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「くれ竹の一夜に春のたつ霞、今朝しも待ち出で顔に花を折り、匂ひをあらそひて並みゐたれば、我も人並々にさし出でたり、蕾に紅梅にやあらむ…」―――<巻1>の冒頭。二条14歳お正月の記事という。素晴らしい名文だ。
二条は朝廷が幕府を廃そうとして起こした承久の乱(1221年)の37年後、正嘉2年(1258年)に生まれた。14歳は1271年。数え年。日蓮が鎌倉・江ノ島の竜口で法難に遭う年だ。二条は文学や音楽、絵の才能もあり、宮廷内のアイドルだった。
二条は明白な自我意識を持ち、誇り高い、快活、活発な女性。手記「とはずがたり」は50歳前後に書かれたらしいが、<5巻>本の後半<巻4・5>は紀行文になっている。
26歳で<御所追放>の憂き目にあった二条。15歳の時に亡くなった父の遺言を守り、出家する。30歳頃らしい。以後、かなりの歳月を東国や西国への旅の空で過ごす。旅の途中、遊女に出会うと、その様子を見て記録に残している。高貴の出自でありながら、自分も似た境遇と涙したのだ。「とはずがたり」のタイトルは二条が選んだもの。
つつめども 堪えぬ思ひに なりぬれば 問はず語りの せまほしきかな(千載集恋1 大納言成通)―――という歌がある。当時、よく知られた言葉だったらしい。
「とはずがたり」の前半、<巻1>から<巻3>の多くは宴や行事に明け暮れる宮廷の狂騒が描かれている。
二条には密かに文通する貴公子がいた。<雪の曙>という名前で「とはずがたり」に登場する。本名は西園寺実兼。彼の父親は後深草院や亀山院を生んだ大宮院の兄。つまり彼・実兼は従兄弟に当たる。西園寺家は伝統ある名家。権勢もあり、彼は後に太政大臣になる。
二条の実兼への思いはどのようなものだったろう。乙女の胸に淡い恋心が芽生えていたかも知れない。だがその夢は無残にも砕かれる。ある夜、養父によって犯されてしまう。それも相手は29歳の男盛り。二条の母親に性の手ほどきを受け、その女に異常な執心を燃やしていた男だ。
母親は絶世の美女だった。二条が2歳の時に若くして世を去る。養父は4歳の二条を養女にして引き取り、ひたすら成人を待つ。そしてついに積年の思いを遂げたのだ。
17歳で皇位を弟に譲った後深草院。<酒色>だけに欲望を向けていた。美少女との<新枕>では漁色・変態の限りを尽くし明け方まで愉悦を極めた。初心な二条も一夜にして養父の<性の傀儡>となり、完全に支配される女となる。無残―――。
だが文通を交わした実兼も評判の美少女を忘れていなかった。二条が15歳の時、溺愛してくれた父親を亡くす。そこへ抜け目ない彼、優しい言葉をかけた。心細かった二条、彼に会った。乳母の家。そこで彼に抱かれてしまう。後深草院と<新枕>を交わして日も浅い頃だったという。二人の関係は続く。院の愛人と院の近親の人目を忍ぶスリリングな恋。
ある冬、二条はゆかりのある尼を頼って念仏道場に篭もった。後を追って後深草院もやってきた。若い愛人にぞっこん。一刻も離れていられない。
だが数日後、<雪の曙>も訪ねてきた。吹雪の中に立つ曙。露見を恐れた二条はかたくなに拒む。しかし、事情を察した尼たちが導き、曙との再会がなる。およそ勤行生活とはほど遠い、艶かしい雪の醍醐寺―――。
その後、二条は院の子を生み、曙の子も孕む。自分の子と信じている院。日数が合わないことが露見しないよう、伝染病と偽る二条。曙と自邸に篭もり、密かに出産。院には流産と偽った。
曙は女児を連れ去る。二条は二度とこの女児とは会えなかった。だが成人した女児は後に院の同母弟の亀山院の妃の一人となったという。院の子は夭折してしまう。
曙は深謀遠慮に長けた男だった。彼は院の子の伏見天皇や後醍醐天皇の後宮にも娘を入れ、西園寺家の影響力を確保、自分も太政大臣となって権勢を極める。
二条と彼の関係は続いたが、院の近くにいた彼、二条の派手な異性関係のウワサを嫌でも耳にする。二条が望んで落ちた情事とは思えないが、彼には堪えられなかった。やがて疎遠になった。これも二条の運命。無残―――。
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