火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

花に狂ふ西行

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

「中世における出家遁世者が数多(あまた)いる中で西行ほど際立って光を浴びてきた人はない。なぜそのように世に遇されてきたのか」―――。「西行と兼好」(ウエッジ)の中で<西行とは何者か>を分担した松永伍一(評論家・詩人)は問う。

<遁世>とは<世を捨てる>こと。貴族や武士だけでない。中世の世捨て人はあらゆる階層に及んでいた。人々は世捨て人を様々な呼称で呼んできた。<世>の制度や価値観の外にいるという意味ではアウトサイダー。<無法者>とか<あぶれ者>と呼ぶ場合もある。
「農民が集団でムラを捨ててどこかへ逃げ出す<逃散>も<世捨て>の一種であった。政治的な敗者が山に隠棲する場合も<世捨て>。仏教修行に専心する生き方を選ぶこともまた<世捨て>であった」(「西行と兼好」8頁)。

西行の<遁世>はそれらのどれでもない。<聖>(ひじり)と呼ばれた人々に近い。<聖>は国家統制のもとにある仏教からさらにその外側に<はみ出す>生き方=修行をした。
仏教では通常の生き方をする人々の世を<俗世>とか<穢土>とみなし軽蔑・嫌悪する。
一方、死後の世界を<浄土>とみなし、そこに<往生>することに憧れた。さらに死を迎える以前から<世>を遠ざかった暮らしを願う者もいた。それが<遁世>だ。

『世を捨つるとも世に捨てられずば、遁れたるにあらず』と言い放ったのは明遍(みょうへん)であるが、ここには西行への皮肉がこめられている」(同・35頁)―――。
これは「往生論五念門略作法」を著した<明遍>の言葉。明遍は西行より24歳若い法師。

身をすつる 人はまことに すつるかは すてぬ人こそ すつるなりけれ(西行)

明遍を意識したはずはない。だが両者を比べると最高に笑える。火山の<大発見>だ。
<西行とは何者か>で松永伍一は西行の<二重人格性>を指摘する。23歳で妻子を捨てた西行は<俗世>のソロバンもキチンと計算していた。自分の草庵暮らし、旅、妻子の生活、それら「経済問題を無視して大胆な行動に出るほど無謀な男ではなかった」(33頁)という。

ただ「準備万端整えて、妻子の安全を保証した上で出家遁世したという情報が流れたら<歌人西行>の和歌に託したものの中身が即座に見破られることになったろう」(34頁)。
<遁世>というポーズが<歌人西行>には必要だった。そこから西行の<美化>が始まる。「企画力と演技力は死の場面にまで続けざまに発揮された」(34頁)―――。

願はくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃(西行)

西行の死は建久元年(1190年)旧暦2月16日。望みどおりの満月の夜、今を盛りと咲く桜のもとで、西行は73歳の生涯を閉じた。予告どおりの西行の死は歌人たちを驚愕させた。

西行の俗名は<佐藤義清>(のりきよ)。武門の家に生まれ、藤原秀郷の流れを引く。あの平将門を滅亡させた家系だ。彼は上皇の御所を警護する<北面の武士>に選ばれた。武芸に秀れ、美貌をそなえ、教養を身に付けていることが、この職を全うする条件だった。
佐藤家は名門・徳大寺家領有の荘園を預かり、収入を得る在地領主の家柄。義清(西行)の時代、徳大寺実能(さねよし)が当主。西行が<永遠の女性>と憧れた待賢門院璋子は実能の妹。義清(西行)を北面の武士に推挙してくれたのは徳大寺の可能性が高いという。

<企画力>と<演技力>―――。これがテーマだ。23歳の義清が<出家遁世>したことを記録に残してくれた名門貴族がいる。<藤原頼長>!17歳で史上最年少の内大臣となった藤原一門のホープ。「日本一の大学者、和漢の才に富み」と謳われた。
日本最初の歴史書「愚管抄」を残した歌人で天台座主の慈円。慈円は西行の歌仲間となるが、頼長は慈円の叔父。鎌倉幕府を開いた頼朝の父・源義朝が敗死する原因となった保元・平治の乱を引き起こす。その頼長が残した日記<台記>に西行の記事が出てくる。

「西行は康治元年(1142年)3月15日に法華経の勧進のため23歳の頼長を訪問。頼長は<不軽品>(ふぎょうぼん)を自筆で書写することを承諾する。西行が自分同様に若かったので、頼長は年齢を問うと西行は25歳と答え、23歳で出家したと明かした」という。
これ自体、何の不思議もないように思える。だが「西行と兼好」に次の記事が出てくる。

「西行は何より歌への執着が強かった。後世に自作が遺ることへの望みが強かった。遺るように策を弄した向きすらあった。藤原俊成(定家の父)とのかかわりについて考えるとおもしろい。俊成は『千載和歌集』の選者でまさに当代一級の歌人だった。この第七番目の勅撰和歌集の撰が進められていると知った西行の事前運動の周到ぶりは見事なもので、自作の<歌合>(うたあわせ)を俊成の許に送りつけたのである。それも伊勢神宮に奉納するから<判>をしてくれと頼んだ。そのような目的であれば断れない」(47頁)―――。

<勅撰>とは天皇の名で発行される<歌集>!滅多にないチャンス。選者になった俊成に自作を強制的に読ませた。伊勢神宮に<奉納>といえば断れない。西行はそこを狙った。
別の機会にも俊成の息子<定家>に伊勢神宮への<奉納>を口実に<判>を請うた。
「やがて後年の『新古今和歌集』に94首採られるという栄光を担う。入撰歌数第一位。人々は<歌人西行>を無条件で讃えて、今に及んでいる。(中略)彼の欲望や人間的俗性などに目もくれずに」(49頁)―――。まさに西行は<企画力>と<演技力>の人だ。
(平成19年4月4日)

「花に狂ふ西行」書庫の記事一覧


.
kom*_19*7
kom*_19*7
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
友だち(24)
  • bug*nno*e
  • †ともみ†
  • 土佐文旦
  • めで鯛布袋
  • boss
  • 涼ちゃん大好き
友だち一覧

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事