火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

万葉を旅する

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鴨山の 岩根し枕(ま)ける われをかも 知らにと 妹(いも)が待ちつつあらむ(柿本朝臣人麿)
今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に交じりて ありといはずや(依羅娘子)
荒波に 寄り来る玉を 枕に置き われここにありと 誰に告げなむ(丹比真人)

「柿本人麿は『万葉集』第一の歌人、持統・文武両朝に仕えた宮廷詩人、多数の名歌を『万葉集』に残し、その歌は雄渾・壮大、後世の歌人の及ぶところではない」(小学館「人物日本の歴史」第1巻「飛鳥の悲劇」233頁)―――。

梅原猛は「水底に沈んだ人麿」をこう書き始める。江戸期の国学者、契仲・真淵は人麿を六位以下の<微官>と断定、若き日は舎人、晩年は地方官。50歳以下で死んだと考えた。
だが梅原は「万葉集」をじっくり読み、古来からの<伝承>を考証した結果、<微官>説を退け、「古今和歌集」の記載のとおり正三位、柿本太夫と呼ばれる<高官>と考えた。

中世から伝わる<人麿影供>―――。人麿の影像を掛け、供物を供え、人麿の霊を弔って歌を詠む。人麿像はいずれも60歳を超えている。
鎌倉期の「万葉集」注釈者<仙覚>は人麿の妻<依羅娘子>の歌にある<貝に交じりて…>から人麿は<水死>ではないかと考えた。江戸期の国学者にも<水死・刑死>と考えた者がいた。「万葉集童蒙抄」を書いた荷田信名だ。

梅原猛は「水底の歌」(岩波書店)で天武10年(681年)に小錦下を授けられたと正史に登場する<柿本臣佐留>は人麿と同一人物と<論証>した。この発見は「万葉集」と人麿の歌にまったく新しい<解釈>を提供した。この新説は斬新。含蓄と説得力にも富む。
江戸期の契仲・真淵の説は矛盾が多い。たとえば50歳以下で死んだ人麿には高市皇子の<挽歌>は書けない。「人麿歌集」も残せない。僅か10歳前後の体験や歌集となるのだ。

藤原不比等に憎まれ追放流罪となった人麿が、どんな最後を迎えたか、ご紹介しよう。
人麿は<大化の改新>(645年)の後、白雉元年(650年)頃に生まれたらしい。中国文化が風靡した近江朝に青年期を過ごし、持統女帝に歌才を見出され、女帝の寵愛を受けながら、持統・文武朝の宮廷詩人として活躍する。漢詩、漢文の教養に日本独特の民族伝承・旋頭歌を融合させ、「人麿歌集」で新しい<日本詩>の世界を創造した。

持統女帝が没し、藤原不比等の独裁が始まると人麿は追放され、<近江→明石→讃岐→石見>と流刑の日々を迎える。老齢の人麿には過酷な体験だ。不比等の憎悪の深さが分かる。
人麿は不比等が擁立した文武帝とは別の皇子の立太子や即位の運動を続けた。非藤原系の<高市>皇子や<舎人><長><弓削>などの皇子と親しかった。彼らは<軽>(後の文武帝)の強力なライバルだった。仲介役の持統女帝が没すると人麿の運命は激変する。
人麿が都から姿を消すのは大宝元年(701年)。50歳過ぎから約10年が<流浪>の日々だ。

沖つ波 来よる荒磯(ありそ)を敷栲(しきた)への 枕と枕(ま)きて 寝せる君かも(巻2−222)

人麿が讃岐の狭岑島(さみねのしま)で詠んだ。狭岑島とは<沙弥>の島。<僧>の島。中国では<沙門>(僧)島は<流罪>島。<死の島>だ。そこに行き倒れの死体があった。
今までこの歌は単なる<旅の歌>と考えられてきた。旅の途中、人麿は行き倒れの死体を見て郷里に家族を残して死んだ男を哀れんだというのだ。だが<流罪の島>の<死体>―――。<流罪>の人麿が見たら、それは自分の運命を予見したことになる。自分に迫る死を見た。「お前は誰か。妻はお前の運命を知っているのか」。人麿の同情は尋常ではない。

石見のや 高角(たかつの)山の 木(こ)の際(ま)より わが振る袖を 妹(いも)見つらむか(巻2−132)

高角山とは<高津>の山。石見の国府の仁摩(にま)から西の方角にある。高津には人麿が死後、神として祭られた<人丸>神社がある。山号を<高角山>という。
人麿が処刑されたのは<鴨島>―――。<岩根に枕>した島だ。人麿神社は最初ここに建てられたが、万寿3年(1026年)の大水で島は水没した。だが神体の人麿像は対岸の松崎に流れつき、神社が建てられ、江戸時代に再度、高津川に沿った現在の地に移された。

流罪の人麿は「万葉集」によると、最初<辛の崎>とも呼ばれる<漢島>(からしま)にいた。次が<沙岑島>。またの名が<沙弥島>(僧の島)。最後が<鴨島>―――。島を転々としていた。梅原はこれを<島送り>に喩える。まさに流罪。死に臨んだ人麿は<現地妻>のいる国府の方角に袖を振って最後の別れを惜しむ。そして<貝に交じる>のだ。
冒頭の<3首>を繰り返し<音読>すると、人麿の運命を共感できる。<水死・刑死>だ。

丹比真人が人麿の<情>(こころ)になって詠んだという<われここにありと誰に告げなむ>―――。讃岐で見た行き倒れの<死体>を見て人麿が詠んだ。なんと似た境遇だろう。
やはり「万葉集」には暗い影がある。人麿の暗い運命の<暗喩>だ。謎に満ちた人麿の死。
藤原一族との<暗闘>に敗れた橘諸兄・奈良麻呂父子。橘諸兄の指示で「万葉集」を編纂した大伴家持。幸福を運ぶホトトギス(時鳥>)は<藤>(藤原)と<橘>のどっちにくるか。大伴家持はホトトギスの歌をたくさん残した。異例だ!なぜ? 謎は深い。
(平成18年6月10日)

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