弁護士を呼んでくれ

あなたの大切な人が逮捕されたら、 すぐ、 弁 護 士を呼びましょう!

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NHKが、被爆から70年ということで、意識調査を実施したよ。


要約すると
問1 広島に原爆が投下された日は、何年何月何日か?
問2 長崎に原爆が投下された日は、何年何月何日か?
問3 アメリカが原爆を投下したことをどう思っているか?
問4 近い将来、核戦争が起こる可能性があると思うか?

問1、問2は、流石に広島、長崎での正答率が高いが、日本全国になると正答率は30%を下回る。
しかし、日にちを正確に知っていることに意味があるのか?
大化の改新は645年だが、何月何日なんて知らないし、知らなくても何も不便はない。
良い国作ろう鎌倉幕府に至っては、1192年じゃないのが最近の歴史の通説らしい。
全国の正答率が意外と低くて、国民が感心を抱いていない。と印象づけようというアンケート結果発表だろう。

問3は、5年前よりも、今年の方が、許している人が増えている。
全国平均よりも、広島、長崎の人の方が(理由はわからないが)アメリカの原爆投下を許している、というアンケート結果だ。
これは、アメリカを許して、アメリカの属国になりましょう。
という根回しでは無かろうか。



ブログ主が着目したのは、問4だよ。

問4 近い将来、核戦争が起こる可能性があると思うか?
次の4つから選んで下さい。
 1) かなりある。
 2) 少しある。
 3) あまりない。
 4) 全くない。
 5) 分からない、無回答。
5)があるのだから、4択ではなく5択だと思うのだが、それは些末なこと。

アンケート集計結果の円グラフには、5個の回答結果が集計されていない。
アンケート結果が、3つに分類されて、グラフになっているのである。

アンケートは5択なのに、なぜグラフは3分類なのだろうか。
これがブログ主の興味を呼び起こした。

問題の円グラフは、これだ。

イメージ 1


5択のはずだったのに、
青:ある 
赤:ない 
黄緑:分からない、無回答
の3分類になっているのである。

そこで、NHKが公表している 原資料 に当たってみた。

原資料から、この部分だけ抜粋する。

イメージ 4


円グラフも、原資料も、全国、広島、長崎の3種類がある。
分かり易くするために、全国のものだけ、取り上げてみる。


NHK発表の3分類

イメージ 2


NHKの原資料に基づき

5択を反映させたもの

イメージ 3


 原資料を読むと(全国では)

近い将来、核戦争が起こる可能性が
 1) かなりある       20.6%
 2) 少しある         45.8%
 3) あまりない       21.2%
 4) まったくない       5.4%
 5) わからない、無回答  7.0%

4)のまったくない、という回答が、5.4%しかない。
この数字は少ない。小さい。
これを隠蔽するために、NHKは、3)と4)を足し算して
「ない」という回答分類を作り出して、

「ない」と答えた人が、27%も居ました。

というアンケート結果を作り出し、わざわざ円グラフにして発表したのである。

しかし、よく考えると、3)「あまりない」という回答は
「少しはある」という回答と同義なのだ。
2)の「少しある」と紙一重である。
(どう区別するのかも、微妙なくらいだ)

そこで、3)の数字を、2)に足し算してみると
「少しある」+「少しはある」=67%にも達する。

かなりある=21%
少しある=67%
全くない=5%
無回答=7% (四捨五入)

という整理も可能だった。
もちろん、2)と3)を足し算しないで、5択のまま並べるのが正当であり、公正なアンケート結果分析である。

なぜ、NHKが、このように手心を加えたのか。
国民を欺くためである。
そう考えるのが合理的であろう。



さて、原資料を見てみると、NHKが公表したもの以外にも
アンケートを実施していたよ。

全部は公表しないが
原爆投下の年月日を知っていますか。
よりも、もっと、もっと大切なアンケートが
公表されずに、埋もれていたよ。



イメージ 5

 
イメージ 6


NHKは、なぜ、こんな大切なデータをグラフにして公表しないのかな。

アンケートを採ってみました。
安倍政権に都合の良い数字が出たら公表しますが
まずい数字だったら公表しません。
ということなんじゃなかろうか。

こんなNHKに視聴料を腹痛くありません!!!

