火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

新編「聖徳太子は実在しない」

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前回は「不比等の野望と持統女帝」。大化の改新(645年)で中大兄を補佐、蘇我入鹿を滅ぼした功臣は鎌足。その子の不比等が持統女帝の支持を背景に「大宝令」(701年)を制定、天皇を宗教的に祭り上げ、実権を握ったこと。その<律令国家>を正当化するため「古事記」「日本書紀」を編纂、<聖徳太子>伝説を<捏造>したと書いた。

大山誠一「聖徳太子の誕生」(吉川弘文館)によると聖徳太子の資料は「日本書紀」と法隆寺系(「三経義疎」・薬師像光背銘文・天寿国繍帳銘文など)の2系統。どちらも<最古>の<伝承>を伝えている。

火山のこの投稿。学術的<論証>が目的はない。結論(大山説)を記す。法隆寺系のものは「日本書記」より後に作成された。だが「日本書紀」の記述と合致せず、学問的には<捏造>が歴然、資料的価値はないという。そして「日本書記」も<聖徳太子>部分は<捏造>の可能性が極めて高い。つまり、聖徳太子は<架空>存在らしいのです。

「日本書記」は養老4年(720年)5月に完成。我国初の<勅撰>の歴史書。天皇の命令で編纂され、国家的規模で集めた記録や伝承、あるいは中国や朝鮮の文献も使っている。和銅5年(712年)成立の「古事記」と比較すると、文学性ではともかく、歴史書としては格段に優れているという。

問題は<法隆寺系>の記述が「日本書紀」にまったくないこと。特に法隆寺の<薬師像銘文>。その存在を確認できる資料は天平19年(747年)の「法隆寺伽藍縁起資材帳」だけ。それは聖徳太子の死(622年)から125年後のもの。天寿国繍帳の出所はまったく不明。「三経義疎」も天平19年(747年)に突然<出現>。聖徳太子の<御製>とは到底考えられない。信じる勇気はないと大山教授。大山誠一は東大から博士号を得ている第一人者です。

「日本書記」は国家の威信をかけて編纂されたもの。「三経義疎」が当時現存していたら、「日本書記」の編者が見逃すはずはない。聖徳太子の<事績>を<華麗>に紹介するのが使命。「三経義疎」が本当に聖徳太子<御製>なら価値は<莫大>だ。でも「日本書記」には何の記述もない。<不自然>と大山教授はいう。

もう一つ、聖徳太子が作ったとされる「憲法17条」。儒教思想を基本に仏教の精神も分かりやすく説く。官人たちに<臣下>としての<心構え>を徹底すべく「礼記」「詩経」「論語」「孟子」「孝経」「文選」など中国の古典を数十種も引用している。本当に聖徳太子の作品なら太子は中国の思想や政治を熟知していたことになる。―――だが大山教授は<太子御製>に疑問を呈する。当時の日本にそこまでの中国理解はなかった。

聖徳太子(574年〜622年)が活躍したとされる時代、日本は開皇20年(600年)からずっと中国(隋)に使者を派遣していた。使者が伝えた日本の国情は「隋書」倭国伝(636年編纂)に詳細に記録されている。<倭国伝>は隋の役人が記録したもの。信頼性が高い。したがって「隋書」によって<厩戸王>の時代を推測、聖徳太子関係の史料の真偽を判断することは充分可能なのだが、「隋書」に記録された当時の日本。中国の政治や思想を理解しているとはとても思えない。遅れていて「憲法17条」とはレベルの<落差>が大き過ぎる。

例えば日本の使者は「倭王は<天>を兄とし<日>を弟とする」と語っている。この場合の<天>は「天の原振りさけ見れば…」という歌の<天の原>…。つまり<大空>という意味。また<日>とはもちろん<太陽>のこと。
だがこの理解、中国の思想とまったく違う。中国の<天>は西アジアの天に由来、<空間>を突きぬけた<最高の存在>=<理念的>に<至上神>を意味する。天は<絶対神>…。その<天命>を地上で受け、天下万民を支配するのが<天子>=<皇帝>。日本の<大空>などという<物理的>空間とは異なる。<理念的>存在なのです。

後に日本にも<高天原>(たかまがはら)という概念が生まれる。だがそれは「古事記」「日本書記」の世界。つまり<厩戸王>の時代から<1世紀>以上も<後>の時代。さらに後半には「倭王は天が明けないうち、暗いうちに政治を行う。日が出て明るくなると、弟(日=太陽)に委ねようといって政治をやめると使者が語った」と「隋書」にある。

これを聞いた隋の<高祖>は日本の<後進性>に呆れた。「これはなはだ義理(正しい道理)無し」と言い、日本の使者を「教えてこれを改めしむ」と記録されている。即ち中国の正しい政治のやり方を教え、日本のやり方を改めさせるよう臣下に命じたのだ。
大山教授は「使者の言葉の信頼性であるが、自分の国の政治を、ことさら野蛮に表現することもないだろうし、その<自然観>は「万葉集」などとも一致しているから、ほぼ正確の日本の様子を伝えたものと考えてよい」(「聖徳太子の誕生」35頁)と書く。

「遣唐使を派遣した当時の日本の為政者が、ほとんど中国思想を理解していなかったと考えざるを得ない」(35頁)と大山教授は結ぶ。簡単にいえば、当時の日本の為政者には聖徳太子に限らず「憲法17条」を作れる中国理解は欠けていた。―――聖徳太子が<架空>の存在であるらしいことが色濃く浮かび上がる。(続く)

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