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「週刊新潮」2019年4月18日号掲載




引用のルールとしては、本来、許されない方法だが、正確に理解するため、全文引用させていただきました。





娘を性的暴行の父に無罪判決、識者からも疑問の声「常識的な感覚を欠く」

4/18(木) 8:00配信
デイリー新潮

 名古屋地方裁判所岡崎支部の裁判官・鵜飼祐充(うかいひろみつ)裁判長(59)が下した「無罪判決」が世間で物議を醸している。当時19歳だった被害女性が、被告人である実の父親によって性行為を強要された2年前の“事件”をめぐるこの裁判。判決文の内容に基づく詳細は別掲「娘を性のはけ口にした父がまさかの無罪!  判決文に見る「鬼畜の所業」」記事を参照頂きたいが、被害者は中学2年生から性的虐待を受け続けてきたという。

 ***

「①法律を杓子定規に解釈すると、おかしなことが起きるという典型です。性犯罪のみならず、人が犯罪者に直面し要求されれば、怖くて抵抗できないということは多々あります。②例えば金を出せ、と脅されて被害者が応じたからといって、それを自主的に渡したというのは無理があるでしょう。それと同じで被害者の女の子も、普段からずっと家庭という逃げ出すことのできない場での暴力下に置かれていたわけで、 ③目の前で起こる出来事に対して、拒む、拒まないという選択ができる状況にはなかった、と考えるのが普通でしょう

 と言うのは、評論家呉智英氏。そんな状況に置かれても④なお、親の圧力の下から逃げられると裁判官が考えたのなら、あまりに的外れな判決だと呉氏は続ける。

「この判決を受けて、バカな親が調子にのって子供に性暴力を加えないか心配です。⑤この裁判官には、世の中の実態を見る眼がなかったのではないでしょうか

★上記の評論家呉智英氏とは、どんな人物か。
評論家ではあるが、専門は漫画である。
ウィキペディアによると「漫画評論家。京都精華大学マンガ学部客員教授(学位は学士)。日本マンガ学会二代目会長で現在は理事。」
客員教授ではあるが、修士号も博士号も持ってない「学士」に過ぎない。
早稲田大学法学部を卒業しては居るが、法律の専門家ではない。

呉智英氏の法律学的な思想、理論については

死刑問題

死刑制度は、人民が本来持っていた自然権であるところの「復讐権」を国家が奪っているとし、仇討ち制度の復活を唱えている[8]

人権、差別

以前、「差別のない明るい都政を」という某・東京都知事候補のキャッチ・フレーズに腹を立て、自分なら「差別もある明るい都政を」を唱えて立候補する、と宣言したこともある。
というトンデモ思想の持ち主である。
こんなトンデモ評論家を、専門外の法律問題について、ただ「評論家」という肩書きを付けて連れ出して、その意見こそが「評論家」が述べる正論であるのだ。
というこの記事の問題性と、無責任性に、悪意さえくみ取れる。

氏のコメントを細かく見てみましょう。

法律を杓子定規に解釈すると、おかしなことが起きるという典型です。
早稲田大学法学部の先輩ではあるが、ボクより10年以上も前の卒業生である。そのころ、どのような教育がなされていたのか知らないが、法律は、まず、杓子定規に解釈適用されるとことに、存在意義がある。
事案ごとに、杓子定規でなく、伸縮自在に適用されたら、それは、法律という存在であっても、法律の機能を果たしては居ない。
法学部で学ぶ基礎の基礎である。

法律を杓子定規に適用したら、おかしな結論になるとしたら、その場合、考えられることは3つ。
その1 杓子定規に適用した裁判官が悪い。
その2 適用された法律が間違えている、改正すべきである。
その3 おかしいと思っている結論が、実はおかしくない。

その1を採用して裁判官を批判することが、一番、安易な方法である。
裁判官は、ひとり、または、3人であり、批判対象は少数者なので、大きな反撃が予想されないから容易に批判できる。批判に対する賛同者も増殖するだろう。

その2を採用するのは難しい。国会を批判することになる。そして、国会を動かして、間違えている法律を改正させるには、大きなエネルギーが必要な上、自分は、そこまでやる勇気もやる気も持っていない。自分は評論家であり、政治活動家ではないのである。

