|
「火山さーん」。会場のあちこちから黄色い声が飛び、大拍手。でもスポットライトを浴びてステージに立った私には、暗い館内がよく見えません。
その日は従業員の「慰安会」。落成したばかりの横浜の文化体育館に約3千名の従業員と家族が集まり、芸能人の歌やショーを楽しむ。私は司会。「私の秘密」という従業員登場の番組もありました。
こうした従業員サービスも労務管理の一環。人気があるのも大切なことでした。中学時代に放送部だった経験が生きたのか、慰安会だけでなく運動会や色々な行事で司会やアナウンサーをよく担当しました。
節分の「豆まき」も恒例の行事。巨人軍の王貞治選手が来たこともあり、社内報の記者の私が付き切りでお世話しました。今思えばサインぐらいもらっておけばよかった。案内するだけでも箔(ハク)がつく。隠れた人気になるのでした。
入社最初のクリスマスには同期入社の慶応ボーイと組んでダンスパーティを企画しました。山下公園近くにあったバンドホテルを借りきり、切符を大量に売りました。人気バンドの「ジョージ川口とビッグフォー」を呼んだパーティは大成功でした。
女子寮のクリスマス・パーティに招待され、かくし芸を披露するのも仕事。一人でやるのはイヤなので、当時流行っていたグループサウンズよろしく人事の若手でコーラスグループを結成、私のウクレレを中心に「好きだった」「幸せはここに」「俺はお前に弱いんだ」などを甘い(?)声で歌いました。クリスマス毎にオンステージ、人気が出て人事の女性陣が気を揉んだというウワサもチラホラ。
グループの名前が「ほれてくれやーず」―――。「惚れて」と歌ったお陰かどうか、グループ5人全員が社内結婚。うち私を始め3人が歌った相手の女子寮生と結婚したのですから、上司の部課長が顔をしかめました。「商品に手を出すな」という勤労課の掟を私が筆頭で破ったからです。
+++全員が定年になり、他社に移ったメンバーもいましたが、3年前の秋、30年ぶりに再会。翌年の春は夫人同伴の集まりを品川のホテルで開催しました。玄関に掲げられた「ほれてくれやーずの集まり」という看板。初老の夫婦5組を見て受付係の女性が笑いをかみ殺していました。
この「新入社員時代」シリーズ。連載中です。書庫の「無題」をクリックしてください。
|