イメージ 7

      
 

弁護士と医師

昨日、病院に行って、外来で診察を受けた。
待合室で、待っている間に考えた。


弁護士と医者って、よく比較される職業なんだけど
実際のところ、どうなんだろう。


よく言われるのが、高収入の職業だ。ということだろう。
その真偽を追求することも、分析することにも、あまり興味はない。


もっと本質的なところを考察してみたい。

ボクが思うに、弁護士も医者も共通するのは
できればお世話になりたくない職業だ。
ということ。

弁護士や医者のお世話にならない生活は
平穏で、健康で、幸せで、無駄な支払がない。
実は、弁護士や医者は、嫌われている職業なんじゃないのか?

これと関連すると思うが
初対面の時に、職業を名乗ると
何かあったら、ヨロシクお願いします。
と言われる。。。かなりの高確率で言われる。
これは、弁護士、医者に共通するとことではないだろうか。

こう言われたら、苦笑いをするしかない。
ぜひぜひ、私のところに来て下さい。
どうぞヨロシク。
という返事はできない。

なぜなら、お世話になりたくない職業だからだ。
弁護士、医者のところを訪問するときは
その人に、なんらかの不幸が訪れたときだ。
あなたに不幸が舞い降りますように祈ってます。
そのときは、私がお役に立ちますよ。
とは言えないのだ。

医者の場合には、
病気にならないように定期検診をしましょう。
検診に来て下さい。
と応対することが可能だろう。
それならギリギリセーフかな。

弁護士の場合には
法律紛争に巻き込まれないように定期診断しましょう。
とは、なかなか言えない。
そういうシステムは出来上がっていないし
構造的に、定期検診には不向きなんだろう。

ボクの場合
何かあったらよろしくお願いします。
といわれたら、
何かある前に来て下さい。
その方が、損も小さく、早く解決できますよ。
とお話しすることにしていますが
今度は、お友達の方が苦笑いしてしまいます。

何かあったら、ヨロシクお願いします。
という言葉の裏側には、
何もなかったら、あなたとは(職業上は)付き合いたくないです。
という意味が隠されているんだ。

弁護士のところなんか本当は行きたくないのだから
早め、早めに行くなんて、ありえないよ。
自分で、なんとか解決しようとして、
どうしてもダメな場合だけ、仕方なく行くんだよ。
と思ってるのである。


弁護士も医者も、できればお世話になりたくない職業なのだが
じゃあ、実際にお世話になるか。というと、かなり様相が異なる。

ゆりかごから墓場まで、という言葉があるが
出産から、墓場に入るまでに、一度も、医者の世話にならない人は
まず、居ないだろう。0%に限りなく近い。

産婦人科で、出産したら、
生まれた瞬間に、もう医者のお世話になっている。
(助産院などで生まれて、これを経験しない人もいるだろうが。)

死ぬときも、多くの人は、医者の診断、治療を受け
その甲斐もなく、残念ながら臨終のときを迎える。

時には、突然の心臓発作、交通事故など不慮の事故で死ぬ人も居る。
そういう人も、息を引き取る瞬間に医者の世話になっていなくても、
医者が、死亡診断書を書く。という程度にはお世話になるだろう。

もちろん、生と死、という特別な瞬間を除いては
ずーーーと健康で、一度も医者の世話にはなったことがない。
という人も、稀にいるだろうが
多くの日本人は、怪我や病気で、何度も医者の世話になる。

