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天武天皇の殯宮(もがりのみや)の行事からまだ幾日のたっていないのに、大津皇子には幾年もの年月の苦労を背負ったかのような心重い時だった。誰の拒否よりも<莫逆の友>と信じ、心許しあった川島皇子の拒否が今の大津には痛手だった。
あの日、新羅からの帰化僧、行心に逢うことがなかったら、このような思いに苦しむこともなかった。持統女帝と草壁皇太子との間に、たとえ<冷戦>状態があったとしても、そのまま月日を過ごす道はあった。
だがあの<兵を挙げよ>との言葉。運命というよりは過酷、呪いにかかったようなものだ。変わらずにいるのがよいのか、それとも変わるべきか。繰り返し、繰り返し考え、また元の位置に戻る。「迷いとは、まさに今の我が身のことを言うのであろうか」―――。
5歳で母宮・大田皇女を失い、今また父帝を亡くした。大津の肉親は姉宮・大伯皇女だけとなった。大津は遠く伊勢の斎宮となっている大伯皇女の意見を聞こうと決心した。
「神に奉仕して、斎宮となっておられる姉宮なら、心も思慮も迷いなくいられるであろう。姉宮の言葉をお聞きしよう」―――。
人目を避けるように明日香の矢釣の宮を出発したのは9月28日の<暁>。この出発は正確には朱鳥(あかみどり)元年(686年)の9月28日だった。飛鳥から大和一円、続いて伊勢みちには馬酔木(あしび)のもみじが燃えるように色だっていたという。
その時だ。「われ一人」と思っていた山道に、ふとひづめの音のようなものを大津は聞いた。これも心の迷いか。気にかけずに進もう。―――だがひづめの音は次第に近付いてきた。
「何者か。わが行動を知っての者の追跡か!」。
「皇子さま、皇子さま……」。―――「山辺皇女だ!」。大津は驚愕した。やや甲高い声。朱華(はねず)色の長袖の上衣が旗のようにひらひらと風になびいて見えた。
密かに出てきたはず。だが若い山辺皇女。女のさとい勘でそれと察したのだろう。山辺皇女は天智と蘇我赤兄の娘(常陸郎)との間に生まれた。大津を愛した天智が嫁がせたのだ。
大津はこの若い后がひたすら、暁の中、自分を追って来たのをいとおしく思った。
暁にそっと宮を抜け出す大津皇子の行動に、后として不思議な胸騒ぎを覚えたのであろう。
山辺皇女はこの時、20歳。天智の娘だったが、祖父の蘇我赤兄は有間皇子を謀って陥れた一人。もの心つく頃からそれを痛みとして育ってきた。「わが皇子さまにあの悲劇を繰り返させてはならぬ」と固く心に秘めていた。
「山辺皇女か!」―――。大津は馬をとめて皇女が近付くのを待った。暁の空とはいえ、既に星の光は薄れてきていた。山田道も過ぎ、川島皇子の盤余の宮も過ぎ、初瀬を越え、吉隠(よなばり)坂にかかっていた。
「大津さま。共にお連れくださいませ」。山辺皇女は、それだけいうと、はらはらと涙を落とした。大津はそれを知らぬげに言った。
「山辺! せっかくだが、ここから汝(なれ)は帰るがよい。いずこまで来ても同じことだ。用がすめばすぐ帰る」―――。
涙にくれた山辺皇女の美しい顔がひどく可憐にみえた。大津は心を鬼にした。
「天武の死の前後の大津の行動として分かっているのは、姉の大伯皇女に会いに『窃(ひそ)かに伊勢神宮にくだった』ことだけである」(直木孝次郎「奈良の都」中央公論「日本の歴史」第2巻・383頁)とある。
「『窃かに』というのは不思議なようだが、天皇の危篤や死の大事な時に、政府の高官・有力者はとくに行動を慎まねばならない。皇太子に次ぐ身分の人が、都を出て、しかも反乱の策源地となることが多い東国に行くことは、理由のいかんを問わず普通には許されない。それをあえて犯したのであるから、この時大津皇子はなんらかの重大な決意を心に秘めていたとみd¥なさなければならない」(同・383頁)。
「天武天皇の心配は、おそらく彼が予想したよりはやく事実となってあらわれた。天皇の死後わずか1ヶ月もたたない10月2日、『書紀』によれば、にわかに大津皇子の謀反が発覚し、皇子と八口朝臣音橿・壱伎連博徳(略)…(舎人)道作ら30余人が捕らえられた。
そして翌3日訳語田で死刑に処せられた。初冬の風が冷たく膚(はだえ)をさす夕暮れ時のことであった」(同・384頁)―――。天武の死は9月9日。大津が伊勢に下ったのは9月28日。あっという間の出来事。天武の死後23日。
大津皇子。享年24。思えばはかない命だった。后の山辺皇女が髪を振り乱し、はだしのまま後を追うて殉死したことが、世人の涙を誘ったという。
+++++続く+++++
<悲劇の「大津皇子」>は連載。同名の「書庫」に過去ログがあります。
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はじめまして!大津皇子のところは、遡って全部読ませて頂きました。凄く興味深い人柄で、しかも悲劇的な最期。。もっと詳しく知りたくなりました。本でも買ってみようと思います。
歴史は結構好きで、このブログかなり興味深く、ファン登録させてもらいました。これからも、色々楽しませていただきます
2008/2/21(木) 午前 10:37
<35歳がけっぷち☆>さん、ようこそ。大津皇子を読んでいただき、コメントまで。嬉しいです。前向きに生活をエンジョイする。素晴らしい。
織田信長の時代。人生は50年でした。今は人生80年の時代。今の35歳は一昔前なら22歳。崖っぷちなんて、オシャレな表現ですね。
2008/2/21(木) 午後 1:18 [ kom*_19*7 ]