火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

ベートーヴェン意外な関係

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連載「ベートーヴェン意外な関係」も第5回。本当は「モーツアルトとベートーヴェンの意外な関係」としたい。だが<見出しとタイトル>は一行という制約がある。やむなく<短縮版>にしている。
前回は「17歳の青年ベートーヴェンはモーツアルトと出会った」という見出し。有名な話だが、詳しいご紹介はしなかった。<第2回>をご参照いただきたい。

この出会いでモーツアルトがベートーヴェンを評したとされる言葉がある。結構、有名だ。<der wird einmal in der Welt von sich reden machen!>―――。近衛秀麿「ベートーヴェンの人間像」(音楽之友社・164頁)に紹介されている。
「この才能に注意を払いたまえ。この若者は今に全世界の話題をさらってしまうだろう」。
このドイツ語、実は前半が脱落している。<der>は男性名詞の関係代名詞。<若者>の<Wursche>が男性名詞なのだ。<von sich reden machen!>は<評判になる>という熟語。<einmal>は<いつの日か><in der Welt>は<世界中で>―――。

前回も触れた。二人が出会ったという<確証>はない。だがベートーヴェンは幼い頃から父親や恩師から「第二のモーツアルトになれ」と激励されて育った。ベートーヴェンの近くにはいつもモーツアルトの音楽があった。ベートーヴェンは生涯を通じてモーツアルトを<崇拝>していた。だから17歳のベートーヴェンが初めてウィーンを旅行した時、尊敬するモーツアルトを必ず訪ねたと火山は信じている。

1792年11月、ベートーヴェンは再びウィーンの土を踏む。この時、モーツアルトは既に35歳の生涯を終わっていた。二人が出会うチャンスは永遠に失われた。だが二人には<意外>な接点がいくつもある。それをご紹介するのが、この<連載>の<狙い>―――。

1790年2月20日、ボン選帝侯の兄にあたるオーストリー皇帝が他界した。20歳になっていたベートーヴェンは<皇帝ヨーゼフ2世の死を悼むカンタータ>を作曲。続けて即位した新皇帝のために<皇帝レオポルト2世の即位を祝うカンタータ>を作曲する。
この年の暮れ、モーツアルトが<パパ>と呼んでいたハイドンがイギリスヘ移住する途次、ボンに立ち寄った。モーツアルトは英語を話せない高齢(58歳)のハイドンを心配、渡英に涙を流して反対した。「もう二度と会えない気がする」とまで口にした。

事実、モーツアルトは翌年12月、35歳で他界する。ハイドンとは永遠の別れになった。そのハイドンが1年半に及ぶロンドン滞在を終え、1792年7月初旬、ウィーンに戻る途中、再びボンに立ち寄った。この時、ボンの宮廷楽団は巨匠ハイドンを大歓待する。
団員だったベートーヴェンも、この時、ハイドンに会い、前記のカンタータを見せ、弟子入りを許される。選定候から一年間の<有給休暇>を得た20歳のベートーヴェン。モーツアルトを失った音楽の都ウィーンへ旅立つのだ。

ボンにはベートーヴェンの初恋の女性がいた。貴族ブロイニング家の令嬢エレオノーレ。ベートーヴェンのピアノの弟子だった。母を17歳で失い、家庭的愛情に飢えていたベートーヴェン。ブロイニング家の未亡人は子供のように可愛がってくれた。娘がエレオノーレ。

「ベートーヴェンはブロイニング家で多くの名士たちと知り合うことにもなった。当時ケルン選帝侯が団長を務めるドイツ騎士団に入団するためにボンへやってきたウィーンの名門ヴァルトシュタイン伯爵と知り合ったのも、ブロイニング家においてであった。のちに有名なピアノ・ソナタ(作品53)を献呈することになるヴァルトシュタイン伯は、自らもピアノを弾き、作曲するほどの音楽愛好家だった。伯はベートーヴェンの才能を賞賛し、当時のボンには数台しかなかったアウグスブルグのJ・A・シュタイン製のピアノを贈った。以後のベートーヴェンの作品はすべてこのピアノから生まれる」(平野昭「ベートーヴェン」新潮文庫・26頁)。

1789年5月、18歳のベートーヴェンはボン大学に入学する。時あたかもフランス革命勃発の前夜。「7月14日のバスチーユ襲撃を機に人民が蜂起したというニュースが伝わったとき、シュナイダー教授の革命思想について熱のこもった講義がボン大学の学生たちを感激させたという。こうしてベートーヴェンは『自由・平等・博愛』というフランス革命精神に共感を覚えていったのであった」(平野・27頁)。

1792年、21歳のベートーヴェンはシラー(1759〜1805)の友人でイエナ大学からボン大学に招かれたB・L・フィッシェニヒからシラーの講義を聞く。学生の溜まり場だったコッホ小母さんの書店兼レストラン<ツェアガルテン>で、フィッシェニヒと親しくなる。この友人がシラー夫人に送った手紙(1793年1月)にベートーヴェンのことが出てくる。「この少年は選帝侯によってウィーンのハイドンの許に派遣されたところです。彼はまたシラーの<歓喜>(フロイデ)を、しかも全節を作曲しようとしています」(平野・30頁)。

ウィーンのハイドンの許へ留学するベートーヴェン。1792年11月1日、送別会が開かれた。記念帳にはヴァルトシュタイン伯の有名な言葉が書き込まれた。「たゆまぬ努力をもって、モーツアルトの精神をハイドンの手から受け取りたまえ」―――。初恋の女性エレオノーレの言葉。「友情は善なるものと共に、夕べの影のごとく、人生の落日のときまで育つ」。
11月10日頃、ウィーンに到着したベートーヴェンが落ち着いた先はリヒノフスキー候の持ち家。ハイドンの紹介らしいが、この侯爵はモーツアルトと同年。親友の一人なのだ。
(平成19年1月5日)

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