とくに子どもの頃は、よく病気になり、医者に通う回数が多い。
そのため、主治医、かかりつけ医、家庭医など、
特定の医者と継続的にお世話になっている人も多いだろう。

これに対して、弁護士とは、生涯、一度もお世話にならない。
という人が、圧倒的に多いと思われる。

弁護士が出産に立ち会うことはないだろうし
死んだときに弁護士が死亡の事実を確認する手続もない。

ただ、人が死亡したときは、相続が発生するから
弁護士が必要とされる可能性はある。でも、マストではない。

その結果なのか
弁護士さんなんて、初めてお会いしました。
という人が、案外と多い。

それと関係があるか、あるんじゃないかな。と思うのが
弁護士は、敷居が高い。
と言われる。

会ったこともないし
できれば会いたくもない人なんだから
敷居が高いのは、当然なのかも知れない。


弁護士も医者も、できればお世話になりたくない。
だが、医者には何度もお世話になっているが
弁護士には、お世話になることは、殆ど無い。
この違いは、なんだろう。

単純に、件数、回数の多寡だろうか。
医者のお世話にならなければならない病気、怪我の数と
弁護士のお世話にならなければならない紛争の数
そもそも桁違いに、違うのではないだろうか。


ところで、
医者が必要な病気、怪我というのは、どうやって線を引くのか。
というと、第1は患者の判断である。
重傷で倒れて意識不明などの場合には、
周囲の者の判断で救急車を呼ぶだろうが
軽傷の場合には、患者本人が、医者にかかる、かからない。を判断する。

このくらいなら、市販薬で治るだろう。寝てれば治るだろう。

医療の対象は、人の身体であり、人は自然治癒力を持っているから
医者が治療しなくても、治る場合がある。
(医者も、医療とともに、自然治癒力を活用している)


弁護士の場合は、どうだろう?
弁護士に相談に行くか、依頼に行くかは、依頼者の判断だ。
裁判で負けそうになってギリギリになっても救急車は来てくれない。
本人が頼まなければ、弁護士は来ない。

例外は、刑事事件の国選弁護。
一定の重大事件などでは、本人が弁護人を依頼しなくても、
国が国選弁護人を選任してくれることがある。

これは、病気に例えるなら、
このまま放置しておくと、
死んじゃったり、重篤な後遺症がでるかもしれないうから、
本人が頼まなくても、お医者さんが緊急手術をするよ。
みたいなものだ。


元に戻る。
弁護士を頼むか、頼まないかは、依頼者が決めるのが原則。

いや、弁護士なんか、要らない。
おれが正しいんだから、おれが勝つに決まっている。
弁護士なんかに無駄な金を払う必要はない。
自分で裁判でも、なんでも、やってやるぜ。

こうやって、紛争がこじれていくことも多い。
そこに自然治癒力は存在しない。と言って良い。

弁護士が居なくても、
街の有力者、角のご隠居さん、市会議員さん
司法書士さん、行政書士さん、税理士さん、
銀行員さん、親戚のおじさん、市役所の人、ヤクザさん

弁護士じゃなければ、だれでも良い。
弁護士は敷居が高くて、頼めないから、他の人に頼もう。
もしかすると、それで解決するかも知れない。
市販薬で風邪が治った、みたいに効果があるかも知れない。

かえって、もっと深刻になってしまうこともある。
その病気に、その市販薬が合ってなかった。
市販薬と思っていたら、違法ドラッグだった。
いろいろ、副作用が懸念されるところだ。


それでも、弁護士は敷居が高い。


長くなったので、いったん切る。
弁護士の敷居についは、またの機会に。

  






