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入鹿暗殺は645年6月12日。この日を境に政治の実権は中大兄皇子とその母・斉明女帝の手に移り、大改革<大化改新>が始まったとされる。天皇家を滅ぼそうとした大逆臣<蘇我>氏が倒れ、抵抗勢力が消えた。豪族連合の首長に過ぎなかった<天皇家>が<律令>による<中央集権>国家の中心に立ったというのが従来の定説だった。
だが2月2日、放送された「NHKスペシャル」<大化改新>「隠された真相」は<古代史>大好きな火山にとって<天地>が<逆転>するような<仰天>の内容だった。
飛鳥の甘樫丘(あまかしのおか)の上と下にあったとされる蘇我蝦夷、入鹿の館跡は「日本書紀」が記すような<大豪邸>ではなく<兵器庫>と<兵舎>―――。天皇の宮殿(板蓋宮>を囲む<大要塞>だった。
<逆臣>とされた入鹿はむしろ外敵の侵略から天皇家を守る先頭に立っていた。それだけではない。当時、中国で台頭、周辺諸国の<脅威>となっていた<唐>帝国と<融和>外交を結び、倭国(日本・大和朝廷)を唐の侵略から守ろうとした<忠臣>だったのだ。
東洋大の森公章教授は番組の中で、7世紀の日本の歴史を国際情勢から読み解き、<大化改新>とされる<大改革>は<入鹿暗殺>の645年ではなく、<18年後>の663年<白村江の戦い>の<完敗>の後に始まったと指摘した。
「それを物語る史料が近年、飛鳥で数多く出土している」と「NHKスペシャル」は放送した。出土したのは7世紀末の<木簡>――−。<竹田五十戸>とか<諸岡五十戸>とか読める。いずれも<納税>の記録。それまで豪族が集め<国庫>に納入されていたものが、直接<中央政府>の<徴収>に代わったという記録。いずれをとっても白村江の敗戦<663年>以降の年号なのだ。不思議なことに、それ以前の木簡は一つも発見されていない。
<蘇我>研究の第一人者、大阪府立大の門脇禎二名誉教授は指摘する。「入鹿と中大兄は外交路線で対立していた。東アジアの情勢に通じていた入鹿は<唐>を中心とする<開明的><先進的>な外交を展開しようとしたが、中大兄は<百済>を中心に<保守的><反動的>路線をとった。それが<入鹿暗殺>というクーデターの背景にあった」―――。
蘇我氏の先祖には<高麗>とか<韓子>とか朝鮮半島の地名を持つ先祖がいる。蘇我氏の古墳からは<ガラス製の椀>や<火熨斗>(古代のアイロン)など渡来人がもたらした品々が多く出土している。大陸や朝鮮半島の情勢に通じていた。630年に長らく途絶えていた<遣唐使>を再開したのも入鹿の父<蝦夷>だった。
一方、入鹿暗殺の後の中大兄皇子も行動を見ると、蘇我氏が<飛鳥防衛>と<唐外交>に心血を注いだのに対し、唐を警戒したり、防衛しようという政策を採ろうとしていない。
当時の飛鳥では<酒船石遺跡>とか<須弥山石>とか天皇の<祭祀>用の風変わりな建造物、あるいは大規模な運河とか、天皇の権威を高める土木工事の遺跡が発見されるだけ。
660年、唐と新羅の連合軍が百済を滅亡させると、中大兄皇子は百済の王子を匿い、唐に敵対するような外交を行う。その結果が唐・新羅連合軍と倭国(日本)の<白村江の戦い>。
「我ら先を争はば彼自ずから退くべし」(我々が攻め立てれば唐の軍勢は逃げる)と中大兄はタカをくくっていた。だが実際には倭国の軍船は唐の巨大の軍艦(楼船)に完膚なきまでに撃滅されてしまう。海は倭国の兵の屍で埋まり、血で海は赤く染まった。
<白村江の完敗>の後、中大兄は唐の侵略に備え、飛鳥の丘陵の尾根に周囲8キロの<城壁>を構え、外側に数多くの<物見台><ノロシ台>を構えた。さらに瀬戸内海から北九州に及ぶ<山城>を各地に建設した。
岡山県総社市に遺る古代の山城<鬼の城>は全長2.8キロの<土塁>が山頂を囲んでいる。
