火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

悲劇の大津皇子

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「何ごとか起きつつある」。大津皇子は暁の床からはね起きた。旅の疲れですっかり眠りに落ちてはいたが、鍛えぬいた武道の心得、どこかで小角(くだ)のけたたましい音を聴いた。夢の続きではない。次第に近付き、やがて矢釣の宮をめぐる騒がしさとなった。

「皇子さま、お目覚めくださいませ。大変でございます。数えきれないほどの兵士が矢釣の宮に押し寄せてきております」―――。
「道作、何事であろうか」。大津は急いで身支度を整えた。道作は答えるゆとりを失っていた。ことここに至っては…と言いたげに見えた。大津はとっさに壁に立てかけてあった矛(ほこ)を取った。たとえ死に向き合おうとも覚悟は決まっていた。だが飛騨の山奥に出家するわが身が矛を取って何とする。大津はまた元の位置に戻そうとした。その瞬間…。

「大津皇子さまに申し上げます」という大音声が届いた。とりまく兵士の長(おさ)の声だろう。切迫した響き。今にも戦いを挑もうというのだ。大津は再び矛を手におさめた。隠遁するとの決意が吹き飛び、挑戦を受けて立つべき高ぶりが全身にみなぎってきた。

打ち明けたのは川島皇子だけだった。川島皇子が身の安全を図って密告を選んだ。考えてみると、あの日の川島皇子の態度は冷たく、曖昧だった。「信じていた者の裏切り…」。川島皇子だけではない。人間というもののもろさ、大津は怒りを感じた。
矢釣の宮の侍女や舎人たちは、急な兵の包囲にうろたえ、右往左往していた。「うろたえるな、落ち着くことだ。決して外に出て抵抗してはならぬ」。大津は騒ぐ家人たちを抑えた。

話は戻る。川島皇子が持統に密告したのは大津が伊勢に向かった日の午後だった。持統女帝はすぐ行動を起こした。夜、兵制官長(つわもののつかさのかみ)の藤原大嶋を召し出し命令を発した。
「ただちに兵士を500人、戦(いくさ)に備えて大宮の広庭に召集せよ。その後のことは改めて詔勅を下す」―――。大宮にはいつでも戦える準備があった。それが平素のものものしい警護だったのだ。

「大津皇子さまに申し上げます。臣(やつがれ)は兵制官長の藤原大嶋と申します。ただ今、詔勅を賜り、皇子さまに縄を奉らんがため兵500人を引き連れてまいりました」。<詔勅だから従え>という大音声の威圧があった。
「何ゆえに兵士を…」。分かってはいたが、大津は改めて問いただした。

「大津皇子は皇太子を退け、おのが地位を築こうと企てられた。川島皇子のお告げで明らかになりました。『謀反の罪は明白。皇子に縄を』という詔勅でございます。今すみやかに縄を受けられますよう。万一、抵抗されるにおいては、やむなく兵を宮の中にいれ、皇子をとらえよと詔勅にございます」―――。さっきまでの<皇子さま>が<皇子>に変わった。明らかに<罪人>扱いだった。

大津の予感は当たった。やはり川島皇子の讒訴だった。讒訴によって古来、幾多の人が無実のまま無念の死を遂げたことか。たとえ卑劣と呼んでも通用しない、この悔しさ―――。
だが大津は潔く意を決した。悪びれずに藤原大嶋に向かって答えた。
「大嶋、ご苦労であった。今、舎人に門の扉を開けさせよう。しばらく待たれよ」。やがて道作が怒りを抑えて大津の命令どおり門を開いた。

「大嶋! 汝の言ったような罪が真にあったかどうか、やがて分かる時が来よう。逃げはせぬ。この身は歩いて行こう。縄をかけるには及ばぬ。今しばし待たれよ。わが宮の者たちに言い置かねばならないことがある」。悪びれず、堂々とした態度だった。
大嶋はあまりの立派さに圧倒された。了解を得た大津は大嶋の軍に背を向けると宮に戻り、皆を集めると最後になるかも知れぬ別れの言葉を述べた。

気負っていた時には寸毫も見せなかった思いが胸に湧き上がってきた。これまで自分に従ってきてくれた者たちである。愛おしさがあふれ出た。涙が光った。
「背の皇子さま。吾もお供をいたします。ともにお連れくださいませ」―――后の山辺皇女だった。皇子の傍らに走り寄った。声を上げて泣く皇女に誘われ、嗚咽の声が上がった。
「汝はいまだ年も若い。長く生き延びて幸せに暮らしてほしい」。
泣き伏す皇女を後にして、大津皇子は大嶋に一人従って出て行く覚悟をした。

「天武12年の大津皇子の朝政参与以来、大津を陥れるための陰謀が鵜野皇后(後の持統女帝)を中心として仕組まれる可能性のあることを示唆してきたが、大津の謀反というものにどれほどの現実性があったかますます疑われる。天武の死によって追い詰められた皇子が謀反を考え、行心そのた側近に語ったかもしれない。しかし行動に移る用意もないうちに不用意な談話が外に漏れ、待ち構えていた皇后側の思う壺にはまった、というのが事実に近いのでは…」(直木孝次郎「古代国家の成立」中央公論「日本の歴史」第2巻386頁)。

「天武は天武10年(681年)に草壁皇子を皇太子に立て『万機を摂(ふさねおさ)め』しめたが、2年後、今度は大津皇子に『朝政を聴か』しめて皇太子に準ずる地位につけている。天武は鵜野皇后の期待にそっていったんは草壁を皇太子としたが、後事を託したかったのは、むしろ大津皇子だったのだろうか。それとも大津皇子に寄せられた衆望を無視できなったのだろうか」(吉田孝「古代国家の歩み」小学館「大系日本の歴史」129頁)。

(悲劇の「大津皇子」)は連載。過去ログは同名の<書庫>にあります。

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