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「『(新政権には)小泉純一郎首相をしのぐ積極的な改革主義者はいない』。安倍政権で経済構造改革や財政再建が停滞するのを懸念したものだ。財政出動による景気対策ではなく、不良債権処理など構造改革に軸足を置いた小泉前政権。海外投資家はこの姿勢を評価して日本に投資を続け、景気回復を支えた。新首相の改革姿勢の本気度を探っている。『改革が止まれば日本経済は再び速やかに苦境に陥る』。米国際経済研究所のボーゼン上級研究員は強調する」―――。今朝10月7日の日経の記事。火山の問題意識をピタリ代弁している。
「だが<改革前>への回帰を求める声が強まっている。夕張市が事実上の財政破綻となるなど重苦しい空気が漂う北海道。道内の経済界で『公共事業を増やせ』の大合唱が起っている。北海道経済連合会の南山英雄会長は新政権の札幌延伸などを要望。『道内経済の活性化や自立に不可欠』と訴える。小泉政権の5年で公共事業費は約24%減った。無駄な事業削減は財政再建に不可欠だが、自民党国土交通部会のあるメンバーは『来年の参院選をにらみ公共事業(の削減)も転機を迎えざるを得ない』と語る」と日経の記事は続く。
驚くべし。たったこれだけの記事に<アンチ小泉改革>のすべてが<露呈>している。つまり<景気回復>を<失速>させ、<地方>を<崩壊>させる<補助金漬け>の<手口>が全部揃っている。<政官業>の<癒着>がはっきり見えるのです。
亀井静香ら<バラマキ>派族議員の主張する<議会制民主主義>は<事前審査>というシステムを使って「議員は<票>と<金>を、官僚は<ポスト>と<組織>を、ゼネコンは<暴利>を手に入れる」という<仕組み>になっているのだ。これを許してきたから<地方>がダメになった。この<連載>はこの事実の<指摘>と<検証>が目的―――。
内容が国の財政政策、予算制度、補助金に関連するので専門家の力も借りたい。そう思っていたら、素晴らしい本があった。<ミスター円>と謳われた<榊原英資>のもの。旧大蔵省の高官から慶応大教授になった。
彼の著書が「分権国家への決断」(毎日新聞社)。2002年11月5日が初版。もちろん内容は古くない。データは多少古いが本質は変わっていないからだ。
榊原は「長野議会がクビにした田中康夫知事を県民が再選した」ことから話を始めている。「長野県は他の多くの地域と同様、公共事業の受益者だった。県や市町村の政治は公共事業を中心に、ここ数十年、いや明治以来展開してきたのだ。しかし、多くの県民は、実は主たる受益者は既存の政治家や建設業者たちであって、自分たちではなさそうだいうことに気づき始めたのだ」(12頁)と鋭く指摘している。
「この現象(知事をリコールした議会に長野県民がノーと意思表示した)は比較的新しい展開である。『土建国家』的地方利益論は、明治以来の日本の政治の中心イデオロギーであり、少なくとも1970年代までは、そこそこ成功してきたパラダイムだった」(12頁)。
榊原は「明治の『革命』の二つの柱は、廃藩置県と新しい学制の創設」と説く。そして「廃藩置県は、県知事を任命制とする等、東京をハブとする独自の中央集権システムを確立する」「明治のリーダーたちが工夫したのが、律令時代以来存在してきた官僚機構を政治から中立化すると同時に社会全体から遮断し、超然化させて、目標達成のための具体的手段の行政システムに大幅に委任することであった」(16頁)と進める。
つまり政治が官へ<丸投げ>をした。かくて総理以下、大臣は官僚の<傀儡>となった。
「日本型中央集権システムを背後から支えてきたのが、新しい教育制度の確立とそれと平行して一般庶民まで拡がっていった『立身出世』のイデオロギー」(17頁)。これも鋭い。「末は博士か大臣か」―――という話だ。
「『立身出世』の基本的前提は学問であり、学問の有無が社会的地位の上下を決める。門閥や志ではなく学問的能力が人材の社会的選抜の基本」だった。明治の新しい意味だ。だがこれは戦後もずっと続き、高度成長を支えた後、<腐敗>してきたところに問題が起きた。
「日本型中央集権は極端な型の東京一極集中現象を生む」「東京に政治・行政権力が集中しているだけでなく、民間企業の本社も集中しており、大きく欧米先進国とは異なっている」「東京に相当するニューヨークには金融機関の本社こそ存在するが、製造業、サービス業の本社は各州に分散」「ロンドン、パリ、ベルリン等にも東京型集中は見られない」と続く。
「猛烈なスピードで『近代化』、産業化を達成、植民地化を逃れ、キャッチアップして行くには、この異常な東京一極集中は有効であったし、やむをえなかったのかも知れない」―――。
<東京一極集中>は官僚が企んだもの。「そのプロセスで地方の活力が奪われ、地方の制度的中央依存体質がつくられていった」「主要地方都市でも、地方財界の中心がほとんど、電力、ガス、地方銀行という姿は異常である」。
「地方自治体も地方交付税交付金、あるいは国庫支出金(補助金)によって、財政的に中央に強く依存し、自主性を大きく中央官庁によって制約されている」(19頁)―――。鋭い。
「長野県知事選が象徴的意味を持つのは、長野県民、そして恐らくは日本国民がこのこと(中央集権の弊害・腐敗・機能不全)に気づきだしたことだろう。地方政治家、県庁・建設会社の間に典型的に見られる政官業の複合体は、腐敗し、汚職事件が相次いでいる」。凄い。
田中角栄が「列島改造」で目指した<土建国家>…。これが<地方>を<破壊>したのだ。
(平成18年10月7日)
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