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逮捕中(勾留前))に家族は被疑者と面会できるか?

この疑問に対して、インターネットで、護士がどのように答えているか。いろいろ検索してみました。

まず、3つ見て下さい。

① 困難です。
イメージ 1


② できないケースが多い。担当刑事の許可があれば
イメージ 3













③ 権利としては認められていません。
イメージ 2



ニュアンスは異なるが
権利としては認められていないので、面会は困難だが、担当刑事の許可があれば、面会できることがある。
とまとめることができよう。

このように答えた人は、同一人物で、矛盾していたら困る。上記のように整合的にまとめることができて、幸いであった。
その人物は、鉄腕の岡野代表である。

鉄腕は、家族が会うのは困難なので、確実に会える弁護士に依頼しましょう。と誘導している。

わざと水曜日に逮捕された例を出し、金曜日に勾留決定が出て、土日を挟んで月曜日まで家族はあえない。と煽っているところが、生理的に嫌いだ。

ちなみに、東京弁護士会のHPも鉄腕と同趣旨だ。
逮捕され、警察署の留置所で身柄を拘束されている間(最長72時間)は、弁護士以外はご家族といえども面会できることは稀です。

ただ、鉄腕も東弁も(最長72時間)は誤りです。
第二百四条 検察官は(略)留置の必要があると思料するときは被疑者が身体を拘束された時から四十八時間以内に裁判官に被疑者の勾留を請求しなければならない。(略)
第二百五条 検察官は(略)留置の必要があると思料するときは被疑者を受け取つた時から二十四時間以内に裁判官に被疑者の勾留を請求しなければならない。
2 前項の時間の制限は、被疑者が身体を拘束された時から七十二時間を超えることができない。(略)

法律上、検察官に最長72時間以内の時間制限があるのは、「勾留請求」です。
勾留請求を受けた裁判所が記録を検討し、被疑者の勾留尋問をして、勾留状を発付して執行されるまでの時間は72時間に含まれません。その間、逮捕による身体拘束が続くのです。ですから、当然、72時間を超えることはありえますし、実在します。

ちなみに、殆どの裁判所では、勾留請求があると、その日のうちに勾留決定がでるのですが、東京は人数が多いという理由で(?)、請求の翌日に勾留質問をして勾留の裁判をするのが常態となっています。
つまり、東京で逮捕されると、他の道府県で逮捕される場合に比べて、逮捕期間が自動的に1日長いのです。ですから、捕まるときは、東京ではなく、他の道府県をお勧めします。
東京の弁護士は、長年、それに慣れ親しんでいるので、被疑者が1日長く身体拘束されることに麻痺しています。


つぎのを見てみよう。

⑤ 家族であっても被疑者には接見できません。
イメージ 4






警察の持ち時間48時間は、家族は接見できないと断言している。(では検察の持ち時間24時間は?というと、何も書いてない。)
担当刑事のご機嫌なんか関係なく不可能と言うことだろう。
この見解の主は、ヴィクトワール法律事務所だ。
イメージ 5



 


この事務所も、家族は面会できないので、弁護士に依頼しましょうと言っている。


つぎは、どうだろう?

⑥家族や知人とは、警察署で面会することができます。
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真逆の結論を提示するのは、刑事弁護フォーラムだ。


ちなみに、刑事弁護フォーラムのトップページにボクの写真が載っているのだが、そろそろ変えて貰えないかな。



結論は3通りだが、全てに共通していることがある。
それは、すべてに根拠条文が示されていないことだ。

はたして、正解は、どこに書いてあるのだろう???



追記
法テラスFAQ
・逮捕後においては、弁護士と接見することができます。
家族は面会できない説に立脚しているように読める。




「週刊新潮」2019年4月18日号掲載




引用のルールとしては、本来、許されない方法だが、正確に理解するため、全文引用させていただきました。





娘を性的暴行の父に無罪判決、識者からも疑問の声「常識的な感覚を欠く」

4/18(木) 8:00配信
デイリー新潮

 名古屋地方裁判所岡崎支部の裁判官・鵜飼祐充(うかいひろみつ)裁判長(59)が下した「無罪判決」が世間で物議を醸している。当時19歳だった被害女性が、被告人である実の父親によって性行為を強要された2年前の“事件”をめぐるこの裁判。判決文の内容に基づく詳細は別掲「娘を性のはけ口にした父がまさかの無罪!  判決文に見る「鬼畜の所業」」記事を参照頂きたいが、被害者は中学2年生から性的虐待を受け続けてきたという。

