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「聖徳太子の誕生」(吉川弘文館)の著者・大山誠一教授は「不思議なのは、聖徳太子の居所である斑鳩宮も、氏寺の法隆寺もとっくに全焼しているはずなのに、どうしてこれらの史料を含む様々な(太子の)遺品が現在の法隆寺に存在するかである。斑鳩宮は権力争いに敗れ、山背大兄王をはじめとする(太子の)子孫が全滅したのだから、(入鹿一派によって)徹底的に破壊されたに違いなく、法隆寺は落雷で一瞬に崩壊したようである。それなのに422kgもある釈迦像と光背が、どうして無事に残ることができたのだろうか。およそ考えられないことではないだろうか。
法隆寺の再建は7世紀末の天武朝に始まり、8世紀初頭までかかったようである。斑鳩宮は天平11年(739年)頃に復興され、それが現在の法隆寺東院(夢殿)である。とすれば法隆寺系史料は少なくとも法隆寺が再建されてから新しく作ったか、どこからか入手したものと考えた方がよいのではないだろうか」(38頁)。だが<疑問>はそれだけではない。
法隆寺系史料の重要な一つが金堂の<薬師像>の光背に刻まれた<銘文>である。そこには「池辺大宮天下天皇(用明)が病気になり、丙午年(586年)に大王天皇(推古)と太子を召し、病気平癒のため薬師像造立を誓願したが、そのまま亡くなってしまった。大王天皇と東宮聖王(聖徳太子)が丁卯年(607年)になって完成させた」と記されている。銘文のとおりなら薬師像は607年の完成。だが疑問が多い。
第一が<天皇>の称号。唐の高宗の上元元年(674年)に君主の称号が<皇帝>から<天皇>に代わった。その情報が天武朝(672年―686年)に日本に伝わり、持統3年(689年)に編纂された<飛鳥浄御原令>で正式に採用され、天武天皇に初めて<天皇>号が捧げられたというのが<定説>。つまり、それ以前には<天皇>号は存在しない。
したがって、天皇号を3度も使っている銘文は607年の完成したと論ずる限り<偽物>とならざるを得ない。1998年、飛鳥池遺跡から<天皇>の語を記した木簡が出土、天武・持統朝のものと判定されている。(中国は儒教の影響が強い。<天皇>号は道教のため熱心な道教信者・高宗がなくなると一代限り、中国では廃れた)。
第二に<東宮>の語も問題。東宮は<皇太子>のこと。「皇太子とは皇帝または国王の在世中に後継者に指名された人物」のこと。だが日本の古代には<皇太子>の制度はなかった。だから天武の遺児、大津皇子は草壁を即位させたかった持統女帝と不比等から<謀反>の罪を着せられて殺される。孝徳天皇の遺児<有馬皇子>の悲劇も<皇太子>の制度がなかったために起きた。
皇太子の制度が成立するのは<律令国家>になってから、具体的には<飛鳥浄御原令>が完成してからのことである。
<飛鳥浄御原令>(689年)は中国と国交が断絶していた時代、中国に関する古い知識で作られた。遣唐使(粟田真人)情報(704年)以前のもの。持統女帝の時代に完成した壮大な藤原京(694年)も華麗な<長安>の見聞から<旧式>と判明、<平城京>への<遷都>が計画されるのと同様、新しい<権威付け>が必要だった。
日本最初の皇太子は何と<軽皇子>(即位して文武天皇)。持統女帝の<孫>―――不比等と女帝が夢見た天皇になれずに世を去った<草壁>の遺児だ。この<軽皇子>を<皇太子><天皇>にするというのが<不比等>の<野望>だった。
<大宝令>で天皇を<象徴化>…。宗教的存在に祭り上げ、政治の実権を握ることに不比等は<執念>を燃やした。草壁の母、天武の妻、軽皇子(草壁の遺児)の祖母である持統を<天皇>に祭り上げたのも不比等―――。
結論を急げば編纂中の「古事記」を中断、新たに「日本書記」の編纂を始めたのも不比等。遣唐使のもたらした最新情報が決め手になった。さらに言えば「日本書紀」最大のスターとして<聖徳太子>を描かせたのも不比等。大山教授は<断定>している。
なぜ<聖徳太子>をスターに<捏造>したか。<皇太子>を<権威>付けたかった。不比等が<野望>を実現するには厳しい<障碍>があった。古代最大の政治家<不比等>にもライバルがいた。相手はあまりに<高貴>で<手強い>存在だった。対抗するには<法と制度>(飛鳥浄御原令)と<権威>が不可欠。その<権威>を聖徳太子<伝説>に求めた。
さて薬師像の銘文…。大山教授は指摘する。「聖徳太子を<聖王>と(銘文)は称しているが、普通、<聖王>というのは過去の偉大な王に使う言葉である。607年に34歳になったばかりの厩戸王を<聖王>というのは不自然であろう」―――。そう、ナリフリかまわず必死だったのだ。
「加えて技術的な問題として銘文の書体が新しいこと、また彫刻様式が後から作られたはずの釈迦像(法隆寺系史料の重要な一つ)より新しく、むしろ釈迦像を模倣して作られている。あらゆる点から見て、この薬師像が聖徳太子らによって作られた可能性はない」と大山教授。つまり聖徳太子は<架空>である可能性が極めて高い。(続く)
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