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「このシンフォニーはモーツアルトがリンツで僅か4日間で書いたといわれている。こんな大曲、しかもモーツアルトの中期を代表するという傑作を、そんなに短い時間で書き上げることが本当にできるのだろうか」―――。本日のゲストは脳科学者の茂木健一郎。
昨年の後半、日経夕刊のコラム「明日への話題」を執筆していた。モーツアルトが大好きで研究しているらしい。脳科学者がモーツアルトの<脳>を語る。面白い。
「モーツアルトは普段から脳の中に音楽の収納庫があった。それぞれのレパートリーにそって整理されていた。いざという時は収納庫から取り出し、組み合わせたり、変形したりして音楽を組み立てる。ゆるぎない<生活人>として着実に蓄えていた。いつでも聴牌(てんぱ)っていた。短時間でも書き上げられる準備があり、それが普通の日常だった。<日常の達人>と言ってもよいのでは…」―――。凄い!!さすが脳科学者。<卓説>だ。
2年9ヶ月ぶりの故郷ザルツブルグへの帰郷。3ヶ月の滞在だったが、コンスタンツェとの結婚をめぐって起った父姉とのわだかまりは簡単には氷解できなかった。二人は失意のうちにザルツブルグを後にした。モーツアルト27歳、コンスタンツェ21歳だった。
そして35歳でこの世を去ったモーツアルト、その後、二度と故郷ザルツブルグの土を踏む機会に恵まれなかった。
ウィーンへの帰途の1783年10月30日、モーツアルトとコンスタンツェはドナウ川河畔の都市リンツに立ち寄った。リンツはザルツブルグとウィーンの中間に位置する都市。モーツアルトは少年時代からよくリンツを訪問していたという。
モーツアルトとコンスタンツェはリンツで旧知のトゥーン・ホーエンシュタット伯爵邸に逗留した。失意の二人を伯爵は温かく迎えてくれた。
「トゥーン伯爵からボクたちがどんなに歓待をうけているか。お父さんにお伝えできないほどです。演奏会が迫っています。僕は交響曲を持参していません。大至急、完成させなければなりません。手紙もこれで失礼します。もちろん仕事です」―――。
1783年10月31日付の父レオポルト宛の手紙。モーツアルトは大歓迎に応え、11月4日に演奏会を開くことになった。演奏会場はリンツの旧市庁舎。リンツの貴族や名士、市民が集まる社交場だった。
演奏会まで4〜5日しかない。だがコンサートに欠かせない「交響曲」を、この時、モーツアルトは持参していなかった。そこで大車輪、一気に書き上げたのが、この「交響曲」第36番ハ長調<リンツ>(K425)だ。モーツアルト中期を代表する傑作。
出来上がったばかりの「リンツ交響曲」は短期間で書き上げられたにもかかわらず、完成度の高い名曲だった。披露された途端、大喝采を浴び、人気を集めた。
テレビに<三位一体館>が映った。1762年。6歳のモーツアルトが泊まったホテルの跡に建てられたらしい。二人が泊まったことを記すモニュメントが映し出された。今回、モーツアルトはここにも訪れ、コンスタンツェに紹介した。
トゥーン伯爵邸とその庭園も映し出された。伯爵邸は今、「モーツアルトハウス」として一般に公開されている。リンツは今、ウィーンとグラーツに次ぐオーストリア第三の都市だ。
(平成18年6月15日)
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