|
<願はくば 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃>―――という西行の歌はあまりにも有名。しかし、その西行が望みどおり「<きさらぎ>の<望月>の頃」に入滅した時、<世>の人々は驚愕した。あまりにも見事な<死の演出>だったからだ。
もちろん<毀誉褒貶>は<世の常>、賛否両論が起った。<遁世>の人にしては<俗世>の名声を意識し過ぎていると思ったからだ。西行の死は<当時>の人々の話題をさらっただけでなく、これも望みどおり彼の名を<後世>にまで<不朽>のものとした。
「西行とは何者か」―――。火山でなくとも興味を持つだろう。JR東海の生涯学習財団が主催する「歴史の歩き方」という<知の旅>(講演会)でウエッジ社の「西行と兼好」(小松和彦ほか)を買ったのはそんな時だった。
「かつて<この世>にはたくさんの<世>があり、その向こうには<遁世>という<もう一つの世>が用意されていた」(「西行と兼好」・4頁)。この文章に接した時、は驚愕した。
<遁世>とはもちろん「<世>を捨てる」ことと思っていたからだ。だが<遁世>とは<この世>のほかにある<もう一つの世>だという。なんとも新鮮な衝撃だった。
この「花に狂ふ西行」(連載)の主人公である<西行>も<遁世>の人。23歳の時、妻子を捨てて<出家>した。<世捨て人>になったのだ。世捨て人は今風にいえば<アウトサイダー>―――。小松和彦「遁世という生き方」のサブタイトルにも「アウトサイダーの系譜」と書いてある。<この世>にはホームレスという<世捨て人>もいる。
身をすつる 人はまことに すつるかは すてぬ人こそ すつるなりけれ(西行)
なんとも不思議な歌だ。だがこの心境こそ「<遁世>の心的メカニズム」という。
「人びとはこの<世>に生まれ落ち、普通は両親やその他の家族によって育てられ、成人すると結婚することになる。やがて子をもうけると、今度はその子どもたちを養育し、かれらが成人した頃には、老いを迎え、やがて死を迎える。そして死後の世界つまり<あの世>へ行くことになる」(小松・5頁)。ここまではなんの不思議もない。だが―――。
「かつて<この世>にはたくさんの<世>があった」―――となるとわからなくなる。
「その向こうには<遁世>という<もう一つの世>が用意されている」というのだ。だが
「<世>は複雑に構成されている。家族も小さな<世>であり、親族も<世>であり、ムラやマチも<世>である」(小松・5頁)―――。ナルホド。〜となると学校や会社、友人や仲間の集団、ネットワークも<世>。都道府県や国も<社会>であり、<世>である。
「<世>には上下貴賎があり、重層的な構造をもったものであった。したがって生まれた者がどのような階層に属し、どのような生業をもつかといったことによって、彼らの所属する<世>は異なり、また<世>の範囲つまり<世の中>も異なってきた。都の貴族に生まれるか、田舎の農民に生まれるかで、彼らの<世の中>の構造やイメージは異なってこざるをえなかったのである」(小松・5頁)。読んで再びヒザを打った。ナルホド―――。
実は火山、定年後4年間、ある高校の公開講座で鎌倉時代の慈円が書いた歴史書「愚管抄」を読んだのだが、慈円が使う<世>という意味を知って驚愕した経験があったからだ。
「世ノヒトハ」「世中ノ最大事」「世ノ事ヲフカク思テ」「世モヒサシクミテオレバ」―――。慈円の「愚管抄」には<世>という言葉がやたらに出てくる。
慈円は<関白>藤原兼実の実弟。天皇家と摂関家を二分する大政争となった<保元の乱>は慈円の父と叔父の間に起ったもの。慈円が使う<世>といえば当然<日本全国>のこと。<世の人>とは<国民>のことだと思っていた。だが違った。貴族社会のこと。それも身分の高い人々、慈円の周囲にいた一握りの人々のこと。彼らが作る<世>だったのだ。
<世>とは<世間>―――。冗談っぽくいえば<世間が狭い>のだ―――。げっ!なんとも身勝手な話ではないか。身分の違う農民は最初から無関係。関心の外なのだ。
「こうした<世>の構造を図式化すると<円錐>として示すことができる。巨視的に理解すれば、この円錐の全体が<世>ということになる。しかし、円錐の上方に至れば至るほど政治的権力や経済力などの<力>をもった人びとの<世>があり、下方に至れば至るほどそうした<力>から無縁の<世>がある。つまり個々人が体験する<世>は円錐の中でも極めて限定された範囲であった」(小松・6頁)。
慈円が生きた時代も江戸期も人々は親族とかムラとか限られた<世>の内部で<世間に顔向けできない>などに縛られて生活、死んでいくのが一般的だった。中で<運と能力>に恵まれたものだけが、円錐の下方から上方へ上昇できる。これが<出世>だった。
複雑な構造体<円錐>の外に何があったのか。それは<死>であり<死後>の世界である。
もっと精緻に見ていくと、実は生者の世界=<この世>と死者の世界=<あの世>の境界域が見えてくる。実はこれこそが<もう一つの世界>=<遁世>なのである。
古来から現在まで<世捨て>を行った人々はあらゆる階層に及んでいる。<乱世>の世ほど多くの人が<世を捨てた>―――。貴族が<世>を捨てる理由と武士や農民、職人が世を捨てる理由は当然、違っていた。事情も個々人で違う。<北面の武士>だった西行は恐らくは<歌の道>に生きるために<出家遁世>をした。そこに自由を得た。+<続く>+
(平成19年4月1日)
|