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「米海軍では1926年ごろから空母の艦長、航空隊の司令は全員パイロット出身でなければならないと、決められています」。「航空機中心の時代を迎えようとしている時期に、指揮官に実際にパイロットとしての経験、見識を要求したのは、まさに卓見です」。「もし山本五十六や南雲にパイロットの経験があったら、真珠湾攻撃にしても、ミッドウエー海戦にしても相当、結果は異なっていたかもしれません」。「確かに水雷屋の南雲に、いきなり空母部隊を率いて航空決戦をやれ、というミスマッチは起らなかったでしょう」――。
「帝国海軍VS米国海軍―日本はなぜ米国に勝てなかったのか」(「文藝春秋」07年11月号)の一節。最後の発言は「昭和史」の半藤一利。発言者は昭和史・軍事史の専門家ばかり。
この座談会は「日米海軍の基本戦略、組織、リーダーシップ、技術などを具体的に論じて、今にも通じる問題を考えていきたい」という企画。「昭和の陸軍」(6月号)、「昭和の海軍」(8月号)と「文藝春秋」が連載してきた最後のまとめ。
「淵田美津雄自叙伝」の山本五十六<凡将>論(「サピオ」1月23日号)など佐官クラスで真珠湾攻撃を体験した攻撃隊隊長の<我田引水>的な視野とは大違い。座談会では日米戦争を専門家らしく分析、山本五十六の歴史的評価も行っている。
結論はアメリカ海軍を指揮した最高責任者アーネスト・キング合衆国艦隊司令長官兼作戦部長は、日本海軍の永野修身軍令部総長と山本五十六連合艦隊司令長官を足した二人より遥かに優秀。「人事もリーダーシップも作戦立案能力も卓越」していた。
座談会を通読、火山は彼らの意見から学ぶことが多かった。「キングと永野を比べたら80点対30点くらいでしょうか。本来、軍令部総長は海軍の全作戦を統括する重職ですが、永野はそれに相応しい働きなどひとつもしていません」―――。発言は秦郁彦。肩書きは日大講師。だが2月27日(水)「その時歴史が動いた」の「軍服を脱いだジャーナリスト〜水野広徳が残したメッセージ〜」にも出演。「昭和史の謎を追う」「統帥権と帝国陸海軍の研究」などの著書がある。
「永野が30点とは驚きました。高過ぎますよ、10点が精々でしょう」と半藤一利。「太平洋戦争を通じて、米海軍は26人の指揮官をいろいろな事情で更迭しています。日本は本当にクビにしたのはゼロに近い。勝った方が多くの指揮官を替えている」と半藤一利。
「アメリカは平時と戦時ではシステムをガラッと変えてくるんです。ところが日本は平時と同じ人事ローテーションでやっているから、大敗して逃げ出しているところへ辞令の電報が来て、『栄転です』というバカなことがまかり通ってしまう」―――。前記の秦郁彦。
「日本海軍がなぜ懲罰人事をやれないか考えていくと、天皇を頂点とした国家体制の問題に行き着く。統帥権は天皇にあり、最高司令官は絶対無謬の天皇陛下です。とくに軍令部総長や連合艦隊司令長官といった親補職は天皇が直接辞令を出す。彼らの責任を追及すると、天皇まで責任がいってしまうため、結局、誰も責任を取れない。責任が宙に浮く構造になっている」とは戸高一成(海軍史研究家)。
「山本大将は旗艦大和に座乗、直率の戦艦部隊を主力部隊と呼び、全兵力の後方三百マイルにあって全作戦を支援すると誇称した」と渕田美津雄は「自叙伝」で批判した。だがここにも大きな<誤り>がある。これは日本海軍の伝統。山本五十六の意志ではない。
座談会でも「山本自身『ニミッツ(太平洋艦隊司令長官)はハワイにいるのに、なぜ俺はトラックにいなければならないのか』とこぼしていますね」と戸高一成。「だから総力戦時代になって戦争の形態が変わり、『連合艦隊司令長官は常に旗艦にいるべし』という慣例が無意味になったのだから、さっさと場所変えすれば良かったんですよ」と秦郁彦。
「それが海軍の伝統だった」と半藤一利。日本海軍は無責任にも<官僚化>していた。
「作戦遂行に支障が出ているのに、儀礼的な意味しかない不文律をなぜ変えなかったのか。そこが不思議でならない」と秦郁彦。いい得て妙、的確な指摘だ。
これは火山のいう<組織文化>の問題。組織の構成員が<無意識>のうちに従っている<習慣>や<思考方法>!<個人>で変えるのは至難なのだ。「出る杭を打つ」「和をもって尊しとなす」という日本特有の<文化の壁>。「根が深い」のです。
「何が(ミッドウエーの)決定的は敗因につながったのか。転機となったポイントを一点だけあげるならば、索敵の成否が勝敗を分けた。まず重巡『筑摩』から黒田飛行長の索敵機が飛ぶのですが、実はその下にアメリカの機動部隊がいた。しかし、雲があったものだから、雲の下を飛ばずに上を飛んで――これは索敵の原則に違反する――敵を見落とした。『筑摩』の索敵機が雲の下を飛んでいたら、あの戦いは勝てました。戦後、黒田さんは航空自衛隊へ入ったのですが、『太平洋戦争は僕のせいで負けた』と自認していた」。
この重大発言は「その時歴史が動いた」にテレビ出演した秦郁彦。「まことに具体的、かつ明快な説ですが、背景には南雲司令部が<集団催眠>にかかっていたことが挙げられる。つまり、敵機動部隊は出てこないと初めから決めこんでいたのです」(半藤一利)。
「心、そこにあらざれば見れども見えず」――。ミッドウエー敗戦の原因を山本五十六だけに帰すのはムリ。南雲こそ問題があった。彼を起用した人事、組織がダメだったのだ。
淵田美津雄の「山本五十六<凡将>論」など論外。歴史の批判に耐えられる所説ではない。
(平成20年3月4日)
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火山さん、読めば読む程限がありません。
敵を見落とした『筑摩』の索敵機が雲の下を飛んでいたらって、
歴史での[IF]は意味なしと学びました。
それで勝つことが出来たのはレーダーをいち早く作った
米国でしょう。
2008/4/1(火) 午前 8:44
雲の下を飛ぶことを許した規律、文化。実は最近問題の年金=社保庁と一緒。官僚の怠慢、無責任を許している国民に問題がある。
火山、自治会の会長になりました。覚悟しました。いい加減は絶対に許さない。いずれ具体的に書きます。
2008/4/1(火) 午後 9:18 [ kom*_19*7 ]
火山さん、会長さんの就任をお祝い申し上げます。
忙しいでしょうがご活躍、ガンバッテ下さい!
2008/4/2(水) 午前 8:32
会長になったのは単なる当番。立候補したわけでも抱負があったわけでもありません。ただの巡り合わせとはいえ、やる以上、キチンと務めます。
昨日も名所・隅田川の桜を花見しながら元重役の友人と激論を戦わしました。彼氏「波風を立てない。当たり障りなく」という意見。でも激論の中から多くのヒントを得ました。
大切な同志なのですが、彼には彼の生き方が、火山には火山の<火山流>がある。重役にまでなった彼の人生哲学は貴重でしょう。でも左遷や裏街道を体験してきた火山にも哲学はあるのです。
2008/4/2(水) 午前 9:38 [ kom*_19*7 ]