|
西郷隆盛の「征韓論」は余りにも有名。だが明治新政府は成立の日から「征韓」を狙っていた。ただ時期や方法を巡って政府の中で厳しい対立が続いていただけ…。
西郷は士族の暴発を恐れ、士族の不満をそらすことを狙った。一方、大久保利通や木戸孝允は人民の一揆を恐れていた。財政赤字、インフレ、輸入超過などが人民を苦しめた。内治が第一。外征はもってのほか…。
この<論争>―――。実は対外策の衝突でもなかった。西郷の<士族独裁>か、大久保の<官僚独裁>か―――<路線対立><権力闘争>だった。明治6年夏から秋へかけ両者の激突は避け難くなった。新政府を揺るがす<明治6年10月の政変>の始まり。
明治3年7月、英仏連合軍が清国の天津を攻めた。日本はその余波が朝鮮に及び英・仏・米・露が朝鮮を征服するのを恐れた。危機迫る。政府は外遊中の実力者・大久保利通を呼び戻そうとした。大久保は明治6年4月、ベルリンで帰朝命令を受けとった。
<切れ者>の大久保は留守政府が西郷・板垣派に蹂躙され、自分一人ではどうにもならないと予想した。だが帰ってみたら実態は予想以上。酷い。
大久保は大蔵卿。だが出勤しなかった。三条太政大臣から参議就任を懇請されても断った。岩倉具視ら仲間が帰国するのを待った。西郷一派にやりたいだけやらせ、最後の決戦で彼らを征韓論と心中させ、再び立てないように葬る。大久保は決意していた(井上清356頁)。
8月14日、西郷は板垣退助に手紙を送った。「どうか私の朝鮮派遣をお世話願いたい。人間の死はただ前後の差があるのみだから、あなたの御尽力で希望がかなったら死後までも感謝する」。板垣は感激した。
8月17日、三条実美大臣、板垣、大隈重信、後藤象二郎、江藤新平、大木喬任の諸参議が出席。会議で西郷の朝鮮派遣が決定。西郷は9月20日を朝鮮出帆と決め準備を急いだ。
9月13日、岩倉、伊藤博文らが帰国した。岩倉はすぐ三条・大久保・木戸と連絡をとり、西郷派遣の決定を覆そうとした。大久保は「機いたれり…」と思ったが、軽々に出馬せず、9月26日、30日と参議就任を拒否、三条・岩倉を<焦慮>させた。
これは大久保の作戦だった。すべて自分の方針どおりにすると「書面」で確約を求め、ようやく参議に就任。内治派の陣立てが整った。西郷は出発を延期させられ、あせっていた。
井上清は書く。「勅許を得ていたのに西郷はどうして岩倉らの策動を無為に見過ごしていたのだろう。6年あまり前の王政復古クウデターから鳥羽・伏見の戦争に持ち込んだ当時の西郷は不動の大目的を確立、刻々情報の変化に敏活に対応して次々手を打った。あの時の手腕は見られない。これに反して大久保は当時よりまた一段と熟慮果断、手腕も磨いていた」(「明治維新」362頁)。
10月12日、大久保の参議発令。公平を装うため西郷派の副島種臣も参議になった。決戦の閣議は14日。岩倉は13日夜、板垣と副島を招き、二人に西郷を説得させようとした。板垣は動揺し始めた。
激烈な対立の中、14日の閣議。西郷派は板垣、後藤、江藤、副島。反対派は右大臣岩倉と大久保、大木、大隈。木戸は病気で欠席、三条太政大臣は迷っていた。この日は結論が出なかった。翌15日再開。西郷は欠席した。
井上清はいう。「西郷の精神的なある種の弱さを感じる。それは彼が使節となることで自分の死所を得る」(363頁)と強く結びついていたことに現れている…と。
板垣・副島は西郷派遣を主張。大久保が激しく反対。論争は決せず、いったん休憩。その間、三条は岩倉と話し「止むを得ず西郷見込み通り…」と裁決してしまった。西郷の背後にいた軍隊と士族の威力がものを言った。
大久保は「憤激にたえず…」と翌16日、参議ほか一切の官職の辞表を提出。木戸、大隈、大木も一斉に辞表を出した。板ばさみとなった三条。苦悩のあまり、夜明け近く人事不省に陥った。17日、上奏の予定は不可能となった。辞表は<脅迫>だったのだ。
三条の病気が決定打となった。大久保は天皇を動かし岩倉を太政大臣代理にした。「なんという大久保の秘策だろう。一瞬が永遠を決定する日に西郷は何もしていない」(365頁)と井上清。西郷一派は22日、岩倉邸に行き「閣議決定事項を速やかに上奏せよ」と迫った。だが岩倉。「余は三条公とは異なる。余には余の見解がある」と突っぱねた。これで勝負は決まった。23日、岩倉は閣議決定とは反対の私見を上奏、裁可を得てしまった。
西郷は直ちに辞表。翌24日、板垣・後藤・江藤も辞表を提出した。「西郷ら4参議の辞表は待ってましたとばかりに受理された」(366頁)。大久保の秘策が勝った。大久保・大隈・大木の辞表は却下され、新たに伊藤博文、寺島宗則、勝海舟が参議に任ぜられた。
西郷の陸軍大将は「もとのごとし」。4参議も「御用あり。滞京せよ」と命令された。故郷の士族らと「切り離し、東京に縛り付けておこう」というのだ。これも大久保の秘策。かくて「維新政権最大の政変」は終わった。「どんでん返し」の決着だった。
この「明治維新」シリーズ。連載中です。書庫の「明治維新」をクリックしてください。
|