その3の方法は採用できない。杓子定規な結論が正しい。ということを認めるのは、自己否定に他ならないからである。

以上から、悪意はなくても無責任な評論家は、その1の論法に走る。それ以外に向かうことはない。
しかし、それが、いやしくも早稲田大学法学部を卒業した人がやっているとなると、例え法律が専門ではなく、漫画が専門であっても、見過ごせるものでは無い。
さらに、その意見を記事に取り上げた週刊新潮の無責任さも、許せるものでは無い。

例えば金を出せ、と脅されて被害者が応じたからといって、それを自主的に渡したというのは無理があるでしょう。

これは、強姦罪(旧罪名)と似た構造を持つ強盗罪との比較を論じたものであろう。
脅されて被害者が応じたら、自主的に渡したというのは無理がある。当然である。
脅しの強弱により、強盗罪になったり、恐喝罪になったりする。犯罪行為になる。
この②は、特段、間違えた論述ではない。
他方、脅しの程度が低く、断れば断れたのに、被害者が極端に臆病だったためお金を渡してしまった。という場合には、恐喝罪にも当たらないこともあろう。

本件裁判では準強姦罪(旧罪名)が問われている。
抗拒不能な状態において性的暴行が加えられたことが法律上の要件だ。
刑法
(準強制わいせつ及び準強制性交等)
第百七十八条(略)
2 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。
(前条とは強姦罪(旧罪名)である。)

問題は、抗拒不能の状態にあったか否かであって、強盗の例を引用しても、この判決の批判には何の役にも立たないのである。折角の正論ではあるが、役に立たないとは、なんとも残念である。

これをインタビューに引用したことは、氏が判決の意義を全然理解していないことを示し、記事に盛り込んだことは、記者も同じく無理解であることを自白していることになる。

目の前で起こる出来事に対して、拒む、拒まないという選択ができる状況にはなかった、と考えるのが普通でしょう

②が的外れであったことに対して、③を論じることは、判決批判の対象を正しく捉えていると言って良い。
拒む、拒まないという選択ができる状況にはなかった
というのは、抗拒不能の状況にあったと言い換えることが可能であり、準強姦罪の成立を認めるべきだ。という主張の裏付けとなるものである。

氏は、と考えるのが普通でしょう。言っている。
これは裁判官の事実認定に対する批判である。

刑事裁判における事実認定は、言うまでも無く、裁判に採用された証拠に基づいて行われる。
刑事訴訟法
第三百十七条 事実の認定は、証拠による。
第三百十八条 証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる。

残念ながら、ボクはこの事件の証拠を見ていない。法廷傍聴もしていない。
ボクは、この裁判官の事実認定が正しいか、誤っているかの判断材料を持っていない。
そういう場合、ボクは事実認定の正否についてコメントしないことにしている。責任を持った発言ができないからである。

氏は、証拠を見たのだろうか。
断定はできないが、99.9%見ていないだろう。
それにも関わらず、裁判官の事実認定を批判するのは、無責任である。
非論理的ですらある。
犯罪行為は非日常的な行為である。
そこには、合理的でない要素が存在することが多い。
逆に言えば、合理的に行動していれば犯罪など通常は起こらないのだ。
〇〇と考えるのが普通でしょう。というのは、犯罪が非日常的行為である。という認識に欠けた「自称常識人」の常識を、非日常的行為に当てはめる。という決定的なミスを犯している。

なお、親の圧力の下から逃げられると裁判官が考えたのなら、あまりに的外れな判決だ

これも③と同じ批判が当てはまる。
長くなるので詳細は省略。

この裁判官には、世の中の実態を見る眼がなかったのではないでしょうか

この父親を無罪にすると、同じことをする不埒な父親が増えることを憂慮した発言である。
そういう馬鹿親爺が増えないように工夫するのは、立法や行政の仕事であって、司法の仕事ではない。
馬鹿親爺の増殖を防ぐために、本来無罪になるべき人を有罪にすべし。というなら、暴言としか言いようが無い。
社会秩序を守るためなら、えん罪を出しても構わない。積極的にえん罪を出すべきである。そんな主張に理があろうはずがない。


