火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

万葉を旅する

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家にあらば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こや)せる この旅人あはれ(巻3−415)

木俣修「万葉集」(NHKブックス)に紹介されている<聖徳太子>の作といわれる歌。「日本書紀」の推古天皇11年12月庚午朔に内容の類似した太子作といわれる長歌がある。
歌の意味は「家にいれば妹(妻)の手を枕にしているであろうのに。草を枕に伏し倒れているこの旅人は、なんとも哀れである」というもの。慈悲深い太子らしいというのだ。

火山は仰天した。まさか「万葉集」に聖徳太子の歌が載っているとは思わなかったからだ。
「ブルータスよ、お前もか」とはシーザーがローマ元老院で刺客の凶刃に倒れた時、刺客の中に盟友ブルータスがいるのを発見、叫んだ有名な言葉。信じていたのに―――。

昨年1月、日比谷公会堂の<平城京フォーラム>で大山誠一「<聖徳太子>の誕生」(吉川弘文館)を買って読んだ。以来、「聖徳太子は実在しない」と信じている。大山誠一は東大大学院卒の文学博士。古代史の専門家。地道な資料操作を積み重ねた結果、辿り着いた結論。火山も完全に説得された。今も火山ブログに「聖徳太子は実在しない」を連載中。

<厩戸王>という蘇我系の王族は実在する。その厩戸王が推古9年(601年)に斑鳩宮を造って、居所としたこと。近くに<若草伽藍>として遺跡が残る斑鳩寺(法隆寺)を建立したのは事実。これは考古学的にも確認されている。
ただ厩戸王という王族が「日本書紀」に記述されている<聖徳太子>かとなると話が違う。「憲法17条」や「冠位12階」を制定、「三経義疏」を著わしたとされる<聖徳太子>は実在しない。藤原不比等が「日本書紀」の中で<伝説>を創作したもの。 

もっとも木俣修も「伝承歌であって太子の実作とはにわかに決められない」という立場。太子の慈悲深さに感動した当時の人々が「太子の歌として伝えたのであろう」としている。

さて前回にご紹介した中西進「中西進と歩く万葉の大和路」(ウェッジ)。中西は「聖徳太子は実在」という立場。もっとも「憲法17条」から「太子の言葉を探すのは難しい」という。ずいぶん苦しい。「17条」は太子の時代から「日本書紀」が完成した720年(養老4年)まで、長い時間をかけて出来上がったと書いているから、限りなく怪しい。

だが厩戸王が法隆寺を建てたことは事実。中西進は妻と女性雑誌の女性編集長を伴った<大和路>散策で最初に法隆寺を訪れる。その<五重塔>で面白いエピソードを紹介する。
この五重塔は現存する<日本最古>の五重塔なのだが、最近、塔の<心柱>を巡って<大騒ぎ>が起きた。

<心柱>とは五重塔の最下層から天辺の<相輪>に至るまで、その<中心>を貫く<一本の柱>。法隆寺の心柱は長さが<32m>に及ぶ。ところが驚くべし。今から50年前<解体
修理>が行われた時、その心柱の下端が<腐食>してダメになっていることが分かった。ナント<心柱>が地面から数メートル上の辺りまで腐り落ち、宙に浮いた状態だったのだ。

日本最古の五重塔は、そんな状態だったのに倒れずにいた。凄い。<ダルマ落とし>で一番下が外れてしまったのに、それから上は何事もなかったように<崩れず>にいた。げっ!
もちろん解体修理では、落ちて<空洞>になった部分に、別の木材を入れて<補強>した。
<騒動>はその後に起った。もとの心柱から約10センチを<標本>として切り取り、ずっと保管してきた。その<標本>を<年輪年代法>で、今回<調査>した。ナント<伐採>されたのは<594年>と測定された。関係者は<仰天>した。

法隆寺が厩戸王によって創建されたのは<609年>。だが<670年>に落雷で<消失>した。現存の五重塔はその後<再建>されたというのが<定説>だったからだ。
現在の法隆寺の東南から古い<伽藍>跡が発見された。それが有名な<若草伽藍>!厩戸王が創建したのが若草伽藍。消失したので、後に<再建>されたのが<現存>の法隆寺と考えられてきた。だが今回の測定によれば、7世紀末の再建で<100年前>に伐採された<木材>を使ったことになる。法隆寺の<再建><非再建>論議が<再燃>しそうになった。

この時間の<ズレ>は何を意味するか。法隆寺が再建された時、その心柱に、当時<最古>だった<飛鳥寺>の心柱を<転用>したという説。いやこれほど巨大な建築物は、それ以前に<存在>しえない。飛鳥寺に限らず<転用>は考えられない。論争は<百花繚乱>!

中西進は「594年の伐採という前提にたてば、むしろ再建説そのものを疑うという見方だってある、と私は思う。たとえば今の伽藍も若草伽藍も最初からあって、消失したのは若草伽藍の方だけだった、という見方である。瓦の年代などから、現存の五重塔の建立は7世紀後半との見方が常識とされているが、常識は疑ってこそ、新たな発見がある」(26頁)と主張している。

「心柱は大変な発表でしたね」。中西は法隆寺の古谷正覚執事長に水を向けてみたという。「594年は聖徳太子が推古天皇の摂政となって間のない年です。お寺としましては、摂政・太子の初事業として、法隆寺の建立を志して木を切ったのだと、考えています」―――。
「古谷さんは聖徳太子一途の人」―――。<転用>もないと断言されたとか。それにしても聖徳太子をめぐるロマンは尽きない。

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