 ***

「①法律を杓子定規に解釈すると、おかしなことが起きるという典型です。性犯罪のみならず、人が犯罪者に直面し要求されれば、怖くて抵抗できないということは多々あります。②例えば金を出せ、と脅されて被害者が応じたからといって、それを自主的に渡したというのは無理があるでしょう。それと同じで被害者の女の子も、普段からずっと家庭という逃げ出すことのできない場での暴力下に置かれていたわけで、 ③目の前で起こる出来事に対して、拒む、拒まないという選択ができる状況にはなかった、と考えるのが普通でしょう

 と言うのは、評論家呉智英氏。そんな状況に置かれても④なお、親の圧力の下から逃げられると裁判官が考えたのなら、あまりに的外れな判決だと呉氏は続ける。

「この判決を受けて、バカな親が調子にのって子供に性暴力を加えないか心配です。⑤この裁判官には、世の中の実態を見る眼がなかったのではないでしょうか

★上記の評論家呉智英氏とは、どんな人物か。
評論家ではあるが、専門は漫画である。
ウィキペディアによると「漫画評論家。京都精華大学マンガ学部客員教授(学位は学士)。日本マンガ学会二代目会長で現在は理事。」
客員教授ではあるが、修士号も博士号も持ってない「学士」に過ぎない。
早稲田大学法学部を卒業しては居るが、法律の専門家ではない。

呉智英氏の法律学的な思想、理論については

死刑問題

死刑制度は、人民が本来持っていた自然権であるところの「復讐権」を国家が奪っているとし、仇討ち制度の復活を唱えている[8]

人権、差別

以前、「差別のない明るい都政を」という某・東京都知事候補のキャッチ・フレーズに腹を立て、自分なら「差別もある明るい都政を」を唱えて立候補する、と宣言したこともある。
というトンデモ思想の持ち主である。
こんなトンデモ評論家を、専門外の法律問題について、ただ「評論家」という肩書きを付けて連れ出して、その意見こそが「評論家」が述べる正論であるのだ。
というこの記事の問題性と、無責任性に、悪意さえくみ取れる。

氏のコメントを細かく見てみましょう。

法律を杓子定規に解釈すると、おかしなことが起きるという典型です。
早稲田大学法学部の先輩ではあるが、ボクより10年以上も前の卒業生である。そのころ、どのような教育がなされていたのか知らないが、法律は、まず、杓子定規に解釈適用されるとことに、存在意義がある。
事案ごとに、杓子定規でなく、伸縮自在に適用されたら、それは、法律という存在であっても、法律の機能を果たしては居ない。
法学部で学ぶ基礎の基礎である。

法律を杓子定規に適用したら、おかしな結論になるとしたら、その場合、考えられることは3つ。
その1 杓子定規に適用した裁判官が悪い。
その2 適用された法律が間違えている、改正すべきである。
その3 おかしいと思っている結論が、実はおかしくない。

その1を採用して裁判官を批判することが、一番、安易な方法である。
裁判官は、ひとり、または、3人であり、批判対象は少数者なので、大きな反撃が予想されないから容易に批判できる。批判に対する賛同者も増殖するだろう。

その2を採用するのは難しい。国会を批判することになる。そして、国会を動かして、間違えている法律を改正させるには、大きなエネルギーが必要な上、自分は、そこまでやる勇気もやる気も持っていない。自分は評論家であり、政治活動家ではないのである。

その3の方法は採用できない。杓子定規な結論が正しい。ということを認めるのは、自己否定に他ならないからである。

以上から、悪意はなくても無責任な評論家は、その1の論法に走る。それ以外に向かうことはない。
しかし、それが、いやしくも早稲田大学法学部を卒業した人がやっているとなると、例え法律が専門ではなく、漫画が専門であっても、見過ごせるものでは無い。
さらに、その意見を記事に取り上げた週刊新潮の無責任さも、許せるものでは無い。

