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人事部に戻り、管理職になった後、再び転出しました。新社長が「人事異動で優秀な若手管理職に広い視野を持たせたい。今後は複数部門を経験した者だけを部長に抜擢する」と宣言したのがキッカケ。しかし全社が注目した異色人事の第一号はたった2名。社長方針に面従腹背があったためでしょう。38歳でした。
無線事業部に新設された営業企画課(マーケティング担当)へ異動。戦後、警察無線(最高技術の無線)や消防・防災無線を手がけた名門事業部、誇り高いエンジニアの牙城でした。
翌日、秘書が来て「社長がこの本を…」。勉強家の社長が愛読していたマーケティングの専門書を7冊貸してくれました。寝る間も惜しんで1週間で読み上げた。「これとこれは良書だと思ったので買いました」とメモを付けて返したら、秘書がすぐ来て「社長が差し上げると言っています」と、残り全部もらってしまいました。
無線事業部のナンバー2は次長。伊藤忠から来たばかり。ウマが合いました。コンビを組んで頑迷固陋の事業部を活性化させるキャンペーンを始めました。エンジニアがプライドに溺れ、慢心が業績を低迷させていたのです。
狙いは販路の<官から民へ>への転換。大量生産・販売の中期計画を立案、戦略テキストを配布、新しい販路開拓(店作り)の決起大会や研修、新規プロジェクトの立ち上げ、新しい事業部<文化>の構築、意識改革をダイナミックに進めました。
家電製品を扱う国内営業の店作り戦略はよく知っていました。テキスト制作を人事部「研修課長」時代に手伝っていたからです。個々の商談は(戦術)は上手だが、商談前に「相手を知る」必勝の布石(戦略)が弱いというのが私の見方。生意気な言い方になりますが、<戦略>が何であるか、当時既に知っていたのです。
でも自分はただの研修「課長」。国内営業のお偉いさんたちを指導する立場にはありませんでした。でも無線事業部ならこの反省を生かせると思い、事業部施策に盛り込み、存分に主張しました。
最初は順調でした。が、途中から雲行きが変わり、最初に私が、次に次長が討ち死に。追放されてしまいました。既得権益を守ろうと必死になった<抵抗勢力>に負けたのです。2度目の挫折、茫然自失の2年が過ぎ、その間に会社の経営が行き詰まりました。
異色人事の社長から2度目のトップ交代が起こりました。銀行出身の新社長から社長を補佐する「経営戦略会議」のスタッフに抜擢されました。会社再生の<戦略>を、全社の英知を集め模索するのが使命。しかし、2年半の間に、裏では銀行主導の電機大手への支援要請(身売り話)も極秘に進んでいた。会社の内実は自力再建が可能なほど甘くはなかったのでしょう。新社長以外、誰も知りませんでした。
ある日、出社したら大手から派遣された若手7人が役員応接室で私を待っていました。寝耳に水。大手主導の再建(リストラ)が始まり、疎外され、最後は自分もリストラ。
48歳の春、3度目の挫折でした。
+++「官から民へ」で拡販を目指した一つがタクシー無線。
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忌憚の無い火山氏の真実吐露〔挫折物語〕に感銘を受けております。続編を待望します。多謝。
2008/4/8(火) 午前 9:06
<渡る世界は異変ばかり>さん、有難うございます。
火山の<企業人生>!<異変>ばかりでした。でも下積みになっては復活、左遷されては栄進。回り道や裏街道をよく歩きましたが、お蔭様でいろいろ発見があり、人情の機微も分ってきたように思います。
「新<戦略との出会い>」シリーズという「書庫」に新たに精選された記事を集中するつもりです。
「<ペンは剣より強し>!A4版たった3枚の紙が運命を変えた」も本日投稿しました。
2008/4/8(火) 午前 9:24 [ kom*_19*7 ]