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<郵政解散>の「歴史的大勝利」―――。結果の出た今は小泉純一郎の<決断>が当然に見える。だが<舞台裏>の<血みどろ>の<駆引き>は簡単なものではなかった。日経<編集委員>の清水真人「官邸主導(小泉純一郎の革命)」(日本経済新聞社)から手に汗握るドラマを描いてみたい。
「内閣総理大臣の権限が弱いといわれがちな日本の議院内閣制のシステムでもここまで『強い首相』は生まれうることを小泉は身を持って示した。強烈な個性が、憲法が与えた解散権と人事権という『内閣総理大臣の権力』を縦横に使いこなすことによってそれは可能になった。『やればできる』。孤高の宰相はたった一人の長き戦いで証明してみせた」(「官邸主導」353頁)。
<改革派の旗手>大前研一。「<勧善懲悪>を演じる小泉劇場」と皮肉りながらも<天才政治家>と絶賛している。近著「ロウアー・ミドルの衝撃」(講談社)の一節をご紹介しよう。
「道路公団が悪いとなればそれを懲らしめ、橋本派が利権政治をほしいままにしているといえば、その重鎮すべてに地雷を踏ませた。郵貯が金の流れを歪めているとなれば、国定忠治よろしく、カネが正しく流れるように道筋を作った。舞台上で繰り広げられる改革劇を止めるものがいれば、刺客を送って制裁し、四十七士ならぬ83人の<小泉チルドレン>と呼ばれる騎士(新人議員)を作った。今や族議員を根絶し、政府系金融機関を撲滅させ、甘い汁を吸ってきた官僚も5%は退治してしまう」。
「こうした一連の<事業>をことごとく成功に導いてきた小泉首相はたいしたもの。誰にもできなかった政治的手腕」(14頁)―――。さすが大前研一、見事に要約している。火山が描きたいのは<舞台裏>の暗闘だ。
1992年暮れ、郵政相になった小泉は郵貯の非課税優遇<老人マル優>の見直しを口にした途端、郵政族から総攻撃を喰らった。郵政官僚も組織をあげて大臣を無視。サボタージュを決め込むという異常事態が半年以上も続いた。小泉はガランとした大臣室で一人、淡々とオペラに耳を傾けるだけ。
1995年秋、初めて名乗りを上げた総裁選では民営化論がネックとなり、30人の推薦人がギリギリまで集まらなかった。小泉はそんな危機を何回も体験している。
2005年7月5日の衆院本会議。自民党から綿貫民輔、亀井静香、野田聖子、藤井孝男ら37人もの大量の反対、古賀誠、高村正彦ら14人が棄権・欠席、5票差という薄氷だったが、民営化法案は通過した。10年前ならどう逆立ちしても不可能。
しかし、反対派は勢いづいた。この僅差なら参院で葬れる。「小泉の求心力低下」「政権の終わりの始まり」―――こんな論評が相次いだ。
参院では否決への流れが日々加速して行った。「参院で否決したから衆院を解散するのは筋が通らない」と感情的な反発も加わった。厳しい情勢。参院のドン青木幹雄は7月18日、赤坂プリンスホテルで森喜朗とともに密かに小泉に会った。
青木が提示した妥協案は「継続審査」扱い。もう一つが最後の切り札―――。「私が参院議員会長を辞め、あんたも首相を辞める。それと引換えに郵政法案を通す」。だが小泉はどちらもキッパリ拒否した。
「殺されてもいい」―――。8月1日、小泉は反対派に「最後通告」をした。「小泉改革は支持するが、郵政民営化は反対でいいと勘違いしている人が随分いる」。「倒閣運動だということはハッキリしている。そういう小泉おろしには私は屈しない」。
2005年9月11日夜。開票作業が進み、自民党は地滑り的勝利が確定的になっていた。テレビ東京のテレビ番組。キャスター小谷真生子のインタビューに小泉は一気にまくしたてた。「私は党内の引きずり下ろしによって総辞職するということはまったく考えていませんでした。躊躇なくそれ(解散)を実行したんです」―――。小泉のこの決断はどこから生まれたか。それを解明するのが火山の狙い。
解散に先立つ6月3日。衆院郵政特別委員会でこんな応酬があったという。
小沢鋭仁(民主党)「あなたは空想と現実の区別が分からなくなったドン・キホーテだ」。
小泉「私は実はドン・キホーテは好きなんです。ミュージカルなら<ラ・マンチャの男>。『夢みのりがたく、敵はあまたなりとも、我は勇みて行かん』」―――。思い切り<揶揄>するつもりで意気込んでいた小沢。<大好きだ>と言われ面食らった。
小泉は「ここぞとばかり」切り替えした。「夢みのりがたく…」とは「ラ・マンチャの男」の劇中で歌われる名曲「見果てぬ夢」の一節だったのだ。
「ラ・マンチャの男」には「最も憎むべき狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ」というセリフも出てくる。小泉は<あるべき姿>の<郵政民営化>は譲らない。自分は<狂気>どころか<正気>と言い切ったのだ。
++++++++続く+++++++++
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