例えば金を出せ、と脅されて被害者が応じたからといって、それを自主的に渡したというのは無理があるでしょう。

これは、強姦罪(旧罪名)と似た構造を持つ強盗罪との比較を論じたものであろう。
脅されて被害者が応じたら、自主的に渡したというのは無理がある。当然である。
脅しの強弱により、強盗罪になったり、恐喝罪になったりする。犯罪行為になる。
この②は、特段、間違えた論述ではない。
他方、脅しの程度が低く、断れば断れたのに、被害者が極端に臆病だったためお金を渡してしまった。という場合には、恐喝罪にも当たらないこともあろう。

本件裁判では準強姦罪(旧罪名)が問われている。
抗拒不能な状態において性的暴行が加えられたことが法律上の要件だ。
刑法
(準強制わいせつ及び準強制性交等)
第百七十八条(略)
2 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。
(前条とは強姦罪(旧罪名)である。)

問題は、抗拒不能の状態にあったか否かであって、強盗の例を引用しても、この判決の批判には何の役にも立たないのである。折角の正論ではあるが、役に立たないとは、なんとも残念である。

これをインタビューに引用したことは、氏が判決の意義を全然理解していないことを示し、記事に盛り込んだことは、記者も同じく無理解であることを自白していることになる。

目の前で起こる出来事に対して、拒む、拒まないという選択ができる状況にはなかった、と考えるのが普通でしょう

②が的外れであったことに対して、③を論じることは、判決批判の対象を正しく捉えていると言って良い。
拒む、拒まないという選択ができる状況にはなかった
というのは、抗拒不能の状況にあったと言い換えることが可能であり、準強姦罪の成立を認めるべきだ。という主張の裏付けとなるものである。

氏は、と考えるのが普通でしょう。言っている。
これは裁判官の事実認定に対する批判である。

刑事裁判における事実認定は、言うまでも無く、裁判に採用された証拠に基づいて行われる。
刑事訴訟法
第三百十七条 事実の認定は、証拠による。
第三百十八条 証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる。

残念ながら、ボクはこの事件の証拠を見ていない。法廷傍聴もしていない。
ボクは、この裁判官の事実認定が正しいか、誤っているかの判断材料を持っていない。
そういう場合、ボクは事実認定の正否についてコメントしないことにしている。責任を持った発言ができないからである。

氏は、証拠を見たのだろうか。
断定はできないが、99.9%見ていないだろう。
それにも関わらず、裁判官の事実認定を批判するのは、無責任である。
非論理的ですらある。
犯罪行為は非日常的な行為である。
そこには、合理的でない要素が存在することが多い。
逆に言えば、合理的に行動していれば犯罪など通常は起こらないのだ。
〇〇と考えるのが普通でしょう。というのは、犯罪が非日常的行為である。という認識に欠けた「自称常識人」の常識を、非日常的行為に当てはめる。という決定的なミスを犯している。

なお、親の圧力の下から逃げられると裁判官が考えたのなら、あまりに的外れな判決だ

これも③と同じ批判が当てはまる。
長くなるので詳細は省略。

この裁判官には、世の中の実態を見る眼がなかったのではないでしょうか

この父親を無罪にすると、同じことをする不埒な父親が増えることを憂慮した発言である。
そういう馬鹿親爺が増えないように工夫するのは、立法や行政の仕事であって、司法の仕事ではない。
馬鹿親爺の増殖を防ぐために、本来無罪になるべき人を有罪にすべし。というなら、暴言としか言いようが無い。
社会秩序を守るためなら、えん罪を出しても構わない。積極的にえん罪を出すべきである。そんな主張に理があろうはずがない。


さて、記事に戻ろう。

 改めて無罪を勝ち取った父親の代理人を務める弁護士に訊いてみると、

「刑事裁判は、被告人が道義的にどうかという問題を議論する場ではなく、犯罪そのものが成立するかどうかを審議する場所です。世間、社会一般から見て被告人を罰するべきだという意見があるからといって、『そういう意見が大勢を占めているので、あなたを犯罪者として罰します』ということになれば、裁判も何もいらなくなってしまう。『疑わしきは被告人の利益とする』という大原則に基づいた判断を、裁判所はされたのだと思います」

