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天皇(すめろき)の 御世栄えむと 東(あづま)なる 陸奥(みちのく)山に 黄金(くがね)花咲く(大伴家持・巻18−4097)
「701年に藤原不比等とその周辺が大宝律令を制定すると、日本は藤原氏を中心とする官僚機構を軸とした中央集権国家として、急速に整備されていった。誇るべき血統を持たない新興貴族の藤原氏にとっては、地位や権力によって自分たちをアイデンティファイするしかなかった。そこで彼らは官僚機構を整備し、天皇家と閨閥関係を築きながら要職を占め、藤原ネットワークを形成していった」(中西進「万葉の大和路」ウエッジ選書・209頁)。
「古くから天皇家を支えてきた臣(おみ・天皇家随伴の氏族)と連(むらじ・在地の豪族)による政治形態は、血統を頼りにするものだったから、能力主義の官僚機構の中ではあまりに<前近代的>で、大伴氏などは次第に落ちぶれていった」(同・210頁)。
「万葉の世界」を連載する火山。中西進「万葉を旅する」(ウエッジ選書)を読んでいた。古代史が大好きな火山から見ると、中西進の記事は文学的に過ぎ、歴史の流れと縁遠い。これでは真の<歌意>も読み誤る。そんな不満があった。
大伴家持は42歳の若さで歌作りをやめた。その後、26年も生きたのに歌が残っていない。橘奈良麻呂のクーデター失敗直後から歌への意欲が失せた。事変に家持は連座しなかったが、一族の有力者を失った。ある種の裏切りと周囲は見たらしい。
梅原猛は家持にウグイスの歌が多いと気づいた。幸福を運ぶ鳥と信じられている。ホトトギスは<藤>にくるのか<橘>にくるのか。家持は気にしている。明らかに政治の話だ。
だが最近買った「万葉の大和路」。東大寺の大仏や「万葉集」で面白い記事があった。<大宝律令>制定の701年(大宝元年)に生まれた聖武天皇。父は文武天皇(草壁皇子の遺児)。母は藤原不比等の娘・宮子。幼名は<首>(おびと)。
不比等が苦心して皇太子に擁立したのに長屋王の画策で元明女帝は娘の氷高内親王(元正女帝)に帝位を譲る。不比等は敗れた。首が即位したのは24歳。不比等は既に死んでいた。
藤原氏待望の天皇だったが、どっこい。聖武天皇は藤原ネットワークに不満だったらしい。
中西進によれば大宝律令の結果、天皇家は今でいう「天皇機関説」のような存在になった。早い話がロボット。藤原家に操られる存在。しかし、聖武は―――。
「白鳳の精神の復活を、すなわち皇親政治の実現を目指した天皇にとって、藤原氏との戦いは避けて通れなかった」(「万葉の大和路」210頁)という。面白い。
<皇親>政治を目指したのは天武天皇(672年即位)。天武の時代、不比等は不遇だった。鎌足以来、天智と関係が深かった藤原。壬申の乱後、一時<鳴り>をひそめた。
「天武・持統は天皇の神格化を進め、天皇支配の統一国家をつくろうとした。柿本人麻呂の歌にしばしば登場する『大君は神にし坐(ま)せば』というフレーズは白鳳の精神をあらわす代表的な言葉であろう」(同・210頁)。
持統女帝(686年即位)には歌才があった。女帝は人麻呂の才能を見出し、宮廷詩人として活用した。女帝を<女神>に見立て賛美する歌を作らせた。女帝の死(702年)とともに人麻呂は都から姿を消す。不比等によって追放流罪にされたと梅原。不比等独裁の犠牲者だ。
だが「8世紀、聖武天皇は再び神である天皇を実現しようとした」(210頁)―――。東大寺を建て金色の巨大な毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)を作ったのもそのためだ。
毘廬舎那仏は蓮華蔵(れんげぞう)世界の教主とされる。蓮華蔵世界とは<平等>という基本の層から積み重なるたくさんの世界が蓮華に覆われるという構造。そこに表現されている宇宙観は天文学的なスケール。そのすべてを統べるのが毘廬舎那仏。<光明遍照>というのが意味。光を神格化した仏。太陽の神格化でもある。
聖武天皇は740年、河内の智識寺で毘廬舎那仏を拝み、その時、大仏建立を思い立った。光明遍照、すなわち遍く光に照らされた国土の王としての自分の姿を夢見た。大仏の巨大さは、蓮華蔵世界の象徴される理想国家の統帥者としての国王の巨大さである。
何もないところから、とてつもないスケールの大仏をつくろうとしたのだから凄い。当時の日本は金もない。銅もないという状況だった。初めから無理を承知でやろうとした。
749年(天平21年)2月、陸奥の国守百済王敬福から<金が出た>という報告が届いた。聖武天皇は狂喜した。半生の夢が実現に向け大きく前進した。
家持は出金を聖武朝廷繁栄の報として喜んだ。退勢にあった大伴家。聖武天皇に頼みの綱をつないでいた。大仏完成へメドがつき、聖武が驚喜したのを、家持もこの上なく喜んだ。
聖武天皇は藤原氏の官僚機構に対抗するため、在野の実力者の協力を求めた。<行基>だ。
行基はカリスマ性で民衆のエネルギーをまとめていた。河内には数多くの渡来者集団、制度からドロップアウトした流浪民がいた。聖武はアウトサイダー集団の代表を大僧正に任命する。大英断だ。非凡な政治感覚と中西進は言う。行基の力で大仏は完成する。
天皇家が民衆力を活用したのは古代(聖武)に限らない。網野善彦「異形の王権」(平凡社)
によると後鳥羽上皇や後醍醐天皇も幕府勢力に対抗するため、こうした力を使ったという。
「万葉集」編纂もそうした政治的狙いを秘めていたというのだ。面白い。―――<続く>。
(平成18年6月18日)
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