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その人の話は、幼い頃から繰り返し聞かされてきた」と始まる。この<その人>が山本五十六。聞かせたのは著者の母。「何しろ海軍さんですもの。そりゃあスマートだったわよ。とにかくねぇ、あの人がいる限り、きっと日本をなんとかしてもらえるって、そんなふうに思っていたの。東条じゃダメよ。陸軍がダメだって、なんとなく日本人は知っていたわよ…」――。
この書き出しに火山は震えた。工藤美代子「海燃ゆ」(新潮社)だ。凄い。
同じような話を母から火山も聞かされた。戦前、川崎の六郷に住んでいた時だ。五十六戦死のニュースは母にもショックだったらしい。
さて「海燃ゆ」。「戦艦大和の悲劇」に引用した。裏表紙の扉を見て少し感激した。日経の書評が切り張りしてあった。昨年8月29日の記事。「様々な横顔と家庭への信頼」と見出しがある。買ったのは9月1日――。関東大震災で亡くなった母方の祖父の命日だ。
評伝はノンフィクション。だから「史実」にどれだけ肉薄するか。伝えられる様々な風聞や記録から、どのような<実像>を描きあげるか。これが大切。いくら面白くても<虚像>では困る。巻末をみると参考文献が3頁にわたってびっしり、あった。
著者の工藤美代子は1950年(昭和25年)生まれ。朝日新聞社から出版した「工藤写真館の昭和」で講談社ノンフィション賞を受賞。「ラフカディオ・ハーンの生涯」「悲劇の外交官ハーバード・ノーマン」の著書がある。ノーマンの本は火山、学生時代に読んだ。明治維新史。つまり、相当信頼できる書き手と見た。
今回、必要があって読み直し、著者の取材と解釈の正確さに驚いている。実は火山、海軍軍人の評伝は五十六はじめいろいろ読んだ。だが惜しい。数年前ほとんど処分してしまった。今にすれば痛恨の極み。大切な資料だったのだ。
山本五十六が霞ヶ浦海軍航空隊に着任したのは「関東大震災」の翌年。大正13年の初冬。震災の時はロンドンにいた。在留邦人が色を失った時、五十六は一人悠然としていて「日本経済はかえって良くなるから今のうちに株を買っておきなさい」と実業家たちに勧めたという。凄い<卓見>だ。
五十六が霞ヶ浦海軍航空隊副長兼教頭に着任した時から20年、五十六の身近に仕えた三和義勇が「山本元帥の思い出」という手記を残した。部下に慕われた五十六の人柄が伝わってくると工藤美代子。
その三和が上司から新進の山本大佐の当番(副長付甲板士官)に推薦され、憤然とした。五十六が航空隊出身ではなかったからだ。ヨソモノ、新米…そんな気分。<真っ平御免>と怒り狂って五十六のところへ「ノコノコ出かけた」。いざ何か言おうとしたが、気迫に打たれて言葉も出ない。
五十六が口火を切った。「隊の現状を見たところ軍紀風紀に遺憾な点が少なくない。具体的には毎日のように絶えない遅刻者、脱営者を皆無にしたい。『君ばかりにやらせるのではない。自分もやるから君も補佐するように』との言葉。三和は思わず『懸命に努力いたします』と答えてしまった」という。
「三和はなんとなく『こりゃ偉い人だぞ』という気がして、自分で満足して」しまった。
「そのつもりで見ていると、五十六の敬礼が極めて正しいことに気づいた。『士官に対しても兵隊に対しても山本大佐の答礼は少しも区別なく、シャンと指を伸ばして教範そのままのようにせられる』のである。確かに五十六の敬礼が美しかったのは有名で、やがてそれは戦時下の青年たちの憧れともなった。三和は『これは只人ではない』との思いを強くする」(112頁)。
「五十六が最も力を入れた教育の一つに『作文』があった。『どうも飛行機屋は喋らせれば相当のことをいうが、書かせればなっていない。あれじゃいかん。思うことが書けないようでは将来困りものだ』と冗談のように言って、ことあるたびに『そりゃよい。すぐ書いて出せ』とか『君の意見として進達するから書け』と言った」という。面白い。火山も賛成だ。
本日からの連載。工藤美代子さんの「海燃ゆ」(新潮社)をベースに独自の調査、見解を加えお届けします。今の時代に通じるヒントを満載の決意です。
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