火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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「建久元年(1190年)旧暦2月16日、西行は73歳の生涯を終えた。長年の友だった歌人・藤原俊成は歌集「長秋詠藻」に西行をしのんで次のように記した。

「かの上人、先年に桜の歌多くよみけるに〜<願はくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃>〜かく詠みたりしを、をかしく見たまへしほどに、つひにきさらぎ十六日、望月(もちのひ)をはりとどけること、いとあはれにありがたく覚えて、物に書きつけ侍る」(ウエッジ社<感じる旅、考える旅>「トランヴェール」3月号・18頁)――。

人はいずれ死ぬという運命の中に生きている。西行も死期が近いと悟り始めると<出家遁世>の<初心>を自己完結させた姿で死を迎えようと、ひたすら念ずるようになる。そして<釈尊>の<入寂>と同じ日に死ぬことを願った。

旧暦2月16日、望みどおりの満月の夜、今を盛りと咲く桜のもとで西行は寂滅した。歌人たちは驚愕した。そして西行の予告どおりに見えた、死は彼の歌名を不朽のものとした。しかし、仏教者の多くは<数奇者の演技>と冷ややかに見た。いつの世にも嫉妬はある。だが<愚管抄>で知られる天台座主の慈円は、後鳥羽上皇の宮廷で西行とともに歌を詠んでいた。慈円は西行の死を高く評価している。

<愚管抄>――。鎌倉時代初期に天台座主の慈円が書いた歴史書。だが関白・藤原兼実の実弟だった慈円。天皇家と運命を共にし、源平盛衰の歴史の中に生きた。その意味で「愚管抄」は単なる歴史書ではない。慈円は多くの人物にインタビューを試み、自分の歴史観を検証しながら、自らが考える理想を説こうとした。慈円が見た西行、その意味で面白い。
実は火山、定年直後から4年間、ある高校の公開講座で原典を読み通した。

西行の俗名は佐藤義清(のりきよ)。鳥羽上皇の宮廷を守る「北面の武士」だった。23歳の
保延(ほうえん)6年(1140年)に出家していることが内大臣・藤原頼長の日記「台記」によって知ることができる。
史上最年少の17歳で内大臣になった頼長は「日本一の大学者、和漢の才に富み」と謳われる人物。実は慈円の叔父だ。しかも鎌倉幕府を開いた頼朝の父・源義朝が敗死する原因となった保元・平治の乱を引き起こした<張本人>なのだ。頼長の「台記」の記述。

「そもそも西行は、もと兵衛尉(ひょうゑのじやう)義清なり。重代の勇士をもって法皇に仕え、俗時より心を仏道に入る。家富み、年若く、心に愁いなきに、ついにもって遁世す。人これを歎美する也」――。
内大臣頼長から見ても<家富み>といわせるほど裕福で<重代の勇士>。武勇にも優れていた義清の前途は誰が見ても有望だった。それなのに出家・遁世した。人々が<歎美>して当然と内大臣頼長は書く。

上皇の御所を警護する<北面の武士>は「武芸に秀れ、美貌をそなえ、教養を身に付けていることが、この職を全うする条件であった」(小松和彦ほか「西行と兼好」ウエッジ・29頁)――。歴史のめぐり合わせは面白い。義清の先祖は藤原秀郷。あの平将門を滅ぼした豪族だ。奥州に覇を唱えた藤原秀衡も義清の遠縁にあたる。凄い名門だ。

その義清(西行)が、なぜ出家したのか。諸説があって定説はない。出家とは仏門に入って修行すること。23歳の義清にはすでに妻子がいた。23歳の脱俗は<世の無常>に帰すには早すぎる。面白いのは鳥羽天皇のお后で絶世の美女と謳われた待賢門院璋子(しょうし)に失恋したというもの。だが義清は女性に非常にもてたらしい。「倫(みち)ならぬ恋、恐れ多い恋であっても、これは失恋とは言い難いだろう」(「西行と兼好」30頁)。

「方丈記」で有名な鴨長明の<発心集>に面白い記述がある。義清には20歳前後の弟がいた。その弟に莫大な財産を譲り、妻子の扶養を含め、後事を託したというのだ。
「出家しても霞を食べて生きていけるわけではない。まして草庵を結んだりする費用や旅の路銀など、あの時代にしても多額にのぼるはずであるから、出家遁世を企てた段階からその算段はしていたはずである。そのことを本人が口外しないだけである」(「西行と兼好」33頁)。

「西行と兼好」で<西行とは何者か>(27頁)を書いた松永伍一は鋭く分析する。
「経済問題を無視して大胆に行動に出るほど無謀な男ではなかった。『妻子はどうする』と質問する人がいても、『世を遁れて生きるのだから、そういう事柄は一切関知しない。そんな世俗のしがらみを排することにこそ意味がある』と答えればよい。西行の二重人格性の面白さは、スタートから、つまり(出家の)謎の始まりのところから発揮されていて、美化された伝説に飼い馴らされた私たちが、それをいとも易々と見落としていたのだ」(34頁)。

「準備万端を整え、妻子の安全も確保した上で<出家遁世>した」では<歌人西行>の評判に響く。剛毅な武士の魂を持った義清も後の西行も実は世俗の本質を知悉していた。全部、計算づくだった。

「企画力と演技力は死の場面にまで続けさまに発揮された、といえようか。伝説は見事に彼の存在をかばってくれた」(松永・34頁)――。
<願はくば花の下にて春死なんむ>は<数奇者の演技>だろうか。連載で考えてみたい。
(平成19年3月30日)

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