 
はじめに
 議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。
 「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。
 以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。
 申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。
 皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。
 マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。
 民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。
 キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。
 私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。
アメリカと私
 私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。
 家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル-フランシア夫人。寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。
 ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。
 デル-フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。
 のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。
 上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。
 ――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。
アメリカ民主主義と日本
 私の苗字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。
 農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。
 日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。
第二次大戦メモリアル
 先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。
 一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。
 その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。
 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。
 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。
 歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。
 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。
かつての敵、今日の友
 みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。
 近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。
 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。
 これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
 熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。
アメリカと戦後日本
 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。
 アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
 焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。
 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。
 下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。
TPP
 こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。
 日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。
 太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。
 許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。
 その営為こそが、TPPにほかなりません。
 しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。
 経済規模で、世界の4割、貿易量で、世界の3分の1を占める一円に、私達の子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。
 日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。
強い日本へ、改革あるのみ
 実は…、いまだから言えることがあります。
 20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。
 ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。
 日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。
 私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。
 世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。
 人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。
 日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。
 親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。
 日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。
戦後世界の平和と、日本の選択
 親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。
 省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。
 日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。
 この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。
地域における同盟のミッション
 私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。
 日本は豪州、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。
 日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は格段に安定します。
 日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。
 アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。
 第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。
 太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。
 そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私達には、その責任があります。
 日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。
 この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。
 戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。
 ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。
 いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。
 それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。
日本が掲げる新しい旗
 1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。
 その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。
 これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。
 国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。
 人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。
 自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。
 いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。
 繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。
 テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。
 日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。
 自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。
未来への希望
 まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。
 「落ち込んだ時、困った時、...目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。
 2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。
 そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。
 私たちには、トモダチがいました。
 被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。
 ――希望、です。
 米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。
 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。
 希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。
 ありがとうございました。

無念です

本当は書きたくなかった。

文字に書き留めることで、
そのことが事実であると認めることになってしまうから


大切な友を失った。
彼は、7月10日午後4時、遠い世界に行ってしまった。
家族や、友の願いもむなしく。

彼は、思いやりの人だった。
親切心と、愛情にあふれた人だった。
人情に厚い人だった。

情熱の人だった。
もちろん正義の人でもあった。


僕が、会館に行くとき
いつも彼の存在を意識していた。

忙しい彼だから、席に座っていることは少ない。
でも、僕は、会館につくと、必ず彼の座席を覗いた。
殆どの場合、彼はいないのだが。
稀に彼が座っていても、挨拶もしない。
彼が存在していれば、それで十分なのだ。

僕が、会館から帰るとき
いつも彼の席を覗いた。
ひとこと、ふたこと会話を交わすこともあった。
ただ、目と目を合わせて、
今日は帰る。と合図を送るだけのこともあった。

彼とは意見が対立することもあった。
でも、彼は、対決姿勢ではなく
包み込むように説得してくれた。

彼は、僕より4つほど年上だ。
でも、タメとして付き合ってきた。
彼とは、良く飲みに行ったりもした。
最近は、お互いに忙しくなりすぎて機会がなかったけれど。


彼が行ってしまった後、近しい人から、彼が僕の話をしていたことを聞いた。
最近、僕がオーバーワークではないか。
会館での仕事を減らした方がよいのではないか。
と、とても心配していたと。

そんな彼が、先に逝ってしまった。
彼こそが、オーバーワークだったのに
僕のことを心配してくれていた。
心配しなければならないのは、自分のことだったのに。


今は、一人になる時間が怖い。
仕事に忙しくしているときや
誰かと、真剣に話をしているときは
彼は、僕のところに来ない。

でも、僕がひとりでいると
彼の思い出が、僕を訪ねてくる。

彼が居なくなった隙間の大きさを痛感させられる。


明日は、彼のお通夜。
そして、土曜日は告別式。

所要でお通夜には行けないが
告別式に行って、最期の挨拶をしよう。
そしてお礼を言おう。

そうは思うのだが、本音は、お通夜にも告別式にも行きたくない。

告別式に行けば、彼が逝ってしまったことを認めなければならないから。


だから、自分に区切りをつけるために、
今日、ここに記してしまおうと思う。

告別式に行って、彼と会うために。
彼にお礼を言う勇気を振り絞るために。

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