火山の独り言

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ベートーヴェン意外な関係

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1770年12月16日。ベートーヴェンはライン河畔のロココ風宮殿都市ボンに生まれた。祖父のルートヴィヒ(1712〜1773)は有能な音楽家。ボンの選帝侯マクシミリアン・フリードリヒの宮廷楽長になった。
ベートーヴェンはこの祖父に3歳で死別している。ベートーヴェンに音楽の手ほどきをしたのは同じく宮廷楽団員の父ヨーハンだった。

「ヨーハンの洗礼記録はボンの教会からは見出すことができないが、他の記録に見られる年齢から逆算してほぼ1740年頃の生まれと類推されている。ヨーハンは父親(ルートヴィヒ。楽長の前はバス歌手)ゆずりの美声の持主であり、12歳頃から宮廷楽団で歌手を務めたり、ヴァイオリンを弾いたりしていた」(平野昭「ベートーヴェン」新潮文庫・11頁)。

音楽一家に生まれたベートーヴェンは同様に音楽一家に生まれ、既に<神童>の名をヨーロッパ中に轟かせていたモーツアルトの話を朝夕、聞かされながら音楽修行を重ねていた。
「子どもに、愛も理解もないかたくなな飲酒家の彼の父親は、幼年時代から彼を第二のモーツアルトに育て上げて家計の足しにするために、しゃにむに音楽の修行を強要した。その喜びも感謝もない家庭生活は、彼を堅い殻の中に閉じ込め、それがまた彼を異常な反発力と自衛と自立の精神でかたまった人間に仕上げたのであった」(近衛秀麿「ベートーヴェンの人間像」音楽之友社・165頁)。

モーツアルトは正反対。「明るい幸福な家庭の中で育ち、その父君も非常に有能な音楽家で、特にこの息子に対しては、他目にも麗しい愛情を注ぎ、この天才の大成にもっとも深い理解ある態度でのぞんだ」(近衛・164頁)。

モーツアルトはベートーヴェンが生まれた1770年は14歳。ベートーヴェンの誕生日の12月16日にはイタリアのミラノにいた。自作のオペラ「ポントの王ミトリダーテ」がミラノ大公の城内劇場で初演され、大成功。「ほとんどすべてのアリアで、歌い終わるとびっくりするような拍手が沸き起こり、『巨匠(マエストロ)万歳』『小さな巨匠(マエストリーノ)万歳』の掛け声が続きました」(田辺秀樹「モーツアルト」新潮文庫・46頁)。

モーツアルトの時代。音楽の本場はイタリアだった。モーツアルトの故郷ザルツブルグでもイタリア人が幅を利かせていた。オペラをはじめイタリア音楽はヨーロッパ中に広がり、宮廷楽団や歌劇場では、どこでもイタリア人の楽長や作曲家、演奏家たちが威張っていた。モーツアルト父子も音楽活動や旅行ではイタリア人音楽家の権勢を見せ付けられ、悔しい思いを重ねていた。それがモーツアルト父子をイタリアでの音楽修行に駆り立てていた。

1769年12月、モーツアルト父子はチロルの中心地インスブルックに近いブレンナー峠を越えてイタリアに入った。13歳のモーツアルトは以後1年以上、イタリア各地を旅行する。もちろん音楽修行。どこへ行っても<神童>の評価は高まるばかり。
1770年4月にはローマの聖ペテロ教会で門外不出の秘曲「ミゼーレ」のポリフォニー(多声複音楽)を聴いたモーツアルト。パート譜でさえ写譜したら破門というのに、一度で聞き覚えてしまい、譜面にしてしまったという大事件が起きる。

ミラノ、ボローニャ、ローマ、ナポリと続く旅。教皇クレメンス14世から少年モーツアルトに音楽家として最高の名誉である<黄金拍車勲章>が授けられる。帰途再訪したボローニャでも権威ある音楽団体「アカデミア・フィラルモニカ」が会員資格は20歳以上というのに審査の結果、全会一致で14歳のモーツアルトを正規の会員として承認する。

父親からベートーヴェンに加わったプレッシャーは強烈だったろう。しかし、ベートーヴェンも負けてはいない。少年ベートーヴェンの最高の師と目されるクリスチャン・ゴットリープ・ネーフェ(1748〜98)が地元ボンの音楽雑誌に1783年3月2日、第三者的立場で書いた「ケルン選帝侯国の音楽事情」という報告文にベートーヴェンの有能さをうかがわせる記事がある。

「前記のテノール歌手の子供であるルイ・ヴァン・ベートーヴェンは11歳の少年であるが、有望な才能の持主である。クラヴィーアを巧みに力強く演奏し、初見視奏にもすぐれている。現在彼は作曲の勉強もしているが、ネーフェ氏は彼の励みとなるようにあるマーチを主題として作曲したクラヴィーアのための9つの変奏曲をマンハイムで出版させたのである。この若き天才には旅行のための援助をする必要がある。従来どおりに進歩してゆけば、必ず第二のヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトになるであろう」(平野・19頁)。

ネーフェはボンの選帝侯が民衆教育振興のために設立した国民劇場の音楽監督として招かれた高名な知識人。ライプツィヒ大学で法学を修める一方、音楽や哲学にも才能を発揮、ジングシュピールや歌曲の作曲も学んでいた。多くの芸術家、文人にも人脈をもつ最高の教養人だったのだ。そのネーフェがベートーヴェンの才能を見抜いていた。

ベートーヴェンは生前のモーツアルトに会ったことがあったのか。これは今でも論争の的。
だがベートーヴェンはモーツアルトを強烈に意識しながら成長したのだ。17歳の青年ベートーヴェンが憧れのウィーンに初めて旅行する。そこにはモーツアルトが活躍している。「会いたい」と思うのが当然だ。だから火山は「会った」と信じる。だがベートーヴェンがウィーンにいたのは僅か2週間。「母重態」の報が長期の滞在を許さなかったのだ。
(平成19年1月4日)

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