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真珠湾攻撃の日、旗艦長門の作戦室は凄まじい緊張感。五十六は大机の折り椅子に深々と腰かけ、半眼を閉じ、彫像のように動かない。
「『ト』連送です。飛行機突撃下命です」と叫び、通信士が駆け込んできた。五十六は口を結び、大きく頷いた。間もなく「奇襲成功」の電報。ハワイ空襲の戦果が2時間、刻々と届いた。戦艦2隻沈没、4隻大破、巡洋艦4隻大破など目覚しい。しかし、空母の在泊はない。無傷。司令部に一抹の物足りなさが残った。
間もなく空母サラトガの搭乗機が着陸するというアメリカ側の電報を受信。空母4隻も帰港中と予想された。作戦参謀が「南雲(忠一・第一航空艦隊司令長官)部隊は今一回攻撃を再考したらいいんだがな」と航空参謀に話しかけた。「南雲は真っ直ぐ帰るよ」と五十六。近くにいた参謀の藤井茂はハッとしたと手記を残している。
五十六は開戦前、自分が第一航空艦隊司令長官として出陣するつもりだったが、叶わなかった。五十六と南雲の間には溝があったと工藤美代子(「海燃ゆ」)は書く。
海軍の至宝と言われた堀悌吉は海軍兵学校同期でトップの大親友。五十六と同じく航空第一主義、対米戦争回避だったが、五十六のロンドン会議中に失脚。裏工作をしたのは南雲との噂。五十六が知らないはずがない(「海燃ゆ」332頁)。
長官付の近江兵治郎は「山本五十六と参謀たち」で「南雲の水雷屋が…」と五十六が言ったのを耳にしたと書いている。「『水雷屋』とは水雷科出身という意味だが、五十六の言葉に蔑視が込められていたのだろう。五十六は南雲を信用していなかった」(332頁)。
だからサラトガを攻撃せず、真っ直ぐ帰ってくると言った。後に南雲はなぜ空母を攻撃しなかったのか、工廠や貯油タンクも見逃したのかと論議となった。もし貯油タンクや海軍工廠など基地施設を破壊していたらアメリカの反攻は半年遅れたろうという。「それが南雲の指揮官としての限界だった」(「海燃ゆ」)。
五十六の戦死後、連合艦隊司令長官になった古賀峯一に当てた五十六の手紙が残っている。真珠湾攻撃直後の昭和17年1月2日付。古賀は海軍兵学校の2期後輩。連合艦隊司令長官に就任後の首脳部会議で「既に3分の勝ち目もない」と発言した。五十六と同じ現実主義者だ。五十六も率直に心情を吐露している。
「アメリカはそろそろ本格的な対日作戦にとりかかる覚悟のようだから、日本国内の軽薄きわまりない騒ぎは外聞が悪い」(真珠湾の勝利に浮かれている時ではない)。「ハワイ攻撃は成功してもたいしたことないし、失敗すれば大変といっていた中央に随分不愉快な思いをさせられたが、今ではその人たちが『最得意』で勝敗が決したように言っている。『世間の空騒ぎ以上に部内幹部の技量識見等に寂寞を感ぜしめらるる』と述べている」(345頁)。
三国同盟が日米戦争を招く。開戦となれば華々しく戦えるのは半年か一年と断言した五十六。「日本にとっての不幸は、これほど未来を透視する能力を備えた人間を政界のトップに据えられなかった点である」(346頁)。卓越した識見、統率力を持つ五十六を戦場の最高責任者にしたために緒戦に大勝利。日本の首脳部は慢心してしまう。情勢は五十六の望まない方向に進む。五十六はどんどん<虚無的>になっていくと工藤美代子は書いている。
昭和17年6月5日、歴史を分けたミッドウェーの海戦。日本軍の暗号はアメリカ軍にすべて解読されていた。日本の作戦を熟知していたアメリカ。これが勝敗を決した。
「5分の差で敗北」と言われる。空母・赤城からあと5分で攻撃機が出撃しようとした瞬間、アメリカの急降下爆撃機が突っ込んできて爆弾を投下、赤城は誘爆で炎上、機能を全く失ってしまう。加賀も蒼龍も同じ運命。この海戦で日本は虎の子の空母4隻を失う。
南雲の致命的な判断ミス。アメリカ空母が現われたとの情報に、空母・飛龍の山口多聞少将は「現装備ノママ攻撃隊直チニ発進セシムルヲ至当ト認ム」と意見具申。南雲は却下してしまう。山口案は確かに非常手段。だがこれを受けなかったためアメリカの先制攻撃を許す。ミッドウェーの大敗。日本は以後、立ち直れず、敗戦へ転げ落ちて行く。
