戦争にはならないという考え方をする。ロシア、中国、欧州諸国など大陸諸国は攻め込まれたことが多いが、そういう国民と経験の差がある。しかし技術が進歩した今、海が守りになる時代はずっと前に過ぎている。
第2:第2次大戦での敗戦体験の影響がある。「欲しがりません、勝つまでは」で、頑張った国民はその労苦を敗戦と言う結果で報いられ、もう戦争は嫌だという気持ちになった。戦争は悲惨なものであり、そういう気持ちになることはよく理解できるが、戦争と平和の問題はそういう感情論で処理できない。
第3:第2次大戦後、国際社会は強い対日不信を持ち、軍事的に弱い日本がアジアの平和、世界の平和のために好都合であるという観点から、政治的にも思想的にもそういう日本を作ろうとしてきた。これは米、ソ連、中国、韓国その他のアジア諸国のコンセンサスであった。
そのための努力は戦争罪悪感育成プログラム、GHQによる検閲、東京裁判など広範囲に行われたが、連合国、特に米国はその企てにかなりの程度成功した。
その中で、米国は主権国家が当然持つべき軍隊を持てないような憲法を日本側に押し付けた。このGHQが2週間足らずで起草し、押し付けた憲法は、今なお改正されることなく存続している。
この憲法前文には、「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いている。しかし日本人を拉致して返さない北朝鮮、尖閣問題で藤田建設の中国滞在者を人質にとるような行為をする中国、日本の領土を占領し続けているロシアのことを考えただけでも、「諸国民に公正と信義」があるとはとても思えない。この前文はないものをあると言っている虚構である。そもそも国家は国益を基準に動いているのであって、「公正と信義」で基本的には動いてはいない。これは常識と言ってよいだろう。
しかしこの常識外れの前文が第1、第2の要因と共鳴し合い、日本では少なくとも今日まで受け入れられてきた。
自由主義者であった石橋湛山は、世界は憲法のいう理想からまだほど遠いので、憲法の理想はそのままにしておくが、一時執行停止にすべしと論じたことがある。

4、 戦後日本のこういう誤った考え方が、戦後の日本外交に深く広い影響を与えてきた。
日本の外交を立て直していくうえで、この戦後日本をどう評価し、どうそれから脱却していくのかが最大の問題である。
戦後、日本に押し付けられてきた束縛がどういうものであるかというと、これは端的に言うと、象徴天皇制、1946年憲法、日米安保条約の3本柱から成っている。この3本柱は相互に依存し合っている。
1946年2月13日、ホイットニーが吉田茂外相、松本国務相などに日本国憲法を押し付けた際に、これを受け入れない限り、天皇が戦犯として訴追されることもありうると述べ、日本側がこれを受け入れざるを得ないと決断した。
サンフランシスコ講和条約で日本は占領を脱することになったが、それと同時に米軍駐留の継続を認める日米安保条約が締結された。憲法上、軍を持てない日本の安全保障をどうするのか、米軍の駐留を継続するしかないではないか、ということである。憲法と日米安保条約はそういう意味でセットになっており、いまでもそうである。
今後の日本を考える上で、私は日本が他国に脅威を与える存在にならないこと、軍事的に弱い日本がアジアの平和に役立つとの考え方から脱却する必要があると考えている。
日本がアジアで唯一の先進工業国家で産業基盤や科学技術力で他を圧倒していた時代は去った。いまや日本が脅威を与えるよりも、中国や北朝鮮からの脅威に日本は直面している。状況が変化した中で、日本もそれなりの対応をする必要がある。

5、 戦争と平和の問題を人任せにはせず、自分で真剣に考えることがこれからの我々の第1の課題であろう。
(文責:茂田 宏)

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