★この弁護士のコメントは、至極まっとうな意見である。
非の打ち所がありません。
この判決に疑問を持っている人は、このコメントを良く読み込み、理解を試みてください。
理解できないかも知れない。でも、努力はしてみてください。

記事に戻る。

“大原則”に基づくという意味では、鵜飼裁判長は過去に何度も無罪判決を出すことで、界隈では知られた存在だった。

★これは、記者の言葉と思われる。
この言葉で、無罪判決を出す裁判官は悪い裁判官である。という印象操作がなされている。
無罪推定の大原則に従って無罪判決を出したのなら、その裁判官は職責を貫いたのであり、無罪推定の原則を破り、疑わしい被告人を有罪にしたのなら、その裁判官はえん罪を生み出しかねない危険な裁判官である。
記者は、後者の裁判官がお好みのようだ。



やりたい放題
社会部記者が言うには、
「この10年余りで少なくとも7件の無罪判決にかかわっていますが、最も注目を浴びたのは2015年の事件です。当時、全国最年少首長として注目を浴びていた、岐阜県美濃加茂市長が収賄などの疑いで逮捕されましたが、鵜飼さんが担当した一審の名古屋地裁は証人の証言を信用せず、無罪を言い渡したのです。ところが高裁では逆転有罪、最終的には最高裁が上告を棄却して有罪が確定しました」

★鵜飼さんが地裁で出した無罪判決は、高裁で逆転有罪となり、最高裁も有罪と認めた。
つまり、鵜飼さんの無罪判決は間違えていた。と言いたいのだろう。

現行法上、三審制が取られ、地方裁判所の判決は、高裁、最高裁で覆されることがある。そして覆された以上、法律上は、間違っていた。という論理になる。これはやむを得ないことだ。

本件以前に、鵜飼裁判官は7件の無罪判決に関わっているが、そのうち、上級審で逆転有罪になったのは2件である。
1件の逆転判決を紹介して、5件の逆転しなかった判決を紹介しないのは、記事としてフェアと言えるだろうか。


記事に戻る。

 日本における刑事裁判の有罪率は、99・9%。諸外国と比較しても異常に高く、テレビドラマのタイトルにもなるほどで、起訴されてしまえば裁判官はほぼ「有罪判決」を下す。その現実が、冤罪事件を生み出しているとの指摘もあって社会問題となってはいるものの、今回のような法の解釈に拘泥した「無罪判決」を、世間は望んでいるだろうか。

★確かに、有罪率99.9%は、えん罪の温床になっていると思う。
本来、無罪推定の原則があるのだから、無罪判決は極端に言えば「合理的な疑いが残るから無罪」の一行で書ける。
他方、有罪判決は、無罪の可能性を全部否定しなければならないから、膨大な執筆を迫られるはずだ。
しかし、99.9%の現状、有罪判決よりも、無罪判決の方が、分厚く、長大で、丁寧に書かれている。
裁判官は、無罪判決を出す方が、有罪判決を出すよりもズーッと勇気と根気が必要なのだ。

今回の無罪判決に当たっても、世間からの誹謗中傷を受けることを覚悟の上で、その批判に耐えられる判決を書かなければならないプレッシャーは、相当に重荷であったであろう。
しかし、それをはねのけて無罪判決を出した。
それは、法の解釈に拘泥したと言われるような「いやいや書いた判決」ではなく、法の解釈に忠実に、誠意を持って書かれた判決であると考える。
これは、裁判官の心情の問題だから、あくまでも推測である。しかし、刑事裁判官の仕事を知っている身からすると、大変な葛藤の上、自ら信じて出した判決だと信じたい。
それに対する根拠のない批判には、心痛を覚えずには居られない。


