火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

花に狂ふ西行

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世をいとふ 名をだにもさは とどめおきて 数ならぬ身の 思ひ出にせむ(西行)

西行が<出家遁世>したのは23歳。こんな歌が残っている。出家後の20代のもの。「あの人は世を厭い浮き世(憂き世)を捨てた人だったと、名前だけでもこの世にとどめておきたい。数のうちに入らない我が身だとしても、時には思い出してもらいたい」―――。

「世を捨つるとも、世に捨てられずば、遁れたるにあらず」と言い放ったのは明遍上人(1142〜1224)。西行より24歳若いが、この言葉は西行を皮肉ったものという。
明遍は平治元年(1159)に起こった『平治の乱』で源義朝に殺された少納言藤原通憲(入道信西)の子。信西は後白河上皇の近臣。平清盛と親密となり、権力をのばしたが、義朝に疎まれ、殺されてしまう。明遍は父・信西の死後、東大寺で出家、高野山にとどまり、蓮華谷聖(ひじり)の祖と呼ばれた。

明遍の父信西が親密だった後白河上皇は、西行が佐藤義清の俗名で仕えた鳥羽天皇の第4皇子。西行は69歳の文治2年(1186年)に信西を滅ぼした義朝の子頼朝と鎌倉で一夜語り明かす。西行は奥州の藤原秀衡へ東大寺の大仏再建の勧進に行く途中だった。<俗世>との関係を絶てなかった西行。世間は狭いというか、因果は不思議に絡んでいる。

「書くということは遺す意思があるから。西行は後世に語り継がれることを和歌に関しては常に意識していた。他者の目を意識したことで表現意欲も生まれ、秀作も世に遺った。それは西行という名が遺る」(小松和彦「西行と兼好」36頁)ことでもあった。

「西行とは何者か」(同)に書いた松永伍一は続ける。「世に捨てられるどころか、世の人に拾われたいと願っているようだ。始終西行にはこの意識が付きまとっていたようだ。それは仏道修行にのみ打ち込めなくなった西行の数寄(すき)者ぶるからもたらされたもので、さらに歌人として名を知られるに連れて強まった意識に違いない」(同)。

そんな西行にとって仏道修行より草庵暮らしや旅が重要だった。最初の草庵暮らしは京都<洛外>。「人恋しさも抜け切っていない」(37頁)。31歳になってようやく心が安定、高野山に移り住み30年を過ごす。吉野山にしばしば足を運んで<花狂い>の快楽にひたる。
「西行ほど桜の歌が多く、しかも生涯、歌い続けた歌人はいない。吉野の桜だけでも六十余首を数えるが、古典和歌をざっと調べてもみて、実際に吉野の山に踏み入り、そこに咲く、桜を目のあたりにして詠んだ歌人は西行以外には無かった」(「西行と兼好」54頁)。

<花>というと<桜>を連想する。火山もそうだ。だから<花の散る 友を偲びて 千の歌>と詠んだ。しかし、それは平安時代以降のこと。奈良時代の「万葉集」では最も数多く歌われた花は<萩>の花、珍しがられ、珍重されたのは<梅の花>であった。
西行が<桜>を連想させるのは西行の存在の大きさであり、<草庵>と<旅>の生涯を送り、<歌名>を遺そうとした西行の<企画力>と<演技力>の成果かもしれない。

歌人なら誰でも「歌を後世に遺したい」と願う。だが西行の執着は人一倍激しかった。「遺るというのではなく、遺るように策を弄した向きすらあった」(47頁)というから凄い。
西行の時代、藤原俊成という当代一級の歌人がいた。『千載和歌集』の選者だ。この第7番目の勅撰和歌集の撰が進められていることを知った西行は事前運動を始めた。自作の<歌集>を俊成に送りつけた。それも伊勢神宮に奉納するから<判>をしてほしい。よい歌を選んでほしいという口実。これでは断れない。そこを狙ったという。

効果は抜群!『千載和歌集』に18首も選ばれた。半ば強制的に読んでもらった成果。西行は俊成の息子の定家にも同じ手を使った。これが『新古今和歌集』に94首も採用され、<入撰歌数第一位>の栄光を獲得した背景という。凄い。

「西行は人脈を自分に都合よく活用した人物であった。出家遁世したと言っても俗にある著名人と接近した」(43頁)。その最大のものは69歳の時の勧進。東大寺の再建が目的。
みちのくの大富豪である藤原秀衡から応分の寄金を集め、ついでに鎌倉将軍の頼朝にも面談してほしいというもの。西行は老齢なのに承諾する。成算があったのだ。

「秀衡と頼朝とに対する場合、対応の方法を変えねばならない。これは脚本のないドラマ。政治家と対面すれば政治家の心理を読み、武士と向き合えば歌詠みの聖(ひじり)となって肩すかしのテクニックを身に付けていた。そういう人格を道心者らしくないと非難する向きもあったが、自尊心の強い彼は世評など意に介さなかった」(45頁)。

みちのくへ行く途中、鎌倉に立ち寄った。自分から将軍を訪ねるという卑屈さは避けた。
「吾妻鏡」によれば鶴岡八幡宮の鳥居のそばをうろついていた老僧を頼朝が発見、家来に名を問わせたところ西行と判明、驚いた頼朝が自邸に招く。「会いたい」と言った方が負けだ。頼朝は弓馬のことや歌道について質問したが、西行の答えは素っ気なかった。

西行は鎌倉幕府の平泉対策を探るのが目的。和歌のことはどうでもよかった。遠い親戚の秀衡に鎌倉の情報を漏らす。手土産がほしかったのだ。それで勧進が成功すれば一石二鳥。
<願はくば 花の下にて 春死なむ あの如月の 望月の頃>―――。歌で願ったとおり西行は死ぬ。人々は驚愕した。見事な企画力と演出力と言ったら、西行に失礼だろうか。
(平成19年4月17日)

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