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「ピアノはいつピアノになったか」(伊藤信宏編・大阪大学出版会)が何とも楽しい。ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、ショパン、リストについて新しい発見があった。音楽が楽しくなった。「歴史的ピアノの音」というCDが付録。「ピアノの原型」というバルトロメオ・クリストーフォリ(1655〜1731)のピアノフォルテを復元した古楽器でL.M.ジュスティーニ「チェンバロ・ソナタ」が聴ける。
クリストーフォリはイタリア、フィレンツェのメディチ家に仕えた楽器職人。美術、音楽の大パトロンだったメディチ家の膨大な楽器コレクション修復と新しい楽器の製作に当たっていた。クリストーフォリがピアノを発明したのは1700年頃。あのJ.S.バッハ(1685〜1750年)が歴史的ピアノの発展と歩みをともにしている。
クリストーフォリはバッハより30歳年長。クリストーフォリをモデルにドイツでピアノを製作したゴットフリート・ジルバーマン(1683〜1753)はバッハと同世代。バッハがジルバーマンのピアノを弾いた有名なエピソードがある。
バッハは晩年、ポツダム(ベルリン近郊)のフリードリヒ大王(1712〜1786)を訪問した。フリードリヒ大王は新興国プロイセンを強国にした名君。音楽好きで、宮殿内の音楽室で毎日のように演奏会を開き、自ら得意のフルートを演奏して楽しんでいた。
バッハの訪問は1747年5月7日。バッハ62歳、フリードリヒ大王は35歳。華麗なサン・スーシ宮殿が落成して一週間後だった。バッハが実際に演奏したのは1945年に焼失してしまった市宮殿。弾いたピアノがジルバーマン製だった。今でもサン・スーシ宮殿の音楽室にジルバーマンのピアノは保存されている。
「ある晩、国王がちょうどフルートの準備を整え、彼の楽人たちも既に集まっていた時、役人の一人が到着した客人のリストを持ってきた。フルートを手にしながら書類に目を通した国王は、集まっていた楽員の方に急に向き直って、興奮した調子で言った。『諸君、老バッハがやって来た!』。今やフルートは片づけられ、息子(エマヌエル)の家に投宿していた老バッハが直ちに王宮に召し出された」(伊東・24頁)。
国王は宮殿のあちこちの部屋に置いたジルバーマンを老バッハに試奏させた。国王はジルバーマンが大変気に入り、彼のピアノフォルテを全部買い上げようと15台も集めていた。バッハは部屋から部屋へ移動しながら、次々と即興演奏しなければならなかった。
火山、昨年の夏、ポツダムにもサン・スーシにも行っている。懐かしい。クリストーフォリのフィレンツェにも行ったことがある。ぐっと身近な感じ。まさに親近感を覚える。
「ドイツ語でクラヴィーアと言えば、現在ではピアノのことだが、バロック時代までは鍵盤楽器の総称。音楽家は<音楽の場>やその時の目的によって様々なクラヴィーア、オルガン、チェンバロ、クラヴィコードを使い分けていた。バッハは教会ではオルガンで壮大なコラール変奏曲を弾き、サロンではチェンバロで華麗な組曲を弾き、家庭では弟子を教育するためにクラヴィコードで『インヴェンション』などを弾いていた」(伊東・7頁)。
チェンバロとクラヴィコードは発音の原理が異なる。チェンバロはたくさんの弦を張って、弦をはじいて音を出す。クラヴィコードは一つの弦を分割すれば異なった音程が出せるという原理。チェンバロは鍵盤を強く押してもほとんど強弱がつかないが、クラヴィコードは鍵の押し方で一音一音に強弱をつけ、ピアノでは不可能なヴィブラート(弦楽器のように音を揺らす)をかけることもできる。音は小さいが、持ち運びが簡単なため、公開の場でなく、家庭内の集いや練習用、作曲用に盛んに使われた。
「18世紀までのヨーロッパで最も広く用いられ、どこにでもあった鍵盤楽器はクラヴィコードだった。バッハもヘンデルも子供時代、夜中に屋根裏部屋にクラヴィコードを持ち込んで音楽を学んだ。モーツアルトもこの楽器を馬車に積んでヨーロッパ中を旅した」(11頁)。
バッハは自分の細やかな楽想を表現するのに一番適切と考え、最良の楽器として愛用した。
オルガンは鍵盤楽器とはいえ発音部分は管楽器。チェンバロとクラヴィコードは<有弦>鍵盤楽器。チェンバロは指先で強弱をつけることができない。クラヴィコードは強弱はつくが音が小さい。「強弱のつくチェンバロ」「音の大きなクラヴィコード」が作れないか。クリストーフォリは<第4>の鍵盤楽器として、ピアノ(弱音)とフォルテ(強音)を自在に表現できるピアノフォルテに挑戦した。
バッハの生きたバロック時代。「代表的な<音楽の場>は教会、劇場、サロン。それらは音楽だけを聴きに行くところではない。教会はミサなど宗教儀式に参加するため、劇場はオペラやバレエを見るため、サロンは社交や宴会などを楽しむため。鍵盤楽器との関係では教会とオルガン、サロンとチェンバロという組合せが大事だった」(16頁)。
サロンのチェンバロは見事に装飾された家具、調度品だった。演奏される音楽も機知に富んだ名の小品や宮廷で踊る舞曲。ピアノフォルテは客間に登場した「最新式の、ちょっと風変わりなチェンバロ」。貴族たちはワインを片手に楽器を囲み、近くで音楽を楽しんだ。
オルガンは古くから<楽器の女王>と呼ばれた。石造りの教会の巨大な空間を満たす豊かな音量と多彩な音色―――。しかし、19世紀後半から<音楽の場>は教会や宮廷サロンから市民のホールへ移る。ブルジョワ革命と産業革命がピアノフォルテを大きく変える。
(平成19年8月15日)
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