さて、記事に戻ろう。

 改めて無罪を勝ち取った父親の代理人を務める弁護士に訊いてみると、

「刑事裁判は、被告人が道義的にどうかという問題を議論する場ではなく、犯罪そのものが成立するかどうかを審議する場所です。世間、社会一般から見て被告人を罰するべきだという意見があるからといって、『そういう意見が大勢を占めているので、あなたを犯罪者として罰します』ということになれば、裁判も何もいらなくなってしまう。『疑わしきは被告人の利益とする』という大原則に基づいた判断を、裁判所はされたのだと思います」

★この弁護士のコメントは、至極まっとうな意見である。
非の打ち所がありません。
この判決に疑問を持っている人は、このコメントを良く読み込み、理解を試みてください。
理解できないかも知れない。でも、努力はしてみてください。

記事に戻る。

“大原則”に基づくという意味では、鵜飼裁判長は過去に何度も無罪判決を出すことで、界隈では知られた存在だった。

★これは、記者の言葉と思われる。
この言葉で、無罪判決を出す裁判官は悪い裁判官である。という印象操作がなされている。
無罪推定の大原則に従って無罪判決を出したのなら、その裁判官は職責を貫いたのであり、無罪推定の原則を破り、疑わしい被告人を有罪にしたのなら、その裁判官はえん罪を生み出しかねない危険な裁判官である。
記者は、後者の裁判官がお好みのようだ。



やりたい放題
社会部記者が言うには、
「この10年余りで少なくとも7件の無罪判決にかかわっていますが、最も注目を浴びたのは2015年の事件です。当時、全国最年少首長として注目を浴びていた、岐阜県美濃加茂市長が収賄などの疑いで逮捕されましたが、鵜飼さんが担当した一審の名古屋地裁は証人の証言を信用せず、無罪を言い渡したのです。ところが高裁では逆転有罪、最終的には最高裁が上告を棄却して有罪が確定しました」

★鵜飼さんが地裁で出した無罪判決は、高裁で逆転有罪となり、最高裁も有罪と認めた。
つまり、鵜飼さんの無罪判決は間違えていた。と言いたいのだろう。

現行法上、三審制が取られ、地方裁判所の判決は、高裁、最高裁で覆されることがある。そして覆された以上、法律上は、間違っていた。という論理になる。これはやむを得ないことだ。

本件以前に、鵜飼裁判官は7件の無罪判決に関わっているが、そのうち、上級審で逆転有罪になったのは2件である。
1件の逆転判決を紹介して、5件の逆転しなかった判決を紹介しないのは、記事としてフェアと言えるだろうか。


記事に戻る。

 日本における刑事裁判の有罪率は、99・9%。諸外国と比較しても異常に高く、テレビドラマのタイトルにもなるほどで、起訴されてしまえば裁判官はほぼ「有罪判決」を下す。その現実が、冤罪事件を生み出しているとの指摘もあって社会問題となってはいるものの、今回のような法の解釈に拘泥した「無罪判決」を、世間は望んでいるだろうか。

★確かに、有罪率99.9%は、えん罪の温床になっていると思う。
本来、無罪推定の原則があるのだから、無罪判決は極端に言えば「合理的な疑いが残るから無罪」の一行で書ける。
他方、有罪判決は、無罪の可能性を全部否定しなければならないから、膨大な執筆を迫られるはずだ。
しかし、99.9%の現状、有罪判決よりも、無罪判決の方が、分厚く、長大で、丁寧に書かれている。
裁判官は、無罪判決を出す方が、有罪判決を出すよりもズーッと勇気と根気が必要なのだ。

今回の無罪判決に当たっても、世間からの誹謗中傷を受けることを覚悟の上で、その批判に耐えられる判決を書かなければならないプレッシャーは、相当に重荷であったであろう。
しかし、それをはねのけて無罪判決を出した。
それは、法の解釈に拘泥したと言われるような「いやいや書いた判決」ではなく、法の解釈に忠実に、誠意を持って書かれた判決であると考える。
これは、裁判官の心情の問題だから、あくまでも推測である。しかし、刑事裁判官の仕事を知っている身からすると、大変な葛藤の上、自ら信じて出した判決だと信じたい。
それに対する根拠のない批判には、心痛を覚えずには居られない。


