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亀山院は美少女だった二条を最後には独り占め、「夜昼たぐいなく寵愛」して同母兄の後深草院を嫉妬させ、後深草院が最愛の愛人・二条を<御所追放>に踏み出す原因を作る。哀れなのは二条。母を2歳で、父を15歳で失っていた二条には出家以外に生きる道がない。
JR東海の「日本を見つける知の探訪」<「とはずがたり」に問う。後深草院二条、愛と漂泊の日々>も、いよいよラストシーンが近づいてきた。
講師の宗教学者・山折哲雄氏は「養父と慕っていた後深草院から14歳で犯され、高貴の出自の美少女が養父の<性の傀儡(くぐつ)>に身を落とす―――。それだけでも地獄。だが院は他の男との<新枕>を何回も強制する。しかも院の眼前…。院はそれも楽しんでいた。―――そんな境遇で、なぜ生きていられたのか。何を考えていたのか」と書く。
手記「とはずがたり」は二条が50歳を過ぎた頃、懐旧と胸の痛みを抱えつつ、数奇な人生を振り返って書いたのではないかと推察されている。そして―――。
露消えし 後(のち)のみゆきの 悲しさに 昔にかへる わが袂(たもと)かな(二条)
「とはずがたり」はこの歌があって、後深草院の三回忌で筆が置かれている。「院が亡くなってのち、私も愚痴をこぼすようなこともすっかりなくなってしまったような心地がします」という意味らしい。
「院を本当に愛していたのか、憎んでいたのかはわからない。ただ院だけが彼女の心のよりどころだったのは確かだろう」―――。当日配られたカラー冊子「NAVILET」の一節だ。
<5巻>本の「とはずがたり」は<巻1>から<巻3>までは宮廷での華やかな日々を描いている。激情の<破戒僧>に護摩壇の脇でレイプされる。院と出かけた太政大臣の家でも初老の摂政から強引にレイプされる。最後は発覚、院は逆に喜んで男たちをけしかける。
そんな漁色にさらされながら、うら若い二条は必死に<役目>を勤め、中世の宮廷という淀んだ海を泳ぐ。
一方では院第一の<愛人>という<権勢>をバックに、女房たちを扇動、院と亀山院を<粥杖>で叩くという仕返しの首謀者となる。院が計画した女楽<源氏物語>をすっぽかし、御所から姿を消す…。でも自分は<お咎め>なし―――。そんなことを楽しんだのだろうか。
美しく匂い立つような<二条>に院がのめりこんだのは、二条が美少女だったからだけはない。二条の母<大納言の典侍(すけ)>が後深草院にとっては忘れ難い女性だったから。二条の母は後深草院が元服する直前、<新枕>を交わした最初の女性。当時の習慣で<性の手ほどき>を受けた。二条の母は絶世の美女。しかも二条が2歳の時に世を去った。<佳人薄命>を地で行った。後深草院にとっては格別の存在だ。
だから帝王は彼女の忘れ形見の二条を4歳で養女に迎え、その成人を10年も待った。そしてある夜、その思いを遂げた。朝方まで美少女の若い女体を存分に責め、漁色の限りを尽くした。
だが後深草院の上を行く<淫乱>がいた。同母弟の亀山院。あっけらかんとした豪傑だ。院はもともと弟に劣等感を持っていた。その弟が愛人を奪い、日夜寵愛、「二条がその秘技に参って戻ってこない」―――。そんなウワサを聞いてはイチコロ。院は二条の<御所追放>を決意してしまう。
亀山院の情事の凄まじいのは有名だった。「御心のままに猥りがましきまでに戯れさせ給ふ…。年々に多くのみなり給えば、いと猥りがはしきまでぞある」―――。鎌倉期の史書「増鏡」にあるほど。
天皇の<子沢山>は常識とはいえ、亀山院の父・後差嵯峨院は<22名>。後深草院は<12名>というのに亀山院は<30名>―――。凄い。
かくて哀れな二条は26歳の若さで<御所追放>となってしまう。
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