|
「音楽は時代とともに変わる。音楽家の経済生活を、誰が、どの階層が支えるかで大いに変わる。たとえば教会に支えられたバッハは宗教音楽的であり、宮廷に支えられたモーツアルトの音楽が一面は宮廷的、ベートーヴェンが一面は貴族的である」(倉田・158頁)。
1792年11月、ウィーンへ音楽留学にきた22歳のベートーヴェン。リヒノフスキー侯爵の家に下宿、名門ヴァルトシュタイン伯爵の援助を得て、上流社会の人々と交流を深める。ベートーヴェンが瞬く間に貴族たちの寵児となった理由はピアニストとしての実力だった。
ベートーヴェンには二つの強力な武器があった。
「一つはボン時代にオルガン奏者として身に付けた即興演奏術。もう一つはネーフェ(ボン時代の恩師)から学んで完成させていたクラヴィコード奏法に由来するレガート奏法とカンタービレ奏法だった。この頃のウィーンではモーツアルトの演奏に代表される音の均質さ、響きの清澄さ、軽快な速度といった伝統的なチェンバロ奏法から来る真珠をころがすようなスタッカート気味のエレガント奏法が流行していた。ベートーヴェンの生み出す響きは新鮮だった」(平野昭「ベートーヴェン」新潮文庫・38頁)。
この記事は実に興味深い。「ピアノの歴史」から見ると、キータッチで<強弱>を表現できないチェンバロに適合したモーツアルトの奏法、そのチェンバロに飽き足らず、新しい楽器(フォルテピアノ)と新しい音楽表現を模索、チェンバロの限界を超えようとするベートーヴェンの意欲を感じるのだ。だが―――。
「ベートーヴェンの活動していた時代のピアノ音楽の世界は、その後の時代のピアノのあり方とは非常に違った<古い>体質を残していた。ベートーヴェンもまた、そういう体質を身につけていたのであり、彼の音楽をわれわれの時代の側から見てしまうと多くのことが見落とされてしまう。他方でベートーヴェンは、そういう中で楽器の表現の可能性を徹底的に引き出そうとしたし、この時代に次々と生み出される新性能のピアノに貪欲に飛びついたりもしたのだ」(伊東信宏「ピアノはいつピアノになったのか」大阪大・79頁)。
「1803年、パリのエラールからピアノを寄贈された時、ベートーヴェンを喜ばせたのが音量の大きさであったことは想像に難くない。しかし、エラールのピアノには、ウィーンのピアノの持っている微妙なニュアンスの表現力が欠けていることに気づく」(伊東・108頁)。
モーツアルト(1756〜1791)とベートーヴェン(1770〜1827)は会ったことがあるのか。音楽史上最高のロマンだ。ベートーヴェンの父親はヨーロッパ中に<神童>の名を轟かせたモーツアルトの存在を十分知っていた。それどころかベートーヴェンを<第二のモーツアルト>に仕立てようと息子の年齢を幼く見せようとウソまでついている。1778年3月26日、ケルンで行われた公開演奏会。父ヨーハンは息子を<6歳>と売り出したが、もちろん実際は7歳3ヶ月だった。
1787年3月下旬、16歳のベートーヴェンはウィーンへ初めての旅に出る。「彼に注目したまえ。今に世の話題になるだろうから」。モーツアルトが語ったとされる有名なエピソードが生まれたのが、このウィーン旅行だった。ベートーヴェンはモーツアルトの豪邸を訪ね、モーツアルトから与えられた主題で即興演奏をした。「残念ながら、この言葉の真偽は明らかではない」(平野昭「ベートーヴェン」新潮文庫・23頁)。
「確実なのはベートーヴェンが後年に弟子のチェルニーに語っているように、モーツアルトの演奏を聴いていたということである。『モーツアルトの演奏は見事であったが、ポツポツと音を刻むようで、レガートではなかった』と批判的に述べている」(平野・23頁)。
これは<楽風>の違い。<楽器>の違いもある。モーツアルトは強弱がないチェンバロの世界。ベートーヴェンは既に<ピアノフォルテ>の時代に生きていた。面白いのはモーツアルトもベートーヴェンも共にピアニストとして楽壇にデビュー。大成功を収めたこと。
「即興演奏は与えられた主題を音形変奏してゆくか、次々と新しく美しい旋律を継いでゆくのが当時の流儀であった。ところがベートーヴェンの即興は時によってはソナタ楽章やロンド楽章仕立てで、主題動機の展開をもった構築性が追求され、またある時には幻想曲風で、構成感を併せ持ち、華麗な技巧的パッセージを織り込んだものであった。変奏は圧倒的な力と情熱と感情表現をもって行われる」(平野・38頁)。
モーツアルトも即興演奏の名手だった。愛妻コンスタンツェはモーツアルトのロンドが大好きだった。モーツアルトがベートーヴェンと出会っていたら、主題を与え、即興演奏を求める。大いにありえる。モーツアルトに憧れて育ったベートーヴェン。生涯、尊敬の念を捨てなかった。そのベートーヴェンが初めてのウィーン訪問。モーツアルトを訪ね、会わないはずがない。火山は、そう考えている。「日本最初の指揮者」といわれる近衛秀麿も同じ意見だ(「ベートーヴェンの人間像」音楽之友社・163頁)。
「貴族の邸でしばしば開かれる即興演奏で、彼(ベートーヴェン)はウィーンの名ピアニストをことごとく打ち破ってゆく。こうして彼は音楽を愛好する有力な貴族のロプコヴィッツ侯、シュヴァルツェンベルク侯、ヴァン・スヴィーテン男爵に可愛がられるようになり、上流社会での交流の環は急速に広がった」(平野・38頁)。
(平成19年8月23日)。
|