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「中村紘子のベートーヴェンピアノ協奏曲<全曲>演奏会」――。
6月3日(日)午後2時開演。火山夫婦はカブリツキで2曲目の<第2番>変ロ長調(作品19)を聴き終わった。腕立て伏せで体力を養うと宣言した中村紘子。迫力満点。大友直人の指揮と呼吸ピッタリ。客席から盛大な拍手、あちこちからブラボーの声援も飛んだ。第2番は意外、第1番より先に作曲が始まったという。解説の広瀬大介は一橋大大学院の音楽専攻。モーツアルト研究で有名な田辺秀樹門下。ミュンヘン大学に留学した新進気鋭。
「第一番に比べると様々な点で<秀作>的な部分が目立つことも確かであろう。用いられる管楽器はフルート、オーボエ、ファゴット、ホルンのみ。典雅な響すら感じられる。ベートーヴェンは自身の協奏曲は即興的に独奏パートを担当するのが通例であった」――。
「即興演奏は与えられた主題を音形変奏してゆくか、次々に新しく美しい旋律を継いでゆくのが当時の流儀。ところがベートーヴェンは時によってソナタ楽章やロンド楽章仕立て。主題動機の展開を併せ持った構築性を追求。ある時は幻想曲風な自由形式。しかも構成感を併せ持ち、華麗な技巧的なパッセージ。貴族の邸で開かれた競演で、ベートーヴェンはウィーンの名ピアニストを打ち破っていく」(平野昭「ベートーヴェン」新潮文庫・38頁)。
ベートーヴェンが第2番のスケッチを始めたのは1786年。15歳の頃。ベートーヴェンは1787年3月下旬、憧れのウィーンへ旅立つ。ウィーン到着は4月7日(復活祭の前日)。だがボンから母重態の報が届き、4月20日頃、ウィーンを離れ、4月25日にミュンヘン宿泊。2週間の短い滞在だったが、ウィーンで絶頂期のモーツアルト(31歳)と面会したらしい。「彼に注目したまえ、今に世の話題になる」。モーツアルトが言った有名な言葉だ。
ベートーヴェンはモーツアルトから与えられた主題で即興演奏をしたらしい。ただ研究者の多く、これを裏付ける確実な記録がないと指摘する。ただモーツアルトもまたピアニストとしてウィーンでデビュー。即興演奏でたちまちウィーン第一のピアニストになった。
第2番はベートーヴェンが手がけた初めてのピアノ協奏曲。第1番と平行して進められた。初演はハッキリしないが、1975年3月29日、ブルグ劇場でデビューする以前から、しばしば演奏されていたらしいという。
「作曲者自身が独奏パートを即興的に弾いていたため、楽譜の出版に際して独奏パートを確定する必要があった。その作業が1801年の<第1番>出版後までずれ込んだため<第2番>の呼称が与えられた」。想像力豊かな広瀬大介の解説、火山、シビレてしまった。
「第1楽章は協奏ソナタ形式の定形を厳格に守っており、様々な師の教えの影響が感じとらえよう」と解説。そう、火山が聴くとモーツアルトやハイドンの基調にちょっとベートーヴェンという感じ。青年らしい若々しさが聞こえる。「第2楽章では作曲家が終生好んで作曲した変奏曲形式が用いられている。第3楽章・ロンドではカッコウのさえずりを模したような、軽快な旋律が用いられるのも聴きどころ」――。本当にそんな感じだった。
<休憩>が20分。広いホワイエで家内と2人でコーヒーを飲んだ。東京文化会館は名建築家<前川國男>代表作。1961年の竣工。恩師コルビュジエの「国立西洋美術館」に向き合って建設された本格的なオペラ劇場。小ホール、音楽資料室、会議室、リハーサル室などを備えている。天井が高く、構成の広いロビーが特だ。上野公園の眺望も素晴らしい。
ピアノ協奏曲<全5曲>を1日で聴く。休憩で気分転換を図るにも絶好。5時間15分の長丁場だが、迷わずチケットを買った。日本建築学会賞を受賞している。
<第3番>ハ短調(作品37)が始まった。ビックリ。知らない曲と思っていたが、意外、いきなり知っている旋律が鳴った。いつ聞いたか記憶はない。だが馴れ親しんだものだ。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲」といえば<第5番>変ホ長調(作品73・皇帝)は有名。火山もよく知っている。少し先走ろう。次の<第4番>ト長調(作品58)も意外や意外、聞き知っている名曲だった。実に不思議。いつ、どこで聞いているのだろう。
若い頃から美女で鳴らした中村紘子――。3曲目に入ってますます冴えてきた。女性とは思えない轟音。最弱音のピアニッシモから最強音のフォルティッシモまで、幅広く見事なダイナミック・レンジ。圧倒的な迫力。若き日のベートーヴェンもこうやって演奏していたのかと思うと、何とも感動的。中村紘子<入魂>の熱演が続く。
「前2曲同様、この第3番も作曲から出版に至るまでには長い年月を要した。最初のスケッチが書かれたのが1797年と言われており、最終的に出版にこぎ着けた1804年まで7年の歳月が費やされた。1803年4月にウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で行われた初演でも、完全にできあがっていたのはオーケストラ・パートだけで、ベートーヴェン自身が担当したピアノの譜面台には、自身にしかわからない記号が書かれた紙が置いてあっただけだった」と広瀬大介の解説。面白い。
「ベートーヴェンが得意とした<ハ短調>。交響曲第5番<運命>。ピアノ・ソナタ第8番<悲愴>など、古典派の枠をはみ出す暗い情念が渦巻く曲想…」と解説も冴える。この曲の初演に先立つ前年に有名な<ハイリゲンシュタットの遺書>が書かれている。火山、1995年夏、ウィーン郊外の<ベートーヴェンの散歩道>と<遺書の家>へ行ってきた。難聴が進行、生きることに絶望したベートーヴェンの苦悩が<ハ短調>に結晶した。
(平成19年6月9日)
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