記事に戻る。

「日本の裁判官は守られすぎていると感じます」

 と嘆くのは、刑事法学が専門で常磐大学元学長諸澤英道氏である。

「この件では、あまりに常識的な感覚を欠く判決を下す裁判官だと言わざるを得ませんが、日本はいったん任用されたら定年まで勤め上げることが可能なんです。海外ではだいたい5年、10年と任期が区切られ、再任用の際にはどういった考え方を持っているか、過去の判決を含めて厳しくチェックされます。けれど、日本は『裁判官の独立』という名の下に、上の者が下を指導することはほとんどない。それをいいことに一部の裁判官は野放しにされやりたい放題で、最近だとSNS上にブリーフ姿を投稿した方もいましたが、戒告処分に止まっている。ネット社会になり、様々な情報が広く公開された今こそ、一般の人々がおかしいと思ったらどんどん声を上げ、裁判官の見識を問う必要があるのではないでしょうか

諸澤英道氏は刑事法学が専門とのことだが、憲法と裁判所人事には、知識が浅いようだ。
日本はいったん任用されたら定年まで勤め上げることが可能なんです。

日本国憲法
第八十条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。
下級審の裁判官は、10年任期で、10年ごとに再任がある。逆に言うと、10年間は身分は安泰だが、10年ごとに再任されない危険を負っている。
上記、緑色の記述客観的に誤りであることをおわかり頂きたい。

鵜飼裁判官は、45期で、平成5年に判事補として任官しているから、10年区切りで行くと、平成25年に再任を受けており、平成35年(令和4年?)までは、憲法上の身分保障がある。後4年・・・
年齢は59歳。誕生日までは判明しなかったが、裁判官の定年65歳まで、あと6年。
2年早い退職になる可能性はあります・・・

日本は『裁判官の独立』という名の下に、上の者が下を指導することはほとんどない。


あんた馬鹿?
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日本の裁判官は、最高裁人事局に両手両足を縛られて、身動き一つできないの。
鵜飼裁判官も、59才にもなって高裁じゃなくて、名古屋地裁、それも岡崎支部にいるなんて、7件も無罪判決を書いた「罰」なんだぜ。分かってないなあ。

一般の人々がおかしいと思ったらどんどん声を上げ、裁判官の見識を問う必要があるのではないでしょうか

それは、それで良いと思う。
ただし、先にも書いたように、事実認定は証拠により行われる。証拠を見ないで事実認定を批判するのは、日光を見ずして結構というようなもんだ(分かるか?)。
それが分かった上で批判するなら批判しよう。
つまり、証拠を見ていない自分の批判は、もしかしたら的外れかも知れない。という自覚を常に持っている必要がある。
証拠も見ない批判に自己陶酔してはならない。


記事に戻る。

 検察は判決を不服として控訴に踏み切ったが、次の裁判長殿は大丈夫だろうか。

「週刊新潮」2019年4月18日号 掲載

新潮社


★新潮社こそ、大丈夫だろうか。という言葉を贈りたい。


確定アップ

改元と恩赦

改元や新天皇の即位にあたって恩赦が検討されているという。
これに関し、2つの相反する記事を紹介しておこう。

作家で元刑務官の坂本敏夫さんが話す。
「対象者のほとんどは、公職選挙法や道路交通法違反など軽微な犯罪に限られます。殺人や強盗のような事件の受刑者が恩赦の対象になったことはなく、今回もその可能性はないとみられます」
※女性セブン2019年4月18日号

「恩赦には明文化された基準がなく、対象は時代とともに変化してきました。ひとつひとつの事例が詳細に公開されないのではっきりしないところが多いのですが、恩赦によって死刑から無期懲役に減刑になった死刑囚の数は14〜24人と言われています
過去に8人殺害死刑囚も仮釈放され   
文/斎藤充功(ノンフィクション作家)と本誌取材班
※週刊ポスト2018年3月23・30日号
(ブログ主注)
無期懲役になると仮釈放の可能性が出てきます。


少なくとも、尊属殺処罰規定の最高裁違憲判決後、その判決前に同罪で有罪となった人が恩赦された事実は存在します(当社調べ)
夕刊和歌山事件に関するウィキペディアはこちら


その中の記述を一部引用

1969年6月25日に最高裁は真実相当性の論理を採用することを認め、記事内容は真実性の側面については証拠排除された部分は伝聞証拠といえるが、真実相当性の部分までは伝聞証拠とはいえず、法令解釈を誤り審理不尽に陥っていたとして、Yが記事内容を真実と誤信したことについて審理するために上告を破棄して和歌山地裁に差し戻す判決を言い渡した。この最高裁判決は「事実が真実であると証明できない以上、罪は免れない」とした1959年5月7日の最高裁第一小法廷の判例を変更したものである


間違えているのは、赤い部分上告を破棄して」である。

上告を破棄する。ということは、控訴審判決を肯定し支持する。ということだ。
だが、この最高裁判決は違う。
地裁判決と控訴審判決を否定し破棄したのだ。
つまり、上告破棄とは正反対の結論なのだ。

wikiを読んでいて、思わず仰け反ってしまったぜ。

で、wikiの内容が間違えているときって、どこに通報すれば良いんだっけ???


