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戦史に燦然と輝く<真珠湾攻撃>(1941年12月8日)。海軍中佐で総指揮官として最初に爆撃、『トラトラトラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)』を打電した淵田美津雄の「自叙伝」が出た。
その淵田が「山本五十六は<凡将>」と批判(「サピオ」1月23日号)。「火山さんが敬愛する山本五十六に別の面が…」とは句友の風鈴さんの手紙とコピー。火山、飛び上がった。
「太平洋戦争の勝敗を決したミッドウエー海戦の戦略・戦術・指揮に問題があった」が<凡将>の理由。負けたのは事実。だからもっともらしく聞える。だが問題は「なぜ負けたのか」だ。敗因を正確に分析しないと、山本五十六を<凡将>とは断定できない。
「日本はなぜ勝ち目のない日米開戦に暴走したのか」――。火山が学生時代からずっと追及してきたテーマ。その原点は<明治維新>の研究にある。
明治維新は「天皇制絶対主義」への改革か。それとも「ブルジョワ民主主義」革命だったのか。「民主主義」は維新でどの程度<芽生え、育った>のか。自由民権とは何だったのか。
司馬遼太郎が「坂の上の雲」に描いた<明治の理想>は日清・日露の勝利をもたらした。だが明治維新の「文明開化」「殖産興業」「富国強兵」の目標が、なぜあの悲惨な敗戦を招き、日本を焦土にさせ、多くの人命と資産が失われたのか。
山本五十六について、いろいろな伝記、史書を読んだ。敬愛しているのは事実。だが真珠湾やミッドウエーを戦った連合艦隊司令長官の山本ではない。日独伊三国同盟や日米開戦に命を賭して反対、大艦巨砲主義は時代遅れと論じた<軍政>の見識、時流に逆らっても孤軍奮闘、勇気への賛辞なのです。
ミッドウエーの敗因。連載で指摘した。「水雷屋の南雲に機動部隊を預けた軍の人事ミス」(第1回)。「南雲が犯した致命的な判断ミス。<5分の差>」(第2回)。「『太平洋戦争は僕のせいで負けた』と自認した黒田飛行長の索敵ミス」(第3回)―――。
「帝国海軍VS米国海軍―日本はなぜ米国に勝てなかったのか」(「文藝春秋」07年11月号)の座談会で半藤一利、秦郁彦など「昭和史」「軍事史」専門家が敗因を分析している。
「日本海軍の基本戦略、組織、リーダーシップ、技術など、スタート時点から<天地雲泥>の差があった」。「日米戦争は<総力戦>。日米の国力、組織のあり方、国民性が問われた」というのが結論。戦う前から勝敗は決していたのだ。
山本五十六は大正8年(1919)4月、35歳でアメリカ駐在を命じられる。華やかなキャリアのスタート。2年余の留学中、山本は米国の石油事情と航空機について徹底的に調査・研究する。その経験、知見があったから国力差がありすぎる日米開戦に反対した。大艦巨砲主義の時代遅れも指摘した。火山の敬愛する<軍政家>としての山本五十六だ。
昭和15年12月10日、嶋田繁太郎(大将)に出した手紙に苛立ちが出ている。「日独伊同盟前後の事情その後の物動計画などを見るに現政府のやり方すべて前後不順なり。今更米国の経済圧迫に驚き憤慨困難するなど小学生が刹那主義にてうかうか行動するにも似たり」(工藤美代子「海燃ゆ」講談社 307頁)―――。見事な<軍政>批判だ。
「海燃ゆ」は2004年9月1日、御徒町で購入した山本五十六の評伝。僅か2日前、日経が「書評」で絶賛した。工藤美代子には著書に「悲劇の外交官 ハーバード・ノーマン」(岩波書店)がある。ノーマンは明治維新を研究した日本通。彼の著書、火山は学生時代に読んだ。ノーマンに着目した書いた工藤美代子、素晴らしい。
「日米開戦の直前まで首相を務めた近衛文麿(1891〜1945)を米国の調査団が尋問した時の記録が英国で見つかった。『(太平洋戦争は)最初から負けると思っていた』などと証言。無計画な軍に引きずられた自身の力のなさを吐露している」(「日経」06年7月18日夕刊)。
「記録はこれまで公開されていなかった。今年3月、ノンフィクション作家の工藤美代子氏が、近衛を題材に本を執筆するため訪れた(英国)ナショナル・アーカイブズで発見された」と日経。凄い。工藤美代子は実証的な作家なのだ。
近衛に尋問したのは日本に派遣された米戦略爆撃調査団。1945年11月、米国駆逐艦アンコン号の艦上で尋問は行われた。
「37年から3度、首相を務めながら、なぜ戦争を避けることができなかったのかという質問に対しては『方針の多くが軍に左右され、一定の妥協をする必要がしばしばあった』とした。さらに軍の方針は知らされていなかったが、『軍が総合的な計画を持っていたとは思えない』と発言している」(「日経」)。
「近衛が『戦争を何としても回避しようと心に決めた』のは山本五十六連合艦隊司令長官の言葉を聞いたからだった。山本は『連合艦隊は1年半ほどは戦えるだろうが、それ以降は戦えるとは思わない』と話したという。それを最も印象深く感じ、『戦争が始まれば、日本に望みは全くない』と思った」―――。
何と生なましい証言だろう。これが山本五十六の真髄。山本は連合艦隊司令長官を固辞する。米内光政海軍大臣を補佐する海軍次官に留任したかった。だが時代が許さなかった。簡単にいえば<正論>が邪魔だったのだ。
(平成20年3月5日)
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火山さん、正論が通らない結果はいつも負け組みになると言う
ことでしょう。
化粧されたもの、包装されたものは多くの凡人には中味の判断が
難しいばかりに大きな顔して罷り通るこの世の中です。
装いない地味な正論が受け入れられる世の中はいつ頃になるやら。
2008/4/2(水) 午前 8:46
有難うございます。
火山はいつも<正論>!真っ直ぐに、いや<愚直>に生きてきました。<理>は<理>として通す。妥協はしませんでした。
だから会社人生、苦労しました。でも<負け組>だったとは思っていません。他人を蹴落としてまで出世を望んだことはありませんが、最後は<理事・教育部長>。ある意味<重役>一歩手前まで登りました。正論を通す男は<教育>を任せるのが一番。社長、苦心の人事だったのでしょう。お蔭様で火山は<天職>を得た心境。頑張りました。
「良い仕事がしたいだけ。出世を望んだことは一度もない」!これが火山の口癖でした。
2008/4/2(水) 午前 9:45 [ kom*_19*7 ]