記事に戻る。

「日本の裁判官は守られすぎていると感じます」

 と嘆くのは、刑事法学が専門で常磐大学元学長諸澤英道氏である。

「この件では、あまりに常識的な感覚を欠く判決を下す裁判官だと言わざるを得ませんが、日本はいったん任用されたら定年まで勤め上げることが可能なんです。海外ではだいたい5年、10年と任期が区切られ、再任用の際にはどういった考え方を持っているか、過去の判決を含めて厳しくチェックされます。けれど、日本は『裁判官の独立』という名の下に、上の者が下を指導することはほとんどない。それをいいことに一部の裁判官は野放しにされやりたい放題で、最近だとSNS上にブリーフ姿を投稿した方もいましたが、戒告処分に止まっている。ネット社会になり、様々な情報が広く公開された今こそ、一般の人々がおかしいと思ったらどんどん声を上げ、裁判官の見識を問う必要があるのではないでしょうか

諸澤英道氏は刑事法学が専門とのことだが、憲法と裁判所人事には、知識が浅いようだ。
日本はいったん任用されたら定年まで勤め上げることが可能なんです。

日本国憲法
第八十条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。
下級審の裁判官は、10年任期で、10年ごとに再任がある。逆に言うと、10年間は身分は安泰だが、10年ごとに再任されない危険を負っている。
上記、緑色の記述客観的に誤りであることをおわかり頂きたい。

鵜飼裁判官は、45期で、平成5年に判事補として任官しているから、10年区切りで行くと、平成25年に再任を受けており、平成35年(令和4年?)までは、憲法上の身分保障がある。後4年・・・
年齢は59歳。誕生日までは判明しなかったが、裁判官の定年65歳まで、あと6年。
2年早い退職になる可能性はあります・・・

日本は『裁判官の独立』という名の下に、上の者が下を指導することはほとんどない。


あんた馬鹿?
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日本の裁判官は、最高裁人事局に両手両足を縛られて、身動き一つできないの。
鵜飼裁判官も、59才にもなって高裁じゃなくて、名古屋地裁、それも岡崎支部にいるなんて、7件も無罪判決を書いた「罰」なんだぜ。分かってないなあ。

一般の人々がおかしいと思ったらどんどん声を上げ、裁判官の見識を問う必要があるのではないでしょうか

それは、それで良いと思う。
ただし、先にも書いたように、事実認定は証拠により行われる。証拠を見ないで事実認定を批判するのは、日光を見ずして結構というようなもんだ(分かるか?)。
それが分かった上で批判するなら批判しよう。
つまり、証拠を見ていない自分の批判は、もしかしたら的外れかも知れない。という自覚を常に持っている必要がある。
証拠も見ない批判に自己陶酔してはならない。


記事に戻る。

 検察は判決を不服として控訴に踏み切ったが、次の裁判長殿は大丈夫だろうか。

「週刊新潮」2019年4月18日号 掲載

新潮社


★新潮社こそ、大丈夫だろうか。という言葉を贈りたい。


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少なくとも30年前の新潮・文春は(アンアンが恋愛特集や星占いをやるのと同様に)表面喧嘩しながら少年法反対と精神病者を拘禁できる立法をというキャンペーンばっかりだったので、その手の記事は今に始まったものではないというか、むしろ不倫話とかから戻ってきた感はある。
とか言いつつ買ってる自分はなんなんだ、ということでもあるのだが。
新潮45はだいじょうぶじゃなかったね。

2019/4/18(木) 午後 9:20 [ s_d*te1*17 ]

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司法のできることではないが、立法や行政には大いに何とかしてほしい。
子ども(実子養子はもちろん配偶者の養育中の子どもや養育中の親戚の子どもも)とやったら合意の有無を問わず、って法律あってよいのではないか。

2019/4/18(木) 午後 9:33 [ s_d*te1*17 ]

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今度の新潮にも似たような件(今度は静岡地裁)の記事があり、再び諸澤元学長登場…。
そういえば、法学部学生時代に週刊新潮を買うようになったのは朝日新聞を読んでると忘れる『世間』の感覚を知るためだったことを思い出した…。

2019/4/22(月) 午後 0:12 [ s_d*te1*17 ]


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