ミッドウェー海戦が話題になると、必ず南雲中将と山口少将の能力差が問題にされる。「もしも真珠湾攻撃やミッドウェー海戦で山口多聞少将が指揮を執っていたら、日本は負けなかったという人さえいる」(「海燃ゆ」384頁)。「南雲は五十六に対して泣いて非を詫びたという。南雲は自決しようとしたのを周囲に押し留められ、何とか大和まで帰り着いた。五十六の口から南雲をなじるような言葉は一切出なかった」(388頁)。
昭和18年4月18日、前線視察に出た山本五十六の一式陸上攻撃機はブーゲンビル島上空で待ち伏せていたアメリカP38機6機の襲撃で撃墜。午前7時30分、戦死。暗号が解読されていた。59歳。
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火山さん、南雲の致命的な判断ミス、読みながらも無念の一言しか
出ない、一巻の終わりで覆水盆に返らず。
山口多聞少将の「現装備ノママ攻撃隊直チニ発進セシムルヲ至当ト認ム」をナゼ却下したのか大きな疑問ですし。
航空第一主義の堀悌吉さんを失脚させた裏工作の本人が南雲?
何かわけがあると思いますが。
それにしても同じような苦い経験のある私も全くの憤慨ばかりです。
組織のリーダーに最適の人の代わりにタ任命権を握ったトップの
横断でゴマすり専門のものにしたために国にまで大きな損害を。
2008/4/8(火) 午後 5:40
「山口多聞は識見もすぐれ、勝負度胸もあり、当時海軍部内で極めて評判のよかった武将である。機動部隊の総指揮は、この人にとらせてみたかったと、幾人もの人がのちにそういっている」(「海燃ゆ」385頁)。阿川弘之「山本五十六」の引用という。
アメリカの空母が現われたという報に接した山口は空母・飛龍から旗艦の赤城に具申した。だが攻撃隊を護衛すべき戦闘機の準備がない。南雲は躊躇した。これが「5分の差」という壊滅を招く。致命的な判断ミス。
南雲は被弾・炎上した飛龍と運命を共にして戦死。49歳だった。
日米の人事の格差は余りに大きすぎる。明日からの「山本五十六<凡将>『サピオ』の愚論」で紹介します。
2008/4/8(火) 午後 7:02 [ kom*_19*7 ]
そうでしたか、火山さんの親切な説明本当に有難うございます。
山口将軍のすぐれた識見、その上勝負度胸もあったのに使われ
なかったのは非常に残念なことでした。
南雲も「5分の差」が直ぐ死に直結されるとはツユ知らず
躊躇ったんでしょう。
2008/4/8(火) 午後 8:12
ごめんなさい。火山の致命的ミス(誤植)。49歳の若さで空母・飛龍と運命を共にしたのは勇将・山口多聞。南雲は生き残り、山本五十六の前に姿を現した。五十六は一言の非難も浴びせなかったという。
南雲はのちに敗戦の責任をとって割腹自殺をするが、それで贖罪できるほどの軽い責任とは言えないでしょう。
ミッドウェーの敗戦は、日本が虎の子の機動部隊、世界に冠たるベテラン・パイロットを失ってしまったのですから。
7行目の「被弾・炎上した飛龍と運命を共にして戦死。49歳だった」の主語を<山口多聞>に置換え、音読してみてください。感動が全然違うはず。口惜しい誤植です。
2008/4/8(火) 午後 9:32 [ kom*_19*7 ]
火山さん、またも有難うございます。
では、何の足しにもなりませんが勇将と言われた山口多聞将軍は
南雲のお陰で戦死?されたんですネ。
いつか読んだベテラン・パイロットを失ったのが敗戦の一因と
書いてあった根本は南雲の判断ミスから始まったんですネ。
2008/4/9(水) 午前 9:04
日本海軍の伝統!司令官や艦長は沈没する艦と運命を共にする。つまり<総員退去>させた後、自ら望んで飛龍に残ったのです。
「燃え残った艦橋へと上って行く山口の後姿に向かって、先任参謀の伊藤清六が『司令官、何か形見を』と叫ぶと、『オッ』と答えて、かぶっていた戦闘帽子を投げて寄越した。この帽子は後に未亡人の手に渡り、保管された」(工藤美代子「海燃ゆ」387頁)。
飛龍はやがて駆逐艦・巻雲から発射された二本の魚雷で爆発・浸水、ゆっくり海底に沈んだという。
2008/4/9(水) 午前 9:16 [ kom*_19*7 ]
火山さん、悲壮な伝統ですネ、残った戦闘帽子は山口司令官の悲願を
語ってくれるでしょうか?
