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日本国憲法の前文と9条について(雑感)
1、 憲法前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な
理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。
これは9条の元になっている考え方であるが、日本の周辺諸国に信頼に値する公正と信義があるのであろうか。私は国際政治や情勢を観察してきたが、こういうものはないのではないかと考えている。
北方領土を第2次大戦末期に占拠し、1946年に併合し、住民を強制引き上げさせたソ連と、その遺産をいまも引き継ぎ、日本の正当な返還要求に耳を貸さないロシアに、ここにいう公正や信義があるとはとても思えない。
横田めぐみさんなどを拉致し、拉致被害者家族の真摯な訴えにも耳を貸さない北朝鮮に、ここでいう公正と信義があるともとても思えない。
中国に公正と信義があるのかをダライラマさんに聞けば、そんなものはないというだろう。
米国その他についても、公正で信義に満ちた国と思わない人も多い。
中国、ロシア、北朝鮮その他の国を非難するためにこういうことをいうのではない。各国にはそれぞれの論理がある。
しかし国際政治や情勢がこの前文が描き出すようなものではなく、もっと厳しいというほとんど自明とも言うべき事実を我々は直視し、勇気を持ってそれを認める必要がある。
2、 憲法前文はこれに続けて、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上
から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」としている。
この文章も国際社会を美化しすぎている。専制と隷従、圧迫と偏狭を国際社会が本当に除去しようとしているのか。現実には、専制と隷従、圧迫と偏狭が広く見られる。
憲法前文は更に、「いずれの国家も、自国のことのみに専念し他国を無視してはならな
いのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じる」と述べている。
しかし各国はその外交において自国の国益の実現を重視している。相手がいるから、それは無視できないという事情はあるが、ここで普遍的とされている政治道徳の法則とは何なのか。国際法では、国家は国際法に従う義務はあるが、それを満たせば諸国家は平等である。他国と対等関係に立つために、ここでいう政治道徳の法則(内容は必ずしも明確でない)に従わなければならないということはない。それに従っていないから、その国を対等とみなさないという考え方は危険な考え方である。
3、 憲法9条はこういう前文で表明されている考え方、特に1、の点と密接不可分な関係
にある。要するに、国際政治や情勢についての根拠のない楽観的な考え方に基盤を置いている。これは理想主義というより夢想主義に近い。
4、 石橋湛山は勇気のある言論人であり、戦前日本の帝国主義的な膨張に異議を唱えた。
その石橋湛山は戦後、憲法について、憲法前文が描くような国際社会はまだできていない、したがって理想は理想として掲げつつも、そういう国際社会ができるまでの間、憲法9条の適用は停止すべきである、と述べている。この石橋湛山の考え方は常識的な判断である。
憲法の平和主義を日本の国際的役割を制限するために振り回し、結果として日本を「自国のことのみに専念させる」嫌いのある議論は考え直してみる必要がある。
(文責:茂田 宏)
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