判決全文

 主    文     
原判決および第一審判決を破棄する。
本件を和歌山地方裁判所に差し戻す。

たしかに、主文に「破棄する」と書いてあるけど、上告を破棄したんじゃないよね。
よく読めば分かる。
原判決(つまり高裁の控訴審判決)と第一審判決(つまり地裁判決)の2つを破棄したのであって、決して、上告を破棄したのではない。


念のため全文引用
 主    文
     原判決および第一審判決を破棄する。
     本件を和歌山地方裁判所に差し戻す。
 理    由
  弁護人橋本敦、同細見茂の上告趣意は、憲法二一条違反をいう点もあるが、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
  しかし、所論にかんがみ職権をもつて検討すると、判決が維持した第一審判示事実の要旨は、「被告人は、その発行する昭和三八年二月一八日付『夕刊和歌山時事』に、『吸血鬼Aの罪業』と題し、BことC本人または同人の指示のもとに同人経営のD特だね新聞の記者が和歌山市役所土木部の某課長に向かつて『出すものを出せば目をつむつてやるんだが、チビリくさるのでやつたるんや』と聞こえよがしの捨てせりふを吐いたうえ、今度は上層の某主幹に向かつて『しかし魚心あれば水心ということもある、どうだ、お前にも汚職の疑いがあるが、一つ席を変えて一杯やりながら話をつけるか』と凄んだ旨の記事を掲載、頒布し、もつて公然事実を摘示して右坂口の名誉を毀損した。」というのであり、第一審判決は、右の認定事実に刑法二三〇条一項を適用し、被告人に対し有罪の言渡しをした。
  そして、原審弁護人が「被告人は証明可能な程度の資料、根拠をもつて事実を真実と確信したから、被告人には名誉毀損の故意が阻却され、犯罪は成立しない。」旨を主張したのに対し、原判決は、「被告人の摘示した事実につき真実であることの証明がない以上、被告人において真実であると誤信していたとしても、故意を阻却せず、名誉毀損罪の刑責を免れることができないことは、すでに最高裁判所の判例(昭和三四年五月七日第一小法廷判決、刑集一三巻五号六四一頁)の趣旨とするところである」と判示して、右主張を排斥し、被告人が真実であると誤信したことにつき相当の理由があつたとしても名誉段損の罪責を免れえない旨を明らかにしている。
  しかし、刑法二三〇条ノ二の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法二一条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法二三〇条ノ二第一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。これと異なり、右のような誤信があつたとしても、およそ事実が真実であることの証明がない以上名誉毀損の罪責を免れることがないとした当裁判所の前記判例(昭和三三年(あ)第二六九八号同三四年五月七日第一小法廷判決、刑集一三巻五号六四一頁)は、これを変更すべきものと認める。したがつて、原判決の前記判断は法令の解釈適用を誤つたものといわなければならない。
  ところで、前記認定事実に相応する公訴事実に関し、被告人側の申請にかかる証人Eが同公訴事実の記事内容に関する情報を和歌山市役所の職員から聞きこみこれを被告人に提供した旨を証言したのに対し、これが伝聞証拠であることを理由に検察官から異議の申立があり、第一審はこれを認め、異議のあつた部分全部につきこれを排除する旨の決定をし、その結果、被告人は、右公訴事実につき、いまだ右記事の内容が真実であることの証明がなく、また、被告人が真実であると信ずるにつき相当の理由があつたと認めることはできないものとして、前記有罪判決を受けるに至つており、原判決も、右の結論を支持していることが明らかである。
  しかし、第一審において、弁護人が「本件は、その動機、目的において公益をはかるためにやむなくなされたものであり、刑法二三〇条ノ二の適用によつて、当然 無罪たるべきものである。」旨の意見を述べたうえ、前記公訴事実につき証人Eを申請し、第一審が、立証趣旨になんらの制限を加えることなく、同証人を採用している等記録にあらわれた本件の経過からみれば、E証人の立証趣旨は、被告人が本件記事内容を真実であると誤信したことにつき相当の理由があつたことをも含むものと解するのが相当である。
  してみれば、前記Eの証言中第一審が証拠排除の決定をした前記部分は、本件記事内容が真実であるかどうかの点については伝聞証拠であるが、被告人が本件記事内容を真実であると誤信したことにつき相当の理由があつたかどうかの点については伝聞証拠とはいえないから、第一審は、伝聞証拠の意義に関する法令の解釈を誤り、排除してはならない証拠を排除した違法があり、これを是認した原判決には法令の解釈を誤り審理不尽に陥つた違法があるものといわなければならない。
  されば、本件においては、被告人が本件記事内容を真実であると誤信したことにつき、確実な資料、根拠に照らし相当な理由があつたかどうかを慎重に審理検討したうえ刑法二三〇条ノ二第一項の免責があるかどうかを判断すべきであつたので、右に判示した原判決の各違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものといわなければならない。
  よつて、刑訴法四一一条一号により原判決および第一審判決を破棄し、さらに審理を尽くさせるため同法四一三条本文により本件を和歌山地方裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
  検察官平出禾 公判出席
   昭和四四年六月二五日
      最高裁判所大法廷
      裁判長裁判官    石   田   和   外
           裁判官    入   江   俊   郎
           裁判官    長   部   謹   吾
           裁判官    城   戸   芳   彦
           裁判官    田   中   二   郎
           裁判官    松   田   二   郎
           裁判官    岩   田       誠
           裁判官    下   村   三   郎
           裁判官    色   川   幸 太 郎
           裁判官    大   隅   健 一 郎
           裁判官    松   本   正   雄
           裁判官    飯   村   義   美
           裁判官    村   上   朝   一
           裁判官    関   根   小   郷

さればって、珍しいね。
ボク自身は裁判官でも無いし、死刑判決を出したことは当然無いが(出されたことならある)、裁判官が控訴を勧める、というのは、ボクは納得できないな。
控訴を勧めるくらいなら、無期にすればいい。
死刑判決に対して、控訴できる権利を告知するのは当然であり、それに応じて被告人が控訴するのは、被告人の権利だ。
裁判官が自信たっぷりに死刑判決を下したら、観念して、控訴しない被告人もいるだろう。
裁判官が自信が無いから控訴を勧める。そんな死刑判決に納得する被告人はいないだろう。
(刑事事件で納得できる判決を貰えることは稀だが、裁判官すら自信が無い。というのは言語道断である)
裁判官でも、人情味があてもいい。という部分は共感するが、自信が無い判決を言い渡してはならない。

とくに、池上さんの事件は裁判員裁判だった。
評議の内容は分からないが、職業裁判官は死刑を躊躇ったが、裁判員の多くが死刑を選択したため、多数決で死刑になったのかもしれない。
「素人裁判員」に押し切られて、やむを得ず死刑の結論になったので、職業裁判官だけで構成される高等裁判所の判断を仰いで、素人裁判官の誤謬を正して貰おう。という意図が働いて控訴を勧めたと疑われても、やむを得ない。それは、報道に携わるモノとしては、問題点を指摘し、釘を刺すのが使命である。
池上さんの発言は間違えていないと思う。
しかも、職業裁判官3人の内、少なくとも一人は死刑意見だったはずである(裁判員法67条2項)。素人裁判員に押し切られたのでは無く、職業裁判官の中にも死刑を是とする人が居たのである。

http://news.livedoor.com/article/detail/14365369/
池上「判決に不服なら、高等裁判所に控訴することができますと被告に教えるんですよ。これはいつもやってることなんですよね。
今回はですね、控訴を勧めますと言ったんですね。つまり、一審で死刑判決を言い渡したんだけれども、それに自信がないんじゃないかと、思わせる判決だった」

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