それから駆逐艦の魚雷で沈没させるのは浪費のように思えますが。
その二発の魚雷で敵船を沈める方が戦争の理にかなうことでしょう。
2008/4/10(木) 午前 8:09
貴重な軍艦、敵の手に渡したくない。引き上げのできない深海に、できたら木っ端微塵にして沈めたい。そんな思いがあったのでしょう。これも日本海軍のこだわり。
艦と運命を共にする。男の美学としては理解できます。魚雷を使うのも同じ美学のなせるワザと思います。
2008/4/10(木) 午前 8:48 [ kom*_19*7 ]
火山さん、どうも分かるようで分からない気持です。
2008/4/11(金) 午前 7:49
よくあるではありませんか。好きな女の子をいじめてみたい。もっとも火山には経験がありませんが。
2008/4/11(金) 午前 9:20 [ kom*_19*7 ]
少年時代を思い出しました。あの頃は・・・・
2008/4/11(金) 午後 3:38 [ 近い人 ]
あはぁ、どうも、そうでしたか。
火山さん、しっこく根掘り葉掘り聞き出す小生にお許しを。
2008/4/12(土) 午前 8:19
<とうよう(島洋)>さん、ようこそ!
そうです。仰せのとおり、「生き残ることは至難のワザ」のこの世の中」!お互い、少年の日の気持ちを忘れず、真っ直ぐに生きたいものです。
昨夜の火山、大学ゼミの先輩から招かれ、高級和食レストランで<一献>いただいてきました。自費出版したゼミの記念文集の編集長。募金から編集・校正・出版まで、ほとんど一人で孤軍奮闘した火山の労を労ってくださった。恐縮でした。
その席で、火山が繰り返したのは<愚直>という言葉。火山の生き様を自分では、そう表現したかったのでした。
2008/4/12(土) 午前 10:58 [ kom*_19*7 ]
<a hah!>。英語の感嘆詞。素晴らしい。
<根掘り葉掘り>は火山の生き様そのものです。哲学精神とでも申しましょうか。納得するまで掘り下げる。中途半端が大嫌いな性分。お蔭様で<毀誉褒貶>の激しい中で生きてきました。
大言壮語、悪態も得意技。昨夜も先輩を相手に盛大にブチました。先輩もさぞ辟易したと思います。
2008/4/12(土) 午前 11:04 [ kom*_19*7 ]
南雲氏、2度の失敗。レイテ沖海戦のときもでしたか。
日本の学校教育。優秀な人材を多々養成され、兵学校などすばらしいと思いましたが。戦い。いくさ。時の運もあるでしょうし。しかし、残念ですね。負け戦になってしまって。多くの日本人がなくなりましたので。組織でも、器でない方が陣頭指揮取ると下手な結果を生むことがありますから。下手なコメント失礼しました。
2008/11/7(金) 午後 3:44 [ - ]
<さわや〜かライフ・・・♪>さん、コメント、有難うございます。
幕末から明治の歴史。「篤姫」にも一部描かれていますが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」ともども大好きな時代です。
でも大正末期から昭和へ。軍国主義の靴音が高くなる。議会や民政を重視する政治の声は抹殺され、全体主義、軍部の無責任な怒号ばかりが大きくなる。5・15事件、2・26事件。近衛の登板をもってしても大政翼賛へ雪崩現象。
官僚的な体質が強くなり、権力欲だけが独り歩き。現場・現実を無視した暴走が始まる。天皇が最も危惧した三国同盟。これが決定的な引き金になる。
「文藝春秋」が2007年6月号の「昭和の陸軍」から連載を始めた半藤一利ら有識者の座談会。日本の叡智、良識の結晶です。田母神前航空幕僚長の軽佻浮薄なデタラメ論文など、一発で吹っ飛ぶ。
敗戦は日本の民主主義の貧困が招いた。日本の教育がすぐれていたとは、せっかくですが、考えられません。
2008/11/7(金) 午後 4:38 [ kom*_19*7 ]