|
「古代史」大好きな火山。「大化改新」(645年)と「壬申の乱」(672年)は興味津々だ。
今回の「NHKスペシャル」<大化改新>「隠された真相」、火山は見逃せるはずがない。娘に頼んでビデオ録画しながらでテレビに見入った。内容は驚天動地。古代史の<常識>を覆す<大発見>というものだった。
「大化改新」は645年6月12日、奈良・飛鳥の板蓋宮(皇居)で政界第一の実力者<蘇我入鹿>の暗殺から始まった。刺客はなんと皇極女帝の長男・中大兄皇子ら数名。黒幕は中臣(後の藤原)鎌足というから驚く。しかも惨劇は女帝の眼の前で突然起った。
女帝は驚愕のあまり「これは何の真似ですか」と絶叫。頭と肩を切られ、重傷の入鹿も死に臨みながら「臣、罪を知らず」と無実を女帝に訴えた。これが「日本書紀」の記述だ。
入鹿は父の蝦夷とともに天皇の宮殿<板蓋宮>を見下ろす甘樫丘(あまかしのおか)に豪邸を構え、権勢を振った。挙句の果てには天皇家を滅ぼそうとした<大逆臣>。そこで<大忠臣>鎌足が中大兄皇子と語らってクーデターを起こし、入鹿<暗殺>を契機に<大化改新>という大改革を進めた。
改革の狙いは東アジアに覇を唱えていた大帝国<唐>の脅威に対抗すべく、豪族連合の首長に過ぎなかった天皇の政治を改め、<中央集権>の律令国家を作ること。中大兄と鎌足は協力して日本初の強力な統一国家を建設した。歴史書の多くはそう書いてきた。
だが今回の「NHKスペシャル」<大化改新>「隠された真相」によれば放送1日前に発表された「飛鳥発掘調査報告」によって<仰天>すべき<新事実>が判明したというのだ。
発掘を行ったのは奈良文化財研究所のチーム。「日本書紀」に「入鹿の館が<谷(はざま)の宮門(みかど)>と呼ばれていた」と記録されているのを手がかりに甘樫丘の東の麓に狙いを定めた。発掘が進むと入鹿の館らしい遺構が発見され、多数の<柱>跡が現われた。
蘇我の蝦夷、入鹿父子は大豪邸に住んでいた。大化改新の<功臣>中臣(後の藤原)鎌足を祭った談山神社(奈良県桜井市)の「多武峰縁起絵巻」にその豪邸ぶりが描かれている。
「蝦夷、入鹿の二人は悪行を積み重ねること年毎に深く、君臣の情を破り、国家を我が物にしてきた。甘樫丘の館を宮門(みかど)とさえ僭称した。豪邸は天皇を脅かす権勢の象徴とし、専横の限りを尽くした」と絵巻はいう。
テレビ画面に甘樫丘東麓遺跡が映った。この一帯を発掘した結果が今年2月1日、つまり放送の前日に発表されたという。それによれば言い伝えどおり、入鹿の邸宅跡と思われる遺構が発見された。だがそれは大邸宅ではなかった。次々と発見された<柱>跡は小さな掘立小屋のもの。しかも住居ならあるはずのない柱が小屋の内側から発見された。それは倉庫特有の建て方。研究者によれば小屋群は外敵から飛鳥を守るための<武器庫>だった可能性が高いという。
「甘樫丘は見晴らしのよい小高い丘。いざという時には武器を取り出して上の方へ駆け上がったのではないか。付近一帯はお城のような雰囲気を持っていた可能性が高い」―――。
京都橘大の<猪熊兼勝>教授(考古学)の話だ。
「これまで続けられてきた発掘調査によって、蘇我氏の邸宅や寺の持つ特殊な性格が明らかになってきた」とNHKスペシャルのナレーション。「それらは天皇の宮殿を取り囲むように配置されている。天皇を守る<要塞>のような役割を担っていたのではないか」。
「<逆臣>とされる入鹿は実は先頭に立って天皇の政治を守ろうとしたのではないか。入鹿を倒した直後から大政治改革<大化改新>が始まったとされる『日本書紀』の記述そのものの<信憑性>も疑われ始めている」―――。ナレーションは重大なことを語る。何ごとか。古代中国語が専門の京都産業大<森博達>教授が登場した。
「漢文で書かれた『日本書紀』を古代中国語の音と語法に照らして分析しました。大化改新が記された巻24と25は古代中国語の正しい発音に基づいた漢字が使われている。当時、大陸から渡来した中国人が執筆したと考えられます。ところが巻24で中大兄皇子が天皇に入鹿暗殺の大義を述べた箇所には中国人が犯しそうにない誤りが見られました」と森教授。
「豈(あに)天孫をもちて鞍作(入鹿)に代えむや」(天皇の子孫をなぜ入鹿に代えるか)という部分。古代中国語の語法によると位置が逆。つまり意味が反対となり、正しい語法になっていない。中国人が書いたら、こんな初歩的ミスは絶対犯さない。
また巻25。入鹿暗殺の直後から<改革>が次々と行われたと記述されている部分についても森教授は中国人が犯しそうにない語法の誤りを<24>ヶ所も発見したという。
「これは一体どういうことか。中国人の執筆者が亡くなった後、『日本書紀』編集の最終段階になって<潤色加筆>が行われた。つまり大化改新の記事は最終段階で大幅に手を加えられた。これが事実です。となると『日本書紀』に書かれたことが実際にあったとは言えなくなる」―――。森博達教授(京都産業大)ははっきり断言した。
詳細は次回に譲る。だが結論だけ急ぐと「<中央集権>国家を目指す大化改新は645年(入鹿暗殺)に始まったのではない。実は倭国(日本)遠征軍が18年後の663年<白村江の戦い>で唐・新羅の連合軍に完敗した後から始まった。中大兄と鎌足の入鹿暗殺は<改革>が目的ではない。入鹿は<大逆臣>などではなかった」ということなのだ。―<続く>―
(平成19年2月12日)
|