土塁は<版築>(はんつき)という土を何層にも固めた当時最新の技術で造られた<築城>。延べ数十万人の労働力が動員されたと試算されている。
中大兄から即位した<天智>天皇はこの<山城>を瀬戸内海から北九州まで、中国・朝鮮からの侵略ルートに沿って数多く築き、飛鳥から北九州にいたる<大防衛網>とした。唐の大軍が攻めてくるという切実な<危機感>が<政治改革><律令体制><中央集権>国家を作らせた。これが<大化改新>の<真相>。入鹿は<逆臣>だったというのは捏造だ。
古代中国語が専門の京都産業大の森博達教授は「大化改新を記述した『日本書紀』の巻24と巻25は、大陸から渡来した中国人によって正しい発音と語法で書き上げられた後、中国語の知識を欠いた日本人の手で<改竄>された」と分析。「<潤色加筆>は事実だ。だから『日本書紀』に書かれたことが実際にあったとはいえない」と断言する。つまり<入鹿>=<逆臣>とはいえない。大化改新も入鹿暗殺とは関係がない。
飛鳥の発掘調査は1300年の歳月を超えて大変な古代史の真相を暴き出した。「日本書紀」の編纂をしたのは「大化改新」の<功臣>とされる中臣鎌足の子<藤原不比等>と中大兄皇子(後の天智天皇)の娘<持統女帝>と<元明女帝>の3人。完成したのは720年。奈良へ都が移された710年(和銅3年)の10年後だ。大化改新の75年後。
もう一つ指摘したい。火山は「聖徳太子は実在しない」(書庫)を連載した。これは古代史が専門の大山誠一教授「聖徳太子の誕生」(吉川弘文堂)がベース。大山博士は「日本書紀」が<聖徳太子>を<捏造>したことを様々な角度から<検証>したのだ。これも凄い。
(平成19年2月19日)
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はじめまして、とても素敵なブログを発見しました。
またぜひ訪問させていただきます!!
2008/4/9(水) 午後 10:20 [ nao6971 ]
<一歴史ファン>さん、ようこそ。
貴兄の方こそ素敵ですね。火山も古代史が大好き。特に「壬申の乱」「万葉」の時代に関心があります。ライフワークにしたいと思っていますが、定年から10年、いまだに割ける時間がつくれません。現実の政治に無我夢中。残念でなりません。
2008/4/10(木) 午前 8:40 [ kom*_19*7 ]
はじめまして
えみしが好きです。
学生時代、学校で無理やり暗記させられる歴史に疑問を持ちました。
極悪非道な親が我が子を殺害されて自害するのか?
まして、味方も装備も犯人達よりあるのに、戦う気満々で騒いでいるのを目の当たりにして自害?
自分なりに調べるうち「えみしより天智天皇の方が酷い人」と思うようになりました。
「臣、罪を知らず」
蘇我氏は、えみしは、学校で教えるような悪者ではなく、誰よりも国をおもう人だったのではないか、と。
中大兄のような言葉の通じない者を相手にする事に疲れ、生き続ける事に見切りをつけてしまったのではないか、と。
この時代の事をもっともっと知りたいです。
2008/10/11(土) 午後 11:48
<胡楊樹>さん、ようこそ!ブログ、拝見しました。ジプシー・ヴァイオリンが素晴らしい。聴き惚れました。
チゴイネル・ワイゼン!様々な演奏がある中、最もお気に入りを選ぶ。素敵です。
蝦夷へのご見解。ほとんど同じ。火山もそう思います。ただ歴史は悲しい。勝者が常に正しいとは限らない。いやむしろ卑劣な場合が多い。でも敗者にも反省が残る。そう、考えた方が、世の中は進化する。
正しい者が勝利できる。そういう時代を作りたい。たとえ我が身を犠牲にしても!捨石が時代を変えて行く。そういうロマンを捨てきれない火山です。
もちろん火山、いわゆる<勝ち組>ではありません。家内にも、子供、孫たちにも、深く深く詫びたい。そういう半生でした。
2008/10/12(日) 午前 0:24 [ kom*_19*7 ]