火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

明治維新

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「その時歴史が動いた」―――。「さらばサムライ」の2回目。明治維新から10年、サムライへ圧迫を加える明治政府に対し、維新の功労者・西郷隆盛が反乱を起こす。「西郷ほどの国家の元勲がどうして賊軍になるのか。どんなに考えても分らない」とは<王政復古>に大久保利通・西郷隆盛と命がけで戦った盟友・岩倉具視の言葉。昨年6月29日(水)の放送。

歴史を動かした「その日」は明治10年(1977年)3月20日。田原坂の戦いで政府軍が勝った日。薩摩士族から「<土百姓>とあざけられた<平民徴兵>部隊が、徳望一世を圧する大西郷の率いた士族の精鋭中の最精鋭と自他ともに許す薩摩士族の大軍に勝利した。もはや士族の時代が永久に去って再び帰らないことを、血をもって歴史に記録した」(井上清<明治維新>「日本の歴史」第20巻)―――。

「今般政府へ尋問の筋あり…」。西郷隆盛のもと薩摩士族1万5千が鹿児島を進発、熊本に向かったのは明治10年(1877年)2月15日。南国に珍しい大雪が降っていたという。
途中で九州各地の士族が続々と加わり、西郷軍は3万余に膨れ上がった。全国各地からはせ参じたものも合わせ、西郷軍は多い時は4万2千人に達した。

だが西郷軍は敗れた。「晋どん、もうここらでよか」―――西郷は鹿児島の城山で切腹。西郷を慕う別府晋介の介錯で世を去った。明治10年9月24日。時に50歳だった。西郷は最後まで周囲に一身を預けたまま。何もいわなかった。

西郷は明治4年2月、薩摩兵5千を率いて上京、<廃藩置県>と<徴兵制>を断行した。武士と家族200万人の大リストラ。「サムライの中のサムライが決断」と前回のNHK。
だが政府を2分する「征韓論」の政争で岩倉・大久保に破れた西郷。副島種臣、江藤新平、後藤象二郎、板垣退助とともに参議を辞した。有名な「明治6年10月の政変」だ。

「征韓論」は不平士族の「内乱を願う心を外に転ずる」のが狙い。西郷は没落一途の士族に活路を与えるべく心を痛め、全国の不平士族から「大棟梁」と仰がれていた。
西郷は廃藩後、薩摩藩の「負債」を中央政府に引き取らせた。だが「債権」は政府に渡さず、県政を握る士族の裁量に委ねていた。南方諸島の砂糖売買の利権も士族の商社に独占させ、士族救済に当てていた。中央政府が国庫充実と商業資本育成にやっきになっている時、西郷は地方士族の生活を心配していたのだ。

鹿児島に帰った後、西郷は桐野利秋(陸軍中将)、篠原国幹(陸軍中将)らと自分(陸軍大将)の章典禄を基金に章典学校を設け、士族の青年に士官教育を行った。明治7年には私学校を創設、136の分校に幼少年を集め、思想・軍事教育を施した。費用は鹿児島県の公費でまかなった。

廃藩後の鹿児島県。県令大山綱良以下、役人に県外人は一人も入れず、すべて私学校の幹部をあてていた。中央政府とは無関係、政治も軍事も私学校の指導で行われた。
県下の租税は一銭も中央に差し出さない。中央政府から独立した地方軍閥政権。西郷は一切の役職につかず、それらを超越した最高権威。悠然と君臨していた。

西郷が下野、大久保独裁が確立した中央政府は明治9年「廃刀令」を出した。軍人と警官以外の帯刀を許さない。「武士の魂」を奪われ、士族の不満は燃え上がった。政府はさらに「金禄公債」を発行、引換えに士族の<禄>を強制的に廃止した。士族の怒りは爆発した。

薩摩士族は明治7年2月の不平士族<佐賀の乱>にも、9年10月の<熊本・秋月・萩の乱>にも呼応しなかった。西郷が軽挙を戒めた。西南戦争も西郷は九州一角の力で全国を敵として勝てないことはよく知っていた。武力で政府に反抗したくもなかった。
だが大久保独裁政権が<挑発>してきた。大久保も本心では西郷を追い詰めたくなかった。だが大久保が薩摩士族のみを優遇することを長州の木戸孝允らは許さなかった。

中央政府は刻一刻と士族を追い込んでくる。いくら彼らを抑えてみても先が見える。彼らに最後の死に花を咲かせてやるのが、せめてもの情だ。西郷は決意した。挙兵を迫る篠原国幹(陸軍中将)と桐野利秋(陸軍中将)に西郷は言った。「オイの身体は差し上げ申す」。―――明治10年2月5日だった。<覚悟の負け>としか思えない。 

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閉じる コメント(4)

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火山さん、西郷さんの決意は<覚悟の負け>でしたか。
さぞかし残念!無念!

2008/4/18(金) 午前 8:03 lsk*4*8

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<覚悟の負け>!これは火山の仮説です。そうはっきり書いている本や説があるわけではありません。不平士族の気持ちも無視できない。と言ってかつての盟友・大久保利通らが作った新政府を打倒もできない。だから昨日も書きました。
「西郷は非常に謎の多い人物。写真も残されていません。実像が不明。しかし、最後は政敵となった大久保利通も西郷の死を心から悼んだ。自分が西郷を討ってしまった。だが西郷も大久保の新政府を本気で打倒しようとは考えていなかった。そう思うしかない拙劣な戦い方を西郷は西南の役で行う。戊辰戦争で見せた神速の戦略。微塵もない」。

2008/4/18(金) 午前 8:33 [ 火山 ]

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火山さん、そこまで推測できる多くの後ろ盾があったんですネ。
西南の役の拙劣な戦い方、戊辰戦争の神速の戦略は微塵も無し
など。有難うございます。

2008/4/19(土) 午前 8:56 lsk*4*8

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薩摩・長州など天下分け目の関ケ原で敗戦の憂き目にあった西国の雄藩が幕末に大活躍をする。基本は徳川政権への恨みや反発でしょう。権力構造が変わる変革期の歴史は非常に興味に溢れている。様々な人材も輩出する。
若き日の火山、海音寺潮五郎「西郷隆盛」(朝日新聞社・全4巻)、子母澤寛「勝海舟」(講談社・全3巻)を愛読しました。どこまで史実なのか検証したことがありませんが、人間の生き方としては多くを学びました。
下積みから権力の中枢にまで登りつめる。なんとも歴史のロマンを感じます。

2008/4/19(土) 午前 9:30 [ kom*_19*7 ]


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