垂直尾翼

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まじめなお話です。
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領分

TVで細木数子氏があの喋りで評論する。
私は占い師や宗教関係者があやしい詐欺師とは思わない。
あやしい詐欺師が占い師や関係者にいるだけのことだ。
「春闘」についてのところでチラ見してた私とお姉さまたちとの雑談がとまった。
おい、労働者が労働者の権利を行使することがそんなにいけないことか?
問題なのは「労使協調」路線をとった(実は経営者のいいなり)労働組合の貴族たちではないのか?
私たちはそれを「専従病」と呼んでいる。わけのわからん暴力団紛いの組合と相俟って
労働組合はあやしいものに見られている。
本当に会社を大きくそして自分たちの生活を向上させたいのなら労働組合は有益だ。
そのふたつをみんなが一緒の立場で考えるために労働運動の退潮とともに外来語が
流行りだしたのを忘れてはいけない。
わけのわからん自説を振りかざしてTVで得意に喋っている氏を見て
やはりこの国のマスメディアのレベルの低さを嘆きたくなる。

氏は日本文化への回帰を口にする。
怒られたことのない弱きものはそれに従い、氏の商売は上手くいくだろう。
けれど、宗教や占いは世俗に塗れてはならない。
カエサルのものはカエサルに。
宗教者、信仰者、占い師が世相を口にするなといいたいわけではない。
ただ、そこには世俗に塗れた論理など持ち込むべきではない。
ストライキがどういうものか、やったことのない氏は「単なる迷惑行為」としてしか
捉えていないのだろうか。

考えよう。答えをすぐにくれるのは何かがおかしい。
神も仏もそして占い師も誠実であればこそヒントしかくれないのだ。
その答えをくれる者をひとはなんと呼ぶだろうか。

あなたはどう考えますか?

無宗教?

あるバリバリの活動家だった人の葬式に行った話である。
坊さんがいない。友人葬のような形で献花をした。
私とその亡くなった方とはいろいろな思い出がある。
意見の対立も私自身に対する批判もあった。
でも日本の文化は「死んだら水に流す」だ。
死者の冥福を祈るのに異論は関係ない。

うちのような一癖もふた癖もある連中ばっかり集まって
宗教行事をするときは大変だ。かつてT本部長の結婚式ですら
神父さんは
「この中には神を信じている方も信じてない方もいらっしゃると思います
今日は二人の祝福としてこの儀式にお付き会いください」
と仰った。
多分何をするかわからなそうな面子だったんだろうw

いい加減?そうかもしれない。
私自身は初詣に行く平凡な日本人だ。確固たる信仰があるわけでもない。
なんとなく初詣にいく日本人であってはならないのだろうか。
おそらく私は家の宗門で死んでから祀られることになるとは思うが
さして死んだ後どうやって祀って頂いても構わないと思っている。
かっこよくいえば野村先生が仰ったように「元を辿れば全部釈迦の弟子」だからだ。

問題なのはここからだ。
私のようないい加減な人間や神仏を信じていない無神論者が
「無宗教の」という定冠詞を使用するのはわかる。
前者はあんまり信仰を自分の中で重視していないし後者はそもそも本当の「無宗教」だ。
しかし信仰があるというなら間違っても
「無宗教の」とは言ってはならないと私は考える。
一層のこと、自分の神様(仏様か?)を祀りますと言ったほうがすっきりしてよい。
それを国家でしちゃうとまぎれもなく政教一致なんですけどね。

無宗教の、と信仰者がいうとき本当の意味で亡くなれた方を馬鹿にしている。
冒涜といってもいい。
何故なら彼ら信仰者は無宗教では何かが足りないから信仰しているのであって
その足りないままでよい、と信仰者の立場から言っているに等しい。
逆にいい加減な私からでも「無宗教」じゃないじゃんと突っ込みを入れられることになる。

戦没者墓苑があり靖国神社がある。
その上での無宗教の国立追悼施設は私にはわからない。
そんなに魂を分けてちゃんと祀れるのか?
靖国神社にかわる、というのもよくわからない。
あそこをお墓としてみている信仰者の気持ちを考えてみてはどうか。
もし首相の参拝が問題だとするなら信仰者よ、貴方たちも信仰の源へ行ってはならない。
選挙のたびに集まっているのをみんな知っている。
年一回靖国神社に行くのはそれほど貴方たちにとって「自粛」しなければいけないことなのか。
そこがよく私にはわからない。

信仰者として考えるから判らないのであって単なる私利私欲の俗組織として考えれば
わかることだ。だが、年の瀬にもう一度だけ書こう。
本当に貴方たちには信仰はあるのか。

あなたはどう考えますか。

ブログ荒らし

まじめなお話も書いておかないと人間性を疑われるのでw
(すでに評価の決まっている団内はおいといて)

ネット浴をしていますといろんな人間に出会います。
ここが現実と違うオルタナティブな世界だからでしょうか。
でもここもやっぱり現実の一部だと最近私は考えるようになりました。
高度に匿名化されて見えにくくはなっていますけれど。

なみへいさん(小隊記録をご覧下さい)の件はいろいろ考えさせられました。
もともとがいい加減な私です。「罪にならなければ」が進んで「バレナケレバ」という
気持ちはよくわかります。わかっちゃいけないんですけどw
それにしても小さい、狭い、寒い、そう思いませんか。
おそらくふたつのパターンが考えられると思います。
ひとつは本当に未成年の場合です。私も未成年の頃「ぼく」は
女=性的対象の等価式が圧倒的に心を支配していましたから
彼が私もそうだろう、と断ずるのはわからなくはないです。
人間はまず自分を基本に考えますから。
もうひとつはいいとしをして荒らしをする場合です。
この場合は非常に厄介です。本人はそれでいいかもしれませんが
現実生活では没人格的なネット浴漬けの悲しい孤独か、
それを受け入れてくれる狂った集団の中でしか生息できません。
「ひとを傷つけたい」という欲望を自分なりに昇華してるつもりでしょうが
それは昇華でなく退化です。ひとを傷つけるプロになれないばかりか
結局のところネット中毒患者になるだけです。
事件起こさないといいんですけど。

暴走族にしてもそうですが、個人責任は確かにあります。
しかしやはり社会問題としての社会責任も幾ばくかはあるのではないでしょうか。
そうすることでしか解決できない欲望をコントロールする術はやはり誰かが
教えて変換出来るようにしないと安心した社会は生まれません。
皆様はどうお考えですか。

タブー

御多分にもれずどこにでもタブーはある。
私はあんまり頭がよくなのでわからないが、
タブーという奴に触れるとめしが食えなくなってしまうらしいw

すると何か、私たちはそのタブーに飯を食わしてもらってるのか?

そんなはずはない。
某ブログで私とよく似た論調を見かけた。
が、それは似て非なるものであった。
その方によると戦争を負けた責任者=戦犯だそうだ。
待ってくれ、最高責任者は誰だ?
そこには触れていない。

ちょっぴり悲しかった。
同じ物言いでも突き抜けてくれれば喜んでトラックバックしたのだが。

売国度数120%

水を差すとはこのことです。
靖国神社への参拝を巡る議論で彼ら創価学会・公明党は発言すべきではありません。
そもそも政教一致している組織に「無宗教の」と言われては参拝に賛成の方も
反対の方も愚弄していることになります。
彼らは彼ららしく池田大作先生詣でで戦没者が鎮魂されるといったらどうでしょうか。
(もっともそれも戦没者を愚弄することになるのですが)

韓国SGIに反日キャンペーンをさせ、首相が参拝した政権与党の一角を担っています。
選挙も含めてその組織力、動員力はすべて創価学会の賜物です。
世間ではこれをマッチポンプといいます。
彼らは結局自分の影響力を誇示したいだけなのでしょうか。

創価学会は売国度数120%、国賊であります。
外患の罪は日本国民全員に対する攻撃であり、何をおいてもまず打倒が求められます。
参拝に賛成する人も反対する人もよく考えて下さい。
本当の敵は異論の者ではありません。
私利私欲・党利党略しかない彼らということを。

乱暴な表現で申し訳ありません。
あなたはどう考えますか。



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