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「モーツアルトの交響曲は大好きです。4,5年前だったと思いますが、第1番から始めて順番に「交響曲」全曲を演奏したことがある。30年ぐらい前でしたか、一晩で39番、40番、41番をいっぺんに弾いたら<嘲笑われた>こともあります。でも後で調べたらベームとか、外国では<3曲まとめて>演奏するのは珍しくない。皆やっているのです」―――。
本日のゲストは指揮者の岩城宏之。
「モーツアルトはこの39番、40番、41番を一括、続けて書いた。交響曲の集大成のつもりだった。もちろんお金が欲しかった。でも売れずに、死んでしまった。この3曲をまとめて書いたモーツアルトの気持ちを考えると、39番は全体で<第一楽章>、41番は全体で<フィナーレ>。特に41番の第4楽章は<C(ツェー)ドゥア>(ハ長調)のフーガになっている。ベートーヴェンも<第九>でフィナーレは同じ<ツェドゥアのフーガ>にしている。そして40番は全体で<第二楽章>になっている。<心を休める>のが狙い」―――。
本日の一曲は「交響曲」第40番ト短調。ベートーヴェンやブラームス、ショパンやシューベルトに夢中、「モーツアルトなど音楽ではない」と生意気に決め付けていた学生時代(半世紀前)から、この<40番・ト短調>だけは例外。ブラームスの「交響曲」第4番ホ短調に通じる<哀愁>に満ちた曲想が大好き。スコア(オーケストラ用総譜)を買い込んで、眺めながら聴き惚れた。だから岩城宏之がこれを選んで解説するのは大感激。
先週<第200回>の「レクイエム」で終わった「毎日モーツアルト」。今週は続編だがテーマは「その後のモーツアルト」。本日のタイトルは<世紀を越えた賞賛>―――。
モーツアルトの死後7年目の1798年、本格的な「モーツアルト伝」を最初に書いた伝記作家のニーメチェクは「死ぬ前にたった一つだけ、神が私の願いを叶えてくれるとしたら、モーツアルトの即興演奏を聴きたい」と書いているという。
ドイツ文芸界の<疾風怒濤>(シュプルング・ウント・ドランク)時代の旗手ゲーテ(1749〜1832)はモーツアルトの「魔笛」が大好きで、自身が主宰する劇場で繰り返し何十回も上演、「モーツアルトの音楽はどうにも説明のつかない<奇跡>だ。悪魔(デーモン)は時には極めて魅惑に満ちた才能を人間の姿でこの世に送りだす。それがモーツアルトだ」と
評したという。
「恋愛論」や「赤と黒」で知られるスタンダール(1783〜1842)はモーツアルトを熱愛。まだ無名だった時代に「モーツアルト伝」を自費出版した。有名になってからも自著でしばしばモーツアルトを話題にしているという。
「天才がもしこの世にハダカで生まれてくるとしたら、それがモーツアルトだ」―――。37歳の時、自分で考えた<墓碑銘>にはモーツアルトへの愛が書かれている。「この世で私が本当に愛したもの。それはチマローザ、モーツアルト、シェークスピアだ」―――。
モーツアルトは思想家の世界にも大きな影響を残した。キエルケゴール(1813〜1855)の言葉。「不滅のモーツアルトよ。私の身に起こった一切のことは君のお蔭だ。私が分別をなくしたのも、魂が呆然としたのも、心を揺さぶられたのも、みんな君のお蔭だ」―――。
キリスト教神学者として最高峰を極めたカール・バルト(1886〜1968)の言葉。「天使たちは神を讃えるためにバッハを演奏するかもしれないが、彼ら自身のためにはモーツアルトを演奏するだろう。そして神も喜んで一緒に聴くだろう」―――。
「モーツアルトの音楽は音楽の世界だけでなく文学や思想の世界でも、世紀を超えて、多くの賞賛を得た」―――。BSのナレーションはこうして結ばれた。だが火山にはまだ訴えたいことがある。
モーツアルトは1791年12月5日、この世を去った。僅か35年10ヶ月の命だった。死の直前、遺作となる「レクイエム」の完成部分を親しい友人たちとともに歌い、書きかけ最後の「ラクリモサ」(涙の日)まで来ると激しく泣き出したという。まだやりたいことが一杯残っていた。生まれながらの天才とはいえ、生涯を通じて進化し続けたモーツアルト。
まだまだ音楽を書きたかった。そして幼い息子二人。愛妻のコンスタンツェは病弱な上、まだ29歳だった。
「モーツアルトの名声は死後急速に高まっていった。あのモーツアルトゆかりのプラハでは、早くも1791年12月14日、モーツアルト追悼の荘厳ミサがとり行われた。有名な音楽家たちをはじめ何千人という町の人々が教会とその前の広場に集まり、哀悼の涙を流したという。ウィーンでは『魔笛』の人気がとどまるところを知らなかった。初演からほぼ14ヶ月の間に少なくとも83回上演されたと伝えられる」(田辺秀樹「モーツアルト」新潮文庫・174頁)。
「死後10年を経て19世紀に入ると、モーツアルトの名声は国際的な広がりを見せ始める。フランス、イギリス、オランダ、イタリアなど、かつて少年モーツアルトが訪れたことのある国々をはじめ、北欧、ロシア、アメリカなどでもモーツアルトの作品は次つぎに演奏されるようになっていった」(田辺・175頁)。
(平成18年12月27日)
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