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733年前のある夜、一人の美少女が養父から犯された。養父は29歳の男盛り。美少女は僅か14歳。この夜を10年も待っていた男に明け方まで存分に翻弄される。男は悦楽の限りをつくした。そしてその夜から女を完全に支配、性の傀儡(くぐつ)に仕立て上げていく。
男は時の帝王・後深草院。女は二条。観音堂の鐘の音を聞きながら長い夜を泣き明かした。二条は後に自分の異常な性体験を「とはずがたり」という手記に生々しく書き残す。
「身の回りを片づけて、御所を退出しなさい。夜には迎えにいくので」―――。14歳で院の後宮に召し出され、日夜を問わず院の寵愛を受けた美少女。いつしか爛熟の26歳になっていた。二条は高貴な出自、後深草院の愛人としてのプライドも高かった。
文学や音楽、絵の才能もあり、宮廷のアイドルとして輝きに満ちていた二条。みずみずしい肉体から放たれる香気に男たちが次々と魅了された。―――院の好色は尋常ではない。二条に言い寄る男が現れると、眼前で情事をさせ、見物をした。でもそれは寵愛のなせる業(わざ)。匂うばかりの肉体に飽きたのでは決してない。
だが祖父からの手紙には「退出は一時的ではない」とあった。狐につままれた思いの二条。祖父の四条兵部卿(藤原隆親)のもとを訪ねると院の正妃・東二条院からの手紙があった。「二条は院に仕え、こちらをないがしろにする。許せない。すぐ呼び戻しなさい」―――。長年の確執。東二条院がついに強硬手段に出たのだ。
<「とはずがたり」に問う―――後深草院二条、愛と漂泊の日々>は<JR東海>主催の講座「歴史の歩き方」(日本を見つける知の探訪)の第33回のテーマ。火山は昨年12月、有楽町よみうりホールで聞いた。それ以来、投稿しようと構想を温めていた。
鎌倉後期の宮廷。承久の乱(1221年)に敗れた朝廷は政治の実権を鎌倉幕府に奪われ、男たちは目標を失い、酒色で欲望を満たすしかなかった。酒池肉林。美女は皆、漁色の餌食となっていた。それは二条に限らない。
だが14歳にして帝王・後深草院の愛人にされた二条の性生活は尋常ではなかった。院の気まぐれ、酷薄、陰湿に執拗に悩まされ続けたのだ。
「とはずがたり」が書かれたのは二条が50歳を迎えた頃らしい。上流貴族の性愛を赤裸々に描くだけでなく、南北朝の史書「増鏡」にその一部が引用されるほど記事に正確性があり、女性によるものと思えないほど、生々しい描写、叙情に流されない冷静な視線がある。
<5巻本>の「とはずがたり」―――。<巻4>でいきなり32歳の尼僧となった二条が現れる。いつ出家したか不明。だが30歳頃らしいという。爛熟の女体を華麗な衣装から墨染めの衣に脱ぎ替えたのだ。
尼となった二条は「伊勢物語」の主人公や西行の足跡をなぞるように、東国へ歩を進める。逢坂の関、八橋、鳴海潟、清見が関、宇津の山、冨士―――数々の歌枕を辿り歌を詠じた。
鎌倉に入った二条は「袋の中に物の入れたるやうに住まいたる、あなものさびし」。山も海も近い鎌倉は、いかにも狭苦しく映ったらしい。その後、善光寺や浅草寺を巡り、東国の旅を終える。
さらに間をおかず奈良に赴き、春日大社、法華寺、中宮寺、法隆寺、当麻寺などの名刹を精力的に回っている。
さらに空白の7年が流れ、<巻5>に45歳の二条が登場する。また旅姿。今度は安藝の厳島神社への長い船旅。「漫々たる波の上に鳥居遥かにそばだち、百八十間の回廊、さながら浦の上に立ち…」。二条が見た渚に張り出した朱塗りの社殿は海の青と対照美を見せていた。
二条は旅の途中で遊女たちに出会うと必ず様子を書きとめている。高貴な出自にありながら<性の傀儡>でしかなかった自分。彼女らと何にも違わないという思いが強かったのだ。
美濃・赤坂の宿で遊女の姉妹と出会い、琵琶を弾きながら涙ぐむ姉を見て「身のたぐひにおぼえて」―――私と同類に思えてと袖を濡らしたとある。心の闇は果てしなかった。
―――話は戻る。26歳の二条の<御所追放>だ。二条を寵愛していたはずの後深草院は、なぜ彼女をかばわなかったのか。不思議だ。―――だがそこには驚くべき事情があった。
前回、院の同母弟の亀山院が二条を所望、院の前で情事に及び、次の夜は3人で寝たと紹介した。亀山院は二条がいたく気に入った。ぞっこん…。そして―――。
亀山院は二条を独り占めにする。「亀山院に夜昼たぐいなく寵愛されて、二条はこちらの院とは疎遠になっていくつもりらしい」とウワサが流れた。内向的な院は、嫉妬の炎に身を焦がしていたのだ。+++続く+++
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