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「ベートーヴェンという作曲家や作品についてのイメージが、このところ急に変わってきている。ベートーヴェンの音楽といえば、まずは<重厚長大>な音楽の代表みたいなものというのが一昔前までのイメージだった。音楽の教科書やノートの表紙などによく出てきた、あの<男の中の男>みたいな肖像画のイメージなどとも相まって、反射的にフォルティッシモの和音がガンガン鳴りまくるようなイメージを思い浮かべる人も少なくなかったことだろう」(伊東信宏「ピアノはいつピアノになったのか」大阪大学出版会・78頁)。
だがそういうイメージは後世になって作られた<神話>に他ならないことが最近、明らかになってきた。しかもその大きな要因の一つが<古楽器>を用いた演奏がかなり普及してきたことにあるという。面白い。
前回、フォルテピアノは「最新式の、ちょっと変わったチェンバロ」として貴族のサロン、社交の場に登場した。チェンバロと違って、キーへのタッチで一音一音の強弱は表現できるようになったが、音量自体は必ずしもチェンバロを越える意図はなかったと書いた。
ドイツ語のクラヴィーアは鍵盤楽器の総称。チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノは平行して広く音楽の場で使われていた。バッハやハイドン、モーツアルトはクラヴィコードが大好きだった。強弱もヴィブラートも付き、音楽の微妙な陰影を表現できた。
「ベートーヴェン(1770〜1827)は自分の使うピアノをその生涯の間に何度か取り替えている」(伊東・86頁)。アウグスブルクのシュタイン社(1773年製)に始まり、パリのエラール(1803製)、ウィーンのシュトライヒャー(1819製)からウィーンのグラーフ(1825製)まで15種類。ベートーヴェンがピアノという楽器の製作技術に関る変化に立ち会っていたことがわかる。「この時代のピアノのメカニズムには、ウィーンで支配的だった跳ね返り式のものとロンドンやパリで使われていた突き上げ式のものとがあった」(86頁)。
跳ね返り式は「タッチが軽く、速いパッセージに素早く対応」できた。突き上げ式は「ダイナミックレンジが広く、特に低音などは豊かで力強い響を出す」ことができた。
やがて「跳ね返り式」が衰退、突き上げ式に改良が加えられて、ピアノは<重厚長大>への道を歩む。ベートーヴェンが1803年、パリのエラールのピアノを贈られ、それまで使ってきた「跳ね返り式」から「突き上げ式」へ乗り換えたという事態も、そういう状況の反映だった。エラールは後に、派手好みのリストが愛用する。
1792年11月10日、22歳のベートーヴェンはウィーンに到着した。ベートーヴェンはウィーンでアントン・ヴァルター(1752〜1826)のピアノと出会う。ベートーヴェン1784年、14歳の頃からウィーン式アクションの創案者だったヨハン・アンドレアス・シュタイン(1728〜1792)のピアノに親しんでいたが、それより堅牢で音量も大きいヴァルターのピアノを好むようになる。とりわけ公開演奏では直情径行的な性格の強いベートーヴェンは<強打に耐える>ピアノがどうしても必要だったという。
「ただし、彼の演奏は軽いタッチによるニュアンスの豊かな演奏を基本としており、ウィーンのピアノの特性を生かした弱音量重視の作曲手法を1802年頃までは堅持していた。しかし、ベートーヴェンは当時のウィーンのピアノに完全に満足していたわけでは決してなく、むしろ豊かなフォルテが出せないというウィーンのピアノの最大の欠点に、慢性的な欲求不満を抱いていたに違いない」(106頁)。
ベートーヴェンが最初に親しんだピアノはシュタイン製。モーツアルトの父レオポルトの故郷アウグスブルクにピアノ工房があった。1777年11月12日、21歳のモーツアルトは母アンナ・マリアと彼を訪問、シュタイン製のフォルテピアノを試奏させてもらった。
「その素晴らしさに魅了されたモーツアルトはレオポルト宛の手紙でシュタイン製フォルテピアノの長所を細かく分析している」(西川尚生「モーツアルト」音楽之友社・94頁)。
シュタインへの好みの違いはモーツアルトとベートーヴェンの音楽性の違いを表している。
「ピアノにせよオーケストラの諸楽器にせよ、現在のものに近い形態になったのは19世紀半ば以降。ベートーヴェンの頃の楽器はかなり違っていた。そこで起こった変化は、簡単にいえば、多数の聴衆を相手に大きな演奏会場で演奏することにたえられる楽器へ変身してゆく<重厚長大>化の流れ。ベートーヴェンの<重厚長大>イメージも、こういう楽器を使って演奏されてきたがゆえに生み出された面がかなりある。ベートーヴェンの時代の<古楽器>から聴こえてくる彼の音楽は、それとだいぶ様子が違っていた」(伊東・78頁)。
「ベートーヴェンとナネッテ・シュトライヒャー(1769〜1833)の関係はピアノの歴史における作曲家と楽器作者の協力の中でも最も独特かつ濃密なものであった。その交友はベートーヴェンがまだ16歳の少年で会った1787年から56歳で死ぬ1827年までの実に40年間に及んだ」(105頁)。ここに登場するナネッテの父親は、なんとあのヨハン・アンドレアス・シュタインだ。モーツアルトとベートーヴェンを結ぶ線は、意外と太い。
1803年、パリのエラールから前述のピアノを寄贈され、ベートーヴェンは音量の大きさに狂喜した。しかし、彼はほどなくエラールのピアノにはウィーンのピアノの持っている微妙なニュアンスの表現力が欠けていることに気づく。音量の不足なら我慢できるが、繊細さの不足は何者にも代え難い。ベートーヴェンは偉大な父に劣らぬ楽器作者のナネッテに「音量はそのままで、微妙な表現力を持たせてほしい」とエラールの改良を依頼する